オタクが許せる同性愛、許さない同性愛 その1
こんにちは、ももちです。
今回はちょっと一旦は同性愛の話を振り返りつつ、私が存在する立場から同性愛というものを見てみたいと思いました。
ただ、あくまで私個人の意見ですし、人はたくさんいる以上置かれている境遇も違います。
受け入れられるもの、そうでないもの。
私は自分の主義主張を貫き通せるのか、という不安もあります。
自分はその人と会った時、礼を失することなく付き合えるか。
何を以ってして、自分は同性愛のことを知り、受け入れてると言えるのか。
今回は話が長くなります。
それではどうぞ。
1:その認識は"人"か"おもちゃ"か
僕は一般的に言えばオタクと呼ばれる分野の人で、もっと言えば陰キャと呼ばれる人種です。オタクといえば陰キャも内包する、という考えが今も多いためオタクという単語をタイトルに入れさせてもらいました。
「だからといって認識が変わるわけないだろう?ましてや穿った見方なんて」と思う方もいるかもしれません。私もそう思ってました。
ですが、本気で同性愛について考えると、正直なところ同性愛に対する意見や考えというのが大きく変わってきます。
その理由が……
に代表されるような、いわゆるネットミーム。
無論これらを楽しむことは手放しに喜べるものではないのですが(著作権だったり)、それでも同性愛という存在に対して親しくなっている一面はあると思います。
これらは色々なところで楽しまれていました。掲示板やニコニコが良い例でしょう。そして、二桁の年が流れたとしても、今なお愛され続けているネットミームと言って過言ではない。
それくらい時間が経てば、ああそういう人種もいるもんね、で済まされるでしょう。ネットが身近にある存在なら、知る機会は大いにあると思います。
ですが、果たしてそれで同性愛を理解した気になるでしょうか。
というなら答えは❌。
何故ならホモではなく個人を楽しんでいるからです。
この場合は野獣先輩だったり、拓也さんだったり、阿部さんだったり、ビリー兄貴だったり、確かに同性愛者を受け入れている……ように見えるだけです。
正確にはその一個人や、その周囲の人物の言動や行動を模倣して楽しんでいるだけです。というよりバカにしてる。
これがそもそもあまり褒められたものではないのは確かです。しかし、中にはこの現象を基盤に「我々は同性愛者に寛容である!」とほざく奴がいます。
ただ、同性愛者、この場合ゲイの方にとっては正直なところ何らプラスになり得ません。
それはなぜか。
他のゲイが面白みに欠けるから、です。
言い方が失礼ですね。しかし、事実です。
野獣先輩や、その他関連するAV業界の他のビデオで出てくる登場人物のセリフは一般的には淫夢語録として知られています。
「イキスギィ!」
「やりますねぇ!」
「あっ(察し)」
まあ、有名どころならこんな感じでしょう。もっと沢山ありますが話の本題からずれると良くないのでこの三つを代表例として取り上げます。
これらっていうのはあくまで個人のセリフだったり、行動によって印象付けられたシーンを再現しているに過ぎません。もっと言ってしまえば"アニメや漫画のシーンを真似してる"だけ。
それらをやっている奴がたまたま同性で性行為中の人間だったってだけです。
ただ真似してはしゃいでるだけの人間が、それで同性愛者を知った気になった、いや存在を知りある程度はどういうものかは理解していると言いますが、受け入れているとは言えないでしょう。
自我を持ったおもちゃで遊んでる、遊ぶ道具として選んだことを受け入れていると言う。
ふざけた話でしょう?
ですが、それが事実です。
情報の取捨選択で、我々につまらないものを摂取する時間はない。
その社会的流れにより、ゲイのことをどう見ているのか。
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