『落研ファイブっ』(7)「ロマンス(カー)が止まらない 鶴巻温泉」
〈四月第三週土曜日 午前八時過ぎ〉
シャモが【みのちゃんねる】のフォロワーに連絡を取りつつ三元を待っていると、三元がタヌキのような腹を揺らしつつ相鉄線の改札へ顔を出した。
〔三〕「改札が三つもあるなんて聞いてないよ。あっ、助六」
遅れてきたにも関わらず改札内で助六寿司を買うと、三元はふうと一息つく。
〔三〕「これより落語研究会兼草サッカー同好会の春合宿を始めます。家に帰るまでが合宿です。はしゃいだり、みだりに買い食いなどしないように」
〔シ〕「今しただろ」
〔餌〕「早く行きましょうよ。乗り継ぎ失敗したらロマンスカーに乗れないじゃないですか」
パンダのリュックを背負った餌は、相鉄線の案内表示をちらちらと見る。
〔シ〕「なあ、餌。念のために言っておくが俺たちの行先は箱根温泉じゃねえ。鶴巻温泉だ。ロマンスカーなんてしゃれたものとは無縁の地だぞ」
〔餌〕「ええっ。鶴巻温泉って箱根にあるんじゃないんですか」
餌を先頭にネイビーブルーの相鉄線に乗り込むと、三人はがらんとした休日の下り列車の中でべちゃくちゃと話し続けた。
※※※
話は木曜日の夕方にさかのぼる――。
〔み〕『ちょいとアタシの代わりに土日で一泊旅行してくれないかい。三人部屋が取ってあるんだけど、四郎ちゃんが全脳研の合宿を休めないらしいんだ』
〔三〕『だったら綱五郎さんと水入らずでちょうど良いじゃないか』
納豆を乱雑にかき混ぜながら三元が提案すると、みつるはちょっとそりゃいくらなんでも静江さんの御霊に申し訳が立たないよと不気味なくねくね踊りを見せた。
〔み〕『今さら宿のキャンセルも気が引けるしさ。時坊の友達を二人連れて、遊びに行きな』
〔三〕『宮戸川のお花と半七みたいになっても良いのかい』
三元が、若い男女が雷雨の夜に結ばれる噺を引き合いに出すも。
〔み〕『安心おし。時坊は半七じゃなくて与太郎(※)だから、自分から押しかけてくる女の子なんていやしないよ』
〔三〕『それを言っちゃしまいじゃないかい』
〔み〕『まあまあ良いじゃないのさ。それでね時坊、もう一つお願いがあるんだけど』
そして土曜日午前八時二十分頃 相鉄本線特急海老名行き車内に戻る――。
〔三〕「ばあちゃんが三人分の交通費も食費も土産代も全部出すって言ってるから、払いは全部俺がやる」
〔シ〕「持つべき者は太い実家だな」
〔餌〕「シャモさんの家はシャモさんが稼ぎ頭ですもんね」
〔シ〕「四割母ちゃんに差っ引かれるけどな」
有名色物配信者『みのちゃんねる』としての地歩を着々と築きつつあるシャモは、スマホをしきりにいじりながらため息をついた。
〔餌〕「大山阿夫利神社にはロープウェーで行くんですよね。そうじゃなきゃおごりでも絶対嫌です」
〔シ〕「階段ダッシュもろくに出来ない三元に、山登りなんて無茶だろ」
〔餌〕「シャモさんは『みのちゃんねる』のロケも兼ねてるんですよね」
〔シ〕「じゃなきゃ大山なんて面倒臭くて行けるかよ」
三元が落語研究会のメンバーに声を掛けた所、しぶしぶながら首を縦に振ったのがこの二人と言う訳だ。
〔シ〕「ばあちゃんの彼氏の孫だって、連れて行かれる先が山のてっぺんの神社にさびれた温泉なら、どんな理由付けてでも逃げるに決まってるだろ」
〔三〕「綱五郎さんの発案だから、四郎が嫌がるのを見越したうえで、敢えてそのルートにしたんじゃないか疑惑もあるんだけどな」
〔餌〕「子供を出しにして誘い出したあげくしっぽり彼女と二人きり。温泉宿でお初の」
〔三〕「いや彼女もうすぐ七十七歳だからああーっ」
ぐふふとおかしな声を出して笑いをこらえる餌に、三元は思わず叫んだ。
〈伊勢原駅〉
〔シ〕『伊勢原駅に到着しましたあーっ。ここからバスで三十分、更にロープウェーに乗るとか面倒くせーっ』
シャモは『大山阿夫利神社に【脱逆張りのみの。祈願!】に行ってきた」なる収録を始めている。
配信者稼業も楽じゃないなと思いながら、三元は二人の後をくっついて歩いた。
〔?〕「『みのさん』もう着いたの」
カメラを回しながらバス停方向に歩いていると、紺色のファミリーワゴンから四十代ぐらいの男が声を掛けてきた。
〔二〕「『二階ぞめき』です。いつもどうもどうも。これ僕の新著。サイン入り」
【行動経済学の雄 高梨藤一郎吉成(王海大学商学部教授)が放つ 経営者必携の一冊】
二階ぞめきは、自身の顔写真入りの帯が巻かれたハードカバー本をシャモにプレゼントする。
〔二〕「皆で大山に行くんでしょ。みのさんと一緒に送るよ」
【みのちゃんねる】の重課金勢とは思えない肩書と本名の二階ぞめきは、にこやかに車のドアを開けた。
※※※
〔二〕「ここら辺りからちょっと道が揺れるよ」
大山に向かう緩やかなカーブに助六寿司が逆流しそうになるのを三元がこらえていると、車は駐車場に入った。
〔シ〕「本当に助かりました。二階ぞめきさんがまさか本当に来てくれるとは」
〔二〕「丹沢近辺でロケする時は車出すよって、前から言ってたでしょ」
二階ぞめきは、秦野駅近くのマンションに住んでいるのだと言って笑った。
〈大山阿夫利神社 下社〉
〔餌〕「高梨教授にお目に掛かれて良かったです。シャモさんもたまには役に立ちますね」
鳥居を前にして、餌がいつも以上に上機嫌で話し始めた。
〔シ〕「一言多いんだよまったく。餌は行動経済学をやりたいんだよな」
〔餌〕「はい。しかも高梨教授は僕の志望校出身の方だし。教授は変態的なまでの天才ですよ。大リスペクトです」
二人が話し込んでいる間に、三元はみつるの言いつけ通りに古いお札を返納して新しいお札をもらってきた
〔三〕「用事は済んだ。早く駐車場に戻らなけりゃ」
〔シ〕「なあ、おみくじ引かねえの」
〔餌〕「絵馬も書きましたよ」
中吉と末吉のおみくじを片手に、シャモと餌が三元を手招きした。
シャモの絵馬には『チャンネル登録者数十万人越え』、餌の絵馬には『志望大学合格』と書かれている。
三元は大きな丸い字で『好みの女に告白されて付き合う』と書くとおみくじを引いた。
〈駐車場にて〉
駐車場に戻ると、二階ぞめきは仮眠を取っている所だった。
〔二〕「この後はどうするの」
〔三〕「鶴巻温泉で泊まる予定です」
〔シ〕「本当は三元のおばあちゃんが彼氏と泊まるはずだったんだけど急に出かけられなくなったんだって。おばあちゃんの代わりに大山に行った帰りに鶴巻温泉に泊ってこいだって」
シャモの隣で三元が旅程表を差し出すと、二階ぞめきの顔色が見る間に曇る。
〔二〕「こりゃ大山の宿だよ。次の日に鶴巻温泉に寄る気だったのかもね」
〔シ〕「えええっ。じゃあ俺らここに軟禁状態になるわけ。そばと豆腐の店しかねえ。騙されたあっ」
カメラを意識したオーバーリアクションを取ったシャモであったが、食べ盛り遊び盛りの高校生男子三人が修験道の本場である大山の空気に馴染めないのは当たり前だ。
〔三〕「ばあちゃんの言う事うのみにせずに、ちゃんと調べて来れば良かった」
凶のおみくじは当たってたと思いつつ、三元は小さくなって謝った。
〔シ〕「こういうのは仏像が抜かりねえんだよ。【みのちゃんねる】としては美味しいけど、岐部漢太君は肉が食いたいんだよ。豆腐じゃなくて」
〔二〕「だったら少し遠いけど肉ががっつり食べられる店がある。おごるよ」
〔シ〕「えええっ。二階ぞめきさんマジ神っす!」
〔餌〕「高梨教授のおごりとは。何と素晴らしい日でしょうか」
三元ははしゃぐ二人の後ろを、信楽焼のタヌキのような体を小さくしながら歩く。
妙な所で人見知りな三元時次十七歳(彼女常時募集中)である。
〈今夜のお宿 鶴巻中亭前にて〉
タンシチューやステーキをごちそうになって三人が大山に舞い戻った頃には午後四時を過ぎていた。
〔シ〕「本当に助かりました。マジ愛しかない」
シャモが指でハートマークを作っている所をカメラで餌に抜かせると、紺のファミリーワゴンがゆっくりと遠ざかって行った。
〔三〕「で、これが今夜の宿か。ただの空き家じゃねえか」
戦後まもなく建てられたような一戸建ての表札には、確かに『鶴巻中亭』と記されている。
〔餌〕「しっぽりずっぽしの初夜にしちゃ随分ケチりましたね、彼氏」
〔三〕「若作りした所でしょせんは年金生活者だからな」
〔シ〕「その彼氏ってのはやっぱり味の芝浜の土地財産狙いの地面師一味で」
〔三〕「ないないない。だって『逆張りのシャモ』が警戒するんだもん。じゃ、行きますか。本当に大丈夫かこれ」
三元が半笑いで『鶴巻中亭』の引き戸を開けると、無人の玄関には部屋番号を書いたタッチパネルが置かれている。
〔三〕「予約の部屋は二〇二号室か」
タッチパネルを押すと、今時珍しい長い棒の付いたアナログキーが自動販売機のように転がり出てきた。
※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。
(2023/9/23 改稿 2023/11/13・12/4 一部再改稿・改題)
※与太郎 落語の登場人物『与太郎』は、おつむが弱いキャラに描かれるのがお約束
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