栃木 巡る旅 ~茂木にて~
かごめらぼ 伍竹庵 訪問
私は自分の中で何かを変えたい時、旅にでる癖がある。
ぼんやりとあの人たちに会いに行きたい。丁度いまがいいタイミングかなと思っていた時。
実家でたまたまつけていたTVで『人生の楽園』という番組のオープニングが流れた。ふむふむと見ていたら・・・・。
栃木県 茂木町・・・・と菊池桃子さんと西田敏行さんのナレーション。
そしてびっくり。会いに行こうと思っていた彼らが映っていたのだ。
栃木は第二のふるさと
栃木はわたしの人生の分岐点のときに地元を離れ、住む事を選んだ場所でもある。結果、4年半近くも暮らした。
たった4年半だったけど、濃い人脈が生まれ、大切な友人らを得ることができた。
栃木は住めば住むほどエリアでも人でもネタが尽きることなく面白い事が起こるし、とても居心地のよい場所だった。
そんな暮らしのときに彼らと出会ったのだ。
当時中学生だった娘が、校外学習で竹工芸を選んだ。住んでいるところから割と近くにいらっしゃった竹工芸家の八木澤正先生の指導の元通い続けた。
その当時八木澤先生の御弟子さんでいらしたのが五月女さんだった。
今現在は独立し、かごめらぼ 伍竹庵 をご夫婦で主宰されている。
実は彼らが今でこそ夫婦だが、彼らが電撃的に出会った瞬間に立ち会っていた私たち家族。先日訪問した時、「実は、あの時の一年後に私たちは結婚したんです」偶然にも奇跡的な瞬間に出会えた私たちも光栄だ。
日本人本来の豊かさがそこにはあった。
土間、竈、雨樋からつたった桶の水。。。そして外は壮大に広がる里山。
きっとそんな生活をされているだろうと想像をしながら訪問したが、想像以上の本物の暮らしがそこにはあった。
私自身も幼い頃、祖父母と父母、いとこらと大家族で暮らし、トイレは汲み取り式の陶器のしゃがむやつ、そしてお風呂は祖父が薪で焚いてくれた木桶の風呂、土間があり竈もあった。昔の生活がフラッシュバックする。
幼い頃はそんな昔の生活が嫌でたまらなくて、早く新品の素敵な生活がしたいと切に思ったものだが、今思えばリアルにあの当時の体験ができたことは本当に貴重なことだったと思う。
そして、今の現代で私よりはるかに若い人が昔本来の生活を自然に気負いなく実践している。
巷では、里山生活とか、ナチュラルな生活とか古民家暮らしとか憧れている世代が増えているこの頃。実際、私もそんな生活をもう一度あの頃のように戻ってそんな暮らしをしてみたいと憧れを抱いている。
けど、彼らはそんな浮かれた人たちではないのはわかるであろう。
自分たちで家を修復し、手入れをし、道具を作り、更には里山に広がる竹林、段々畑、たんぼ、葉や石、土の自然濾過をほどこしたビオトープ。
きちんと自然の循環を計算し、人間と自然と生き物が共存できるパーマカルチャーを作ろうとしている。
持続可能な社会システムをデザインしようとしている。いや、こうしてもう実践されているのではないか。
この家にあるものはほとんど自分たちの手で作られたものばかり。そんじょそこらの「素敵田舎暮らし」とはわけが違うのである。本物なのだ。
そして、思ったこと
私は今、便利な生活にまみれまくって生活している。それはそれで時代の流れとともに当たり前のことだ思うし、便利なことが悪いことではない。
それとは対照的に、彼らは電子レンジはもちろん、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、ガス、その他目立った電化製品はなく、しかしパソコン、携帯は使っているし程よく時代の流れを取り入れている。
私は自然の循環や森や里山などの事を勉強したことがないし、まったくもって知識不足だし、なにも語ることはできないのだが、ただ感覚的に思ったことは彼らは「次世代に繋ぐための地球作りをしているのではないのか」とふんわりざっくりながら思ったのだ。
自然のめぐみを享受し循環する生活
たわわに実った果実を採り、蜜蜂が貯めた宝の蜜を味わい。
雨水、排水を自然濾過し野菜を育てる。生きるための必要エネルギーをミニマムにし、巡らせている。
彼らから学ぶ事は無限大で、これから彼らはさらなる地球作りをしようとしている。美しい山を壊さないために。そしてそこから広がる川、海への影響も与えないように。
だから彼らは、先をゆくすごくすごく長い眼差しを持っているのだ。
未来が楽しみでしょうがない
今私はただひたすら彼らの事を応援し、見守り続けていくことしかできない。それが間接的にスケールの大きい未来への地球作りにつながっているのだから。
竹林から伐採して、このような竹工芸を作る歴史は深い意味がある。それを伝承し続けていく事がいかに大切なことか。
「その先の長い眼差しを持つ」
軽やかな風とともにこの場所で気づきをいただき、そして心の奥に潜んでいた澱がなくなっていく。
たくさんお話をしてくださり、迎え入れてくださったご夫妻に心より感謝を。
良き出会いに巡り合わせてくれたこの地に感謝しかない巡り旅であった。