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22才が考える別れ

そもそも、私たちの生きる世界にはたくさんの別れが存在します。

ゴミ箱にポイっと捨てることも、大切にとっておいたスイーツを食べてしまうことも、ある種の「別れ」です。

定義するならば、それまであった「固定」が変化する時と言えるのではないでしょうか。


そしてその固定は、個々人で定められることもしばしばある。


売れ出したアイドルが「こんなんじゃなかったのに」だなんだって言われがちなのをよく見ます。それはオタクが作り出した幻想の固定だったという、オチなのでしょう。


遡ること、1年前。

地下アイドルをやっていた時だった。

アルバイト先で親切にしてくださった気前のいいおっちゃんが、何も言わずに消息をくらましたことがあった。

私がこういう活動をしてるというと、

「おーっ、じゃあももちゃんが不倫でニュースになる日も近いな!俺が知ってる人で頼むぞ!」

とか言ってくれた。彼なりの愛である。

その1週間後に、消えたと噂になった。


私は、以前にも大切な人が「消えた」経験がある。

高校でお世話になった部活の先輩だった。彼は無類のドアラ好きだった。高校の部活でIbanezを選ぶほど尖っていた人ではあったが、哲学的な思考の話を合宿中夜通ししてから、私はその先輩を慕っていた。(恋愛感情はない)

彼は大学受験でハイレベルな場所を目指していた。現役では縁がなかったため、何浪してでも入ると意気込んでいた。


その先輩に会える最後の日が、卒業式だった。

私は高校2年生で部活を辞めていた。

卒業式に行けるのは、「制服をちゃんと着こなし、部活動に所属している後輩」だけだった。


つまり、私は行く資格がなかったのである。


ただ、お世話になった先輩にお礼の品を渡したくて学校の外で待機することにした。

当たり前のように制服を着崩し、グレイシアのバッジをネクタイにつけ、ブレザーを着用していない私は当たり前のように生活指導に止められた。

いつものように文句を垂らして近くを散歩していると、この世の終わりみたいな顔をして走ってくる人がいた。

先輩だった。

「これ、、、ブレザーきて、、前閉めて降りてこい、、」

先輩は自分のブレザーを私に差し出した。

「何で私がいるってわかったんですか?」

「生活指導と校門前で揉めてるって聞いた」

私の目のつけられようは、とんでもないところまで轟いていた。

無事に部活員風の顔をして裏口から体育館に入り、友達のいない先輩とたくさん喋った。

お礼の品は青柳ういろうだった。


それから、先輩はSNSも何もかも消してしまった。

というより、音沙汰もなくなってしまった。


こんな別れを繰り返すうちに、私は誰も失いたくないという思いが強くなった。

そのため、人見知りになった。あまり仲を深めようとしなくなった。傷つくのが怖いからだ。


しかし、「固定」があっての人生の豊かさであることは間違いないと思う。

今も、小さな出会いによる自分の楽しみが沢山ある。


別れは新たな出会いというが、そうなるように、全ての別れにも感謝したいと思う。



Sincerely  yours,




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百道あん
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