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命日

「そっか、明日は2月1日なのか」

1月は、はやてのごとく通り過ぎた。
師が走るよりも早いスピードで、駆け抜けた。

年が明け、お仕事の話をいただいた。
ちょうど父と並んでラーメンを食べていた時だった。
メールの内容を確認して、ラーメンの味が全く感じられなくなった。
とんでもないことになった。
自分、帯を締め直さなきゃいけないな、と思った。

そうして、何度か打ち合わせを重ね
正式に決定したとき、初めて両親に打ち明けた。

20歳を超えてから、両親のスタンスは一貫して
「あなたの人生なんだから、あなたで決めればいいじゃない」
だった。

思い返せば、飲食店を辞める時も、勝手にアイドルを始めたときも
いい温度の「他人事」でいてくれた。

ただ、自分にとっては常に「自分事」であるのが人生。
いつだって順風満帆とは全然いっていない。

***


12月のある日、「私」は一度終わった。

奇遇なことに、それなりに大きな最後通牒が
その日「1日」に凝縮されていた。
「事件」とするならば、大事件が5つくらい一気に舞い込んできた。

人生はリボ払いできない。
一括払いでもツケがやってくる。
そういう時は、そういうときかもしれない。


ただ、長くない人生で
自分は何を残せるか考えた。

祖父のまだ見えている右目に、
私は何を見せてあげることが出来るだろうか。

自分の大切な恩師に、
自分が成長した姿を見せてあげたい。


ボディーブローを5発くらっても、
立ち上がったのはこんな思いがあったからだ。

来年(2024年)が最後だと思って、
最後のステージのように、
1月1日も、1月2日も、
もしかしたらこれが最後かもしれないと思いながら。

そう生きようと、ひとりMISIAの紅白を見ながら心に決めた。


***


人間の性格が一人ひとり異なるように、
志もまた異なるものだと思います。

自分は「好き」や「自己に内在する何か」に突き動かされるのではなく
「誰かのために行動したい」がエンジンになります。

自主性を育む教育、とは一概に言うけれど
私は「誰かが喜んでくれる顔を見ることが自分の幸せ」となるから
やはり内在衝動なんて無くてもいいんじゃないかと思います。
(あったらもちろんそれは素晴らしいと思うけどね)


今年はどんな一年になるか、
自分でも想像できない未来が待っていると思います。

ただ、自分はある種の覚悟を決めて今年に入っています。

1月中旬、友達と伊豆に旅行に行った帰り道で
ふと「もう戻ってこれないな」と感じました。

何が?どこに? 自分でもよくわかっていませんでしたが、
初めてラジオ収録に名古屋に向かった時、なんとなく気づいた気がします。

本当の意味で、自分一人の人生では無くなったのです。
自分が2024年に存在している訳は、周りの人のおかげであって
対をとれば自分によって周りの人も存在しているということです。

だから、中途半端な態度を取れば
周りの人の存在に何かが起こってしまうかもしれない。

大げさに考えてるかもしれないけど、
リスクヘッジとは違う、自分がある種「仕事に生きる」ための覚悟。

目を閉じたら色んな人の顔が出てくる。
だから、その人たちを笑顔にするために
自分は身を削って磨いていかなければならない。

ああ、私の人生は私で決めていない。人様のために生きている。
でもそれが、私が人生で輝くための火薬。

どんなことでも、大きな大きな花を咲かせて実をつけていく、
そんな一年にしたいと思っています。

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百道あん
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