『落研ファイブっ』(64)「取引」
新香町美濃屋で二か月分の買い物をしていった謎の貴婦人。その顧客情報を入力し終えたシャモは、すがるように仏像に電話を掛けた。
「ちょ、仏像。大変な事になった。時間ある?」
『どうした。俺は今から予備校なんだよ』
「マジでヤバい。俺っ」
『おう、いつものシャモの口調に戻った。生霊退散したか、それとも互いの魂が元に戻ったか』
「何だよ生霊って。魂が元に戻るって。それより聞いてくれよ。しほりちゃんの母親が家に来た」
シャモはがたがたと奥歯を震わせながらスマホを握りしめる。
『何でだよ。娘をかどわかされて怒鳴り込みに来たか』
「それが違うんだって。しほりちゃん用の着物と浴衣を注文してくれて、二か月以上の売上が一発で立った」
『良かったじゃん』
「それが何か勘違いされてんだよ。しほりちゃんの採寸を俺に任せようかって。しほりちゃんと俺が付き合ってるって誤解しているみたい」
『誤解だあ?! お前自分でしほりちゃんの事を『俺の女』って言ったろ』
仏像からの返答はシャモの予想を覆すものだった。
「冗談だろ。何をどうしたら、日曜に初めてちゃんと会った子と付き合ってる事に」
『シャモがが自分で言ったんだろ。下野がお百度参り(しほり)を散々ディスった時に『俺の女バカにしないでくれる』って言ったんだってば』
「そんなの覚えてねえよ!」
『嘘つけ。左腕に梵字シールなんて貼られちゃって、自慢げに俺たちに見せたの。嘘だと思うなら左の二の腕を見ろ』
シャモは言われるがままに、シャツをまくり上げて二の腕を見る。
「あー、何だろこれ。変な線みたいなのが一本ついてる」
『変な線だと。お前が左二の腕に貼られたのはサンスクリット語の『キリーク』の梵字シールだぞ。もうちょっと複雑な形状のはずだが』
「いいや、線だっつうの。後で写真送るわ。それにしても何でしほりちゃんと付き合ってることになっていたんだ。マジヤバい。しほりちゃんがお母さんに話した? でも俺告白された記憶も無けりゃOKした記憶もねえよ。マジでどうすんだコレ」
『知るかよ。もうすぐ授業始まるから、じゃな』
「待ってって」
『松尾がお前らのデート現場を目撃しているから聞いてみろ』
「デートだと?! ありえねえ」
切断音を聞きながら、シャモは自分の記憶がおぼろげな二日間でとんでもない事態が進行していたと気が付いた。
※※※
『シャモさん珍しいですね、どうしました』
「松田君さ、しほりちゃんって分かる」
『あーシャモさんの彼女さんですよね』
松尾の何の気ない返答に、シャモはムンクの叫びのごとき顔で絶望をあらわにする。
「マジでお前らの間で、しほりちゃんって俺の彼女って事になってるの」
『あそこまでしておいて何を今さら』
「あそこまでって何してたの俺。松田君が俺としほりちゃんのデートを目撃したって仏像から聞かされたんだけど。日曜日にしほりちゃんの隣に座った所から、記憶がまるで五十倍に薄めたコーピスみたいになってんの。本当に何にも覚えてないんだよ」
『それはもはやコーピスじゃ無くて水です。乳酸菌飲料味ゼロです』
松尾は極めて冷静に突っ込むと、目撃した内容を包み隠さず話した。
「俺そんな偏差値二のバカップルみたいな事してたの。お願い忘れてえええ」
『一人の男として忠告します。あそこまでやっておきながら彼氏じゃないと言い張るなら、ただの人間のクズです。僕が女なら、横っ面張り倒して引きこもりになるレベル』
「駐輪場?! 嘘でしょ、嘘だと言ってよ頼む」
『多良橋先生の『プレゼント』を確認してみてください。封が空いているはずですよ」
「プレゼントって何」
「この期に及んでしらばっくれるとは嘆かわしい。『超極薄』一箱」
「嘘だ、嘘だ。俺そんな物もらってないって。佐藤錦も真っ青なジャパニーズチェリーが、まさか駐輪場でそんな」
松尾に告げられた『プレゼント』の内容にうろたえながら通学カバンを漁っていたシャモが、絶望的な悲鳴を上げて崩れ落ちた。
「三枚減ってた……」
『どこが小心者?!』
「ひどい。おかしい。一つたりとも記憶が無い。しほりちゃんと触れ合った記憶が無い」
『往生際が悪いぞ。証拠も目撃者も揃っているんだ。後はこの調書にサインを』
相変わらず刑事ドラマごっこが好きな松田松尾十五歳(群馬県出身)は、どすの効いた声でシャモに詰め寄る。
「見てたんなら止めてよ。仏像もいたんでしょ」
『駐輪場事案を見たのは僕一人です。安心してください』
「だったら、松田君の記憶さえ消せば」
『無駄です。仮に僕の記憶を消したとしても、しほりさんの心と体に記憶が残っていますから』
「やめて何だか生々しいからああ! 俺下手したら十八歳でパパになるの。やばいやばいやばい。それでしほりちゃんの母親が美濃屋に来たのか。ヤバいよヤバいよ」
『お母さまが釘を刺しに店に来たとはね。こうなったら腹をくくりましょう。これで逃げたらお百度参りどころではない。リアル牡丹灯籠コースに突入です』
どうしよどうしよとうわごとのように繰り返すシャモに、松尾は非情な現実を突き付けた。
※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。
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