『落研ファイブっ』(32)「ぎょぎょっ。男だらけの逗子海岸」
〈日曜午後 逗子葉山駅〉
〔下〕「まっつーん! こっちだよ」
逗子葉山駅南口の改札を抜けると、下野が手を振って一同を迎えた。
〔シ〕「弟君かーわーいーいー! 本当に八歳。もうちょっと下っぽい」
下野の背中に隠れるようにして恥ずかしそうに顔を出した弟君に、シャモはでれでれである。
〔下〕「あいさつしてみ」
〔弟〕「こんにちは。下野綾小路です」
小さな声で自己紹介した綾小路君は、耳を真っ赤にして下野の後ろに隠れてしまった。
〔下〕「三元さんが場所取りしてるっす」
〔仏〕「たそがれながら落語の練習でもしてるかな」
〔下〕「何か掛かってましたけど、何言ってるか全然分かんなかったっす」
〔シ〕「音声だけだと余計に分かりにくいんだよな。特に登場人数が多い噺を音声だけってのは、かなり慣れた人間じゃないと苦痛かも」
シャモは下野の反応に、さもありなんとうなずいた。
〔下〕「俺は海外でサッカーやりたいんで、日本の伝統芸能で受けそうな何かをマスターしたいんすけど。落語は難易度が高すぎっすよ」
〔仏〕「それこそ三元に相談してみたら。俺らの中で演芸関係にダントツに詳しいのはあいつだからさ」
そっすねと相づちを打ちながら、下野は意外な事を言い出した。
〔下〕「そう言えば、プロレス同好会さんが、助っ人になる代わりに合コン開いてもらうって約束なんだって言ってたっす」
〔仏〕「聞いてないぞ。誰と約束したんだ」
〔下〕「放送部の青柳部長さん。政木先輩に言えば女の子はいくらでも調達できるからって」
人聞きの悪い事を言いやがってと、仏像はややご不満気味である。
〔餌〕「事実じゃん。仏像が本気出せば逗子海岸の女の子全員ナンパできるって」
〔仏〕「この時期じゃ地元のジジババしかいねえだろ」
〔松〕「ちょっと、綾小路君の前」
〔弟〕「ナンパ知っとるんよ」
〔松〕「そうなんだ。綾小路君って素敵な名前だね。お兄ちゃんとお揃いだね」
野郎同士のリビドーがほとばしる話題から八歳の男の子を遠ざけるべく、松尾は強引に話題転換をした。
〔弟〕「うん。父ちゃんが武者小路。じいじいが下小路。おそろいなんよ」
〔仏〕「下野君の家って旧華族か何か」
〔下〕「うちは四人家族でじいちゃんとばあちゃんが近所に住んでまっす」
〔仏〕「いやそうじゃなくてだな。貴族とか大名みたいだね」
〔下〕「そうっすか。下野家はドラキュラ御殿に住む大名みたいな家(3DK)。カッコいい」
下野がふんと胸を張ると、綾小路君も「かっこいい!」と叫んで胸を張った
〈逗子海岸〉
のどかな住宅街を川沿いに十分程度歩くと、富士山を抱いた相模湾が一行の目に飛び込んできた。
〔シ〕「すげえ。これ絶対撮らなきゃ」
〔松〕「富士山の前の島は何て島」
〔下〕「江の島。ここまで綺麗に江の島の奥に富士山が見えるのは久しぶりなんよ」
〔松〕「へえっ。あれが江の島か」
映像でしか目にしたことの無い江の島を初めて見た松尾は、しきりにうなずいている。
〔仏〕「この時期なら車があればすぐいけるんじゃねえか」
〔下〕「確かに。海水浴シーズンは渋滞で動かないっすけどね。とりあえず三元さんが端っこの方抑えてまっす」
下野が指さした先で眠りこけている三元は、地元のリタイア世代にしか見えなかった。
〔仏〕「つくづく【味の芝浜】入り口の信楽焼の狸にそっくりだな」
〔シ〕「じゃ、鶴亀の灯篭役は誰がやるんだよ」
〔松〕「何ですかそれ」
小首をかしげる松尾に、シャモが一枚の写真を見せた。
〔松〕「本当に三元さんそっくり。こっちが鶴亀の灯篭。下が亀なんですね」
〔餌〕「寺や昔ながらの家だと、仏壇に亀の上に鶴が乗ったろうそく立てがあるよ。落語にもちょいちょい出てくるね」
〔シ〕「【味の芝浜】のは、ろうそく立てを見本に作ったんだろうな」
〔仏〕「松尾は【味の芝浜】に行ったことが無いもんな」
一回行ってみたいと松尾はつぶやいた。
一同が逗子海岸の端にたどり着くと、三元は高いびきをかいて眠りこけていた。
〔仏〕「何だこのいびき。明らかに病的だ」
〔シ〕「三元起きろ」
三元はよっこらしょういちと言いながらむくりと起き上がった。
〔仏〕「何聞いてたの」
〔三〕「小柳屋御米師匠の『寄合酒』」
〔シ〕「相変わらず御米師匠好きだね」
〔三〕「聞きやすくって歯切れがよくって、それでいて嫌味が無いんだよ」
〔シ〕「『昌也ちゃん』だっけ」
シャモの言葉に、三元がうわっと顔をゆがめた。
〔三〕「いくら御米師匠の伯父さんの家だとは言え、あの鱈もどきは二度と食いたくないね」
〔餌〕「あれはいくら何でもひど過ぎました。まあ、森崎いちご様に御目通りが叶ったんで結果オーライでしたけど。ぐふふ」
〔弟〕「いちごに様はつけんよ」
下野綾小路君が、じっと餌を見つめた。
〔松〕「餌さん、綾小路君の前ではエッチな話しはダメです」
〔餌〕「そんな! 僕からエロを取り除いたら何が残るんだよ。森崎いちご様を知らないなんて君本当に男の子なの」
〔松〕「誰ですかそれ」
松尾がぽかんとした顔で聞いたので、餌はいちご様にお世話にならないなんて人生大損だよおと叫んだ。
〔仏〕「なあシャモ。さっきから気になってたんだけど何その荷物」
〔シ〕「母ちゃんが持っていけって」
騒ぐ餌に取り合わず仏像がシャモにたずねると、シャモはかつお節と日高昆布の袋を引っ張り出した。
〔餌〕「かつお節に日高昆布と麩にどんこ椎茸って。完全に芋煮会コースですね」
〔松〕「丸のかつお節って初めて見ました。これをお湯に浸すのですか」
〔シ〕「カンナで削るんだよ、ってカンナ入ってねえじゃん」
〔仏〕「どっちにせよ今日は火は使えないぞ」
どうすんだよそれとぼやきながら、仏像が大き目の貝殻やゴミを拾っていると、シャモがカメラを回し始めた。
〔仏〕「今日は随分大人しいオープニングじゃん」
〔シ〕「今撮ってるのは繋ぎ映像の素材。気にせず作業してて」
シャモは海の向こうに見える富士山と江の島を、熱心に撮影していた。
〔餌〕「えええっ! 撮影するって聞いてインスタ映えする食材を買いこんだんだけど」
〔仏〕「訳分かんねえ物買ってるなとは思ったんだ。そう言う基準かよ」
〔餌〕「撮らないならどうするコレ」
餌は学校近くのスーパーで買い込んだ食材を、レジ袋から引っ張り出した。
〔仏〕「おい砂浜に直置きすんなって」
〔餌〕「火を通しちゃえばいけるって」
〔仏〕「重曹、クエン酸、テンペ。おから、豆腐、ゆず味噌のチューブににがり。これのどこを見てインスタ映えすると思ったんですか伴太郎先生」
〔餌〕「ブルーハワイシロップとクスクスも買ってある。あとボッタルガも」
餌はどや顔で「からすみ」と大書された箱を取り出して、『あーボッタルガは』とつぶやいた。
〔シ〕「ボッタルガじゃん」
〔餌〕「違う、僕が期待した返しはそうじゃない! 下野君なら的確に返してくれるはず」
〔餌〕「もう一回やるっ。『あーボッタルガは』」
餌が叫ぶと、松尾と二人でパス交換をしていた下野が振り向いた。
〔下〕「ボッタルガはからすみっすよ!」
〔餌〕「違わないけど違うのっ」
餌は小走りで下野にからすみの箱を見せに行った。
※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。
(2023/8/10 一部改稿 2023/11/20 改題および一部再改稿)
この記事がちょっとでも気になった方はぜひ♡いいねボタンを押してください!noteアカウントをお持ちでなくても押せます。
いつも応援ありがとうございます!