『あの子のこと』(34)『二人目の男』(R12)
「若葉さん、嫌なら止めて」
かすかな柑橘系の香りが鼻孔をくすぐる。
「子供のくせに」
起き上がった私を後ろから抱きしめると、拓人さんは私に何の断りもなく、顔を私の後頭部に猫がマーキングをするようにこすりつけた。
男としても人間としても、一度たりとも拒絶された事がないのだろう。
甘えたい放題に甘えて、褒められて慈しまれながら育って拓人さんの今がある。
だから私が拓人さんを拒絶する可能性など、万に一つも思い浮かんでいないのだ。
たとえ拒否した所で、札幌に転勤した十歳上の初体験相手と同じ『思い出フォルダー』に入れられるのがオチ。
雨戸の外に広がる朝日のようなこの子に、傷を付けようなどしても無駄だ。
「したい」
拓人さんが耳元でささやく。
「まだ子供じゃない」
私は拓人さんの腕から逃れようと身をよじった。
「でもしたいんでしょ? 俺はしたい」
よじる体の動きを上手く利用され、私は拓人さんの腕の中で彼を正面から見上げる事となった。
「私がいくつか分かってる?」
「陽さんの一歳下」
「だっておかしいじゃない。十四歳も年の差があるのに」
「だったら何? 俺はしたい」
拓人さんは私の後頭部を大きな掌ですくい上げながら、ふっくらとした血色の良い唇をまっさらな私のそれにあてがった。
拓人さんは私を好きだとも愛しているとも言わなかった。
そんな言葉をささやかれたら、私は拒んだだろう。
「ここは狭いから」
私はそれだけ言うのがやっとで、目で寝室を指した。
何度も一人寝のセミダブルベッドで思い描いた拓人さんの全てが、質量と熱を以って私を圧倒する。
私は気の利いた事一つできず、ただなすがままにされながら、言葉にならないかすれ声を上げるのが精いっぱいだった。
私は拓人さんのようになりたかった。
誰からも愛され自分自身を信頼し愛し、いつだって太陽のように屈託がない。
そういう人間に私もなりたかった。
太陽の欠片の一部分でも、私自身の中に取り込みたかった。
拓人さんの厚めの前髪から、大きな瞳がのぞいた。
夢見るようにまぶたが伏せられると、拓人さんは全身をむちのようにしならせて私の上へと崩れ落ちた。
「大丈夫?」
ぐったりと放心状態になった私に一声掛け、拓人さんはベッドに潜り込んだ。
「お風呂入る?」
「いや、動けない……」
何とかそれだけ言うと、私は再び糸の切れた人形のように全身の力を抜いた。
拓人さんは私の髪を大きな手で梳くと、水泳で鍛えた胸板に私の頭を抱き込んだ。
あっけないものだった。
十九歳の大学一年生に惹かれてしまった三十三歳の自分を押しとどめようとする理性など、本能の前では塵に等しい。
一度関係を持てば次またその次と、とめどなく欲求が押し寄せるのは分かりきっている。
彼の事を独占したくなって、彼の事ばかり考えて、それから……。
限りを知らぬ欲求と渇きから逃れようとした所で、血肉の通う人間の姿である以上、無駄な取り組みに過ぎなかったのだ。
最大で残る所一年三か月を、毛づくろいしあう猫のように過ごせればそれで十分だ。それでも私は――。
拓人さんの手が力を失った。
眠りに落ちた拓人さんの寝顔は、少しだけあどけなかった。
※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。
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