『落研ファイブっ』第一ピリオド(31)「伝説のハゲタカ」
味の芝浜での話し合いを終え自宅へ戻った仏像。
〔仏〕「えっ、嘘っ。俺鍵掛けて家出たよな。何で、やばいやばい」
締めたはずのマンションの鍵がすでに開いていた。
非常事態だ。
仏像が松尾に夕食を誘われ、多良橋に陰で気遣われる理由。
それは、仏像の家庭の事情にある。
両親の離婚後は、仕事の都合で土日祝日も含めてほぼ午前様な父親との二人暮らし。
そして現在時刻は午後一時前。
つまり目の前の光景は――。
〔仏〕「マジやべえ」
最大限の警戒態勢で玄関を開けると、仏像の父の靴が乱雑に脱ぎ捨てられていた。
〔仏〕「父さん、鍵ぐらいちゃんと掛けてよ」
リビングに小言をたれながら入った仏像が目にしたのは、段ボールに寄りかかって屍と化した父の姿である。
〔仏父〕「強制アーリーリタイアです。平たく言うと、無職です」
〔仏〕「いきなり首かよ。外資系はこれだから」
〔仏父〕「五郎君。君の留学費用も含めた学費の口座と生活用口座はここにあるから、安心して。ダディは普通のオジサンに戻りたい。ハゲタカ生活を卒業して、四国にお遍路してきます」
〔仏〕「ちょっとばかりお遍路したぐらいで父さんの業が消える訳ないだろ。ハゲタカ生活何十年やってきたと思ってんの」
〔仏父〕「いいかい五郎君。君の血肉はハゲタカがせっせと運んできた餌で出来ているんだよ。つまり君もあと数年もすれば立派なハゲタカに」
〔仏〕「Never!(ねえよ)」
〔仏父〕「えっ。だって五郎君は本郷大学の文科二類が第一志望でしょ。それって経済学部金融学科に進んで立派なハゲタカに」
〔仏〕「なりません。俺は父さんみたいに朝も昼も晩も分からない上に、いきなり路頭に放り出されるような生き方はしないと決めてるの」
〔仏父〕「でも雇われ人コースの中じゃ一番儲かるよ。下手こかなけりゃね」
仏像の父は自嘲的に笑った。
〔仏〕「でかいのやっちゃったの。金融危機引き起こすレベルの」
〔仏父〕「いや、それはない。ただ業界紙にはデカデカとダディの大失態が出ちゃいました」
〔仏〕「即刻首になるレベルって何やった。話していいなら教えて」
その言葉に、仏像の父はぽいと業界紙を仏像に投げ渡した。
※※※
〔仏〕「【敵対的TOBのmbo戦略に大誤算。風雲児H&Tキャピタルマネジメントに膝を屈した名門企業】
経営陣による買収(mbo)の絵図を描いたが、H&T側に逆手に取られたとね。それで、経営陣側に入れ知恵したトップが父さんだったと」
仏像はざっと記事を読むと、業界紙をばさりと置いた。
〔仏父〕「仰る通りにございます五郎君。だけどこれ一つで即刻首になってたら、首がいくつあっても足りやしないよ。要するにだ、ダディは派閥争いに負けたの」
生返事で記事を読んでいくと、末尾近くにH&Tキャピタルマネジメントについての説明書きがあった。
〔仏〕「H&Tキャピタルマネジメントは、東南アジアおよびオセアニアでの案件を中心に数々のバイアウト(買収)を手掛け、市場関係者からの熱視線を浴びている。なお本紙十六面に伴林太郎共同代表のインタビューを掲載――」
これってまさか、いや、まさかじゃなくて――。
仏像は十六面にあると言う『伴林太郎』氏の単独インタビューを震える手でめくった。
※※※
〔仏〕「狭っ。世間狭っ」
自作の如意輪観音像を取り出して握りしめた仏像は、震えながらタオルケットを頭からかぶった。
〔仏〕「マフィアにアパートの泥棒のくだりなんて、まんま餌のオヤジの話じゃん。しかもあの色付きメガネの下の目元のそっくりな事。あああ俺今度からどんな顔して餌に会うんだ。いや、餌は悪くない。餌には関係ない。けどあああ」
仏像が一人ベッドの上で煩悶しているのも知らず、仏像父が外から声を掛けてきた。
〔仏父〕「ダディは夏休み中ここでのんびり自分と向き合いながら、ハゲタカから普通のオジサンに戻る準備をしてるから。今後の人生、毎日が夏休みでも生きていけるぐらいお金だけはあるから、五郎君は何にも心配しなくていいからね」
そう言う事じゃねえんだよ、いや待てずっとあいつが家にいるなら俺が飯作るのか。えっ嫌だあいつずっと家にいんの困るよ、亭主元気で留守がいいって言うじゃん――。
仏像はパニックの吐き出し口を見つけられないまま、如意輪観音像を握りしめていた。
※ハゲタカ 企業買収ファンドの一部手法/組織にたいする批判的なニュアンスの込められた呼称。
本作では外資系投資会社のCIO(最高投資責任者)であった政木十五(まさきじゅうご)が、自らを自虐的に『ハゲタカ』と呼んでいる。
※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。
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