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『孤島のキルケ』(2)

 目を覚ますとまだ夜明け前のようだった。
 あれだけ饒舌じょうぜつだったいしゅたるの姿も気配も、忽然こつぜんと消えていた。
 妻と子は元気にしているだろうか。
 そもそもこの小島と故郷での時間の進み方は同じなのだろうか――。
『死の世界だと決めつけたのはそなたであろう。ここはそなたが死の世界と思えばそうなり、生の続きだと思えばそうなる世界に過ぎぬ』
 いしゅたるの言葉が何度も脳裏をめぐる。
 例え私が未だ生の世界の住人であるとしても、竜宮城へおもむいた男のように、故郷に戻った時には妻と子どころか子孫すら既に亡くなっている事もありうる。
 私の脳裏に、出迎える者も無く、ただ一人老爺ろうやの姿で海岸に取り残されたかの男の姿が鮮明に浮かび上がった。
 私は胃の中が空になるまで嘔吐《おうと》した。
 
 汚した寝台もそのままにふらふらとかわやに向かった私は、蛙やとかげなどの顔をした人型の男達が、うずたかく積まれた木材を大八車だいはちぐるまで引いていくのを見た。
 一刻も早く船を完成させ、この島から逃げ出したい――。
 私は朝食を勧めるきるけえを制して一心に大八車だいはちぐるまのわだちの後を追った。
 私はひどく焦っていた。
 
 湿気を帯びた重い砂に何度も転びながら走り続けると、大八車だいはちぐるまが見えてきた。
「私はきるけえの客人で、故郷に向かう船を一艘いっそう仕立ててもらう約束をした。所であなた方は船大工だろうか」
 とかげの顔をした男の瞳孔が刀のごとく縦に細くなった。
「もしそうなら私を現場に案内して頂きたい」
 とかげはふいと前を向くと、そのまま大八車だいはちぐるまと共に歩き始めた。
 
 大八車はうっそうとした低木が生い茂る低湿地ていしつちを、車輪を泥にとられながら進む。
 およそ四半刻しはんとき(約三十分)で、川端に建つ石造りのやたらと高い天井の建物にたどり着いた。

 中ではさまざまな動物の顔をした男たちがカンナで木材を削ったり、猫やうさぎの名残をもつ女たちが布を旗竿にせっせと巻き付けていた。
 どうやらこの島の工場らしい。
 食い入るように作業場を見つめる私にれたのか、とかげの顔をした男は指で船の作業場で戻るように指示した。
 ここの船大工は元々はここいらの漁師たちであろうから、私の知る船作りの工程とはさほど変わるまい。
 私は乾いた木材に糸で器用に印をつけていく大工たちを見ながら、少なからぬ安堵あんどの念を抱いた。
「これはきるけえと約束した私のための船の準備か」
 とかげの顔の男に尋ねたものの、彼の手ぶりからすると違うようだった。
 
 とかげの顔をした男の後を付いていくと、幾人かの大工衆らしき男達が車座になっていた。
 どうやら海豚いるかの顔をした男が設計責任者のようだ。
 男は船の模型を私に見せてきた。
 まゆのような甲冑かっちゅうのようなそれは、もはや船と言って良いやら分からぬ代物しろものであった。
 私は困惑の色を隠すこともなく、海豚いるかの顔をした男を見た。
 キンとした耳鳴りがすると共に、海豚いるかの顔をした男が手まねきをした。
 
 無機質な部屋の壁には、海豚いるかの顔をした男が手にした模型の原寸大の船が海に浮かんでいる様が映し出されていた。
 昨夜私を引っ搔いたオオヤマネコが乗っている。
 影絵のようなからくりだろうが、風景をそのまま映すとはどのような原理なのか皆目見当もつかない。
 映し出された船は、水筒のふたを閉めるようにオオヤマネコの体を隠すと瞬く間に海の中に消えた。
 
「私は、棺桶かんおけを作って海に沈めてくれと言った覚えはない!」
 私は意思疎通の出来ない現状を呪った。
 苛立ちながらもしばらく壁に映る海を見ていると、水平線近くからぬっと棺桶のような船が現れて、水筒のふたのような部分が開いた。
「どういう事なんだ。これは海女のように海底を泳ぐ船なのか。あり得ない!」
 私の驚きもどこ吹く風で、オオヤマネコがすまし顔で出てきた。
 彼はそのまま船の上で丸くなって日光浴をしていた。
「私がここから抜け出すための船はこの棺桶かんおけのような船なのか。そもそもこの棺桶かんおけは何を動力にして動いているんだ」
 矢継ぎ早の質問に海豚いるかの顔をした男はしばし下を向くと、持っていた紙と筆で海藻の煮汁らしきものが分離した上澄みを描いた。
 それを黒い模型の後部にある弁当箱のような入れ物に入れるのだと手ぶりで示す。

「私はこんな見たことも聞いたこともない船は動かせないぞ!」
 海豚いるかの顔をした男は私をちらりと見ると、聞いたこともない異国の言葉を空に向かって早口でつぶやきはじめた。
「きええええっ!」
 私の額は奇声と共にぐりっと指でこじ開けられた。
 背骨を火炎が駆け上るような衝撃と共に、視界が異様に広がった。
 
 私はたった一人深海に投げ出されたようだった。
 静まり返った何の気配もない場所で、意識だけがいやに明晰めいせきだ。
 そして己が棺桶のような船に乗せられて海中に沈んでいくのを、他人の如く見ていた。
 どうやら得体のしれない術によって、一時的に超感覚を開かれたらしい。
『この船は貴方の世界には未だ無いものですが、別世界ではすでに実用化されています』
 いしゅたるの時と同じく、脳内に直接声が流れ込んで来た。
『自動で操縦できますので舵取かじとりの必要はありません。海藻を動力源とし、最大で半月の間航海可能です』
 海豚いるかの顔をした男はまるでからくり人形のように、一方的に情報を伝えてきた。
『これは以前手掛けた試作品ですが手を加えて十六夜いざよいの月には完成させます』
 今日が新月の筈だから随分と早く仕上がるものだと感嘆しつつ、この船以外の選択肢ははなから用意されていないのだと私は覚悟した。
 https://note.com/momochikakeru/n/n853ecf3d77fe

 
 ※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。



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