知らぬが仏
教典 122 「知らぬが仏」
知れば腹も立つが、知らないから仏のように平静でいられる。
また、本人だけが知らないで平然としているのを、あざけっていう語。
私は、過去記事にも書いたが、
自分が知らなければ、知らないところで、私の悪口を言われようがかまわない。
自分が知らなければ、知らないところで浮気されてもかまわない。
っていうか、
知りたくない!
昔は、違った。
自分のことについて、他人がどう思っているのかが、気になって気になってしかたがなかった!
だから、その分、ものすごい疑心暗鬼に襲われた。
だいたい、疑心暗鬼になって良かったり安心したことなど1度もない!
それどころか、一人で勝手に被害妄想の沼にハマって、余計ややこしいことになる。
疑心暗鬼におちいると、目の前の景色がみえなくなる。
だから、目の前の現実をとりあえず見る。
ユーチューバーのヒカルさんが言った。
「俺は言われてから反省する」と。
何も言われてない。
何も起きてない。
なのに、みえない何かにビクビクしたりドキドキしたりするのっておかしくない?
まぁ、好きでビクビクしたりドキドキしたいんだったらいいけど、私は、しんどいだけ。
だったら、言われてから、それがたしかに自分に非のあることだったらそれから反省しても遅くはない。
とりあえず、何もないなら普通にしてようよ。
自分の発言や行動がおかしいかも?って思えば聞けばええやん?
「昨日の私の発言おかしくなかった?」「昨日の行動、迷惑じゃなかった?」
たいていの場合、誰も気にしてないよ。
他人が自分をどう思ってるのか気になるって、きっとひとりぼっちになりたくないとか、自分のことを認めてほしいとかいう気持ちが強いからだと思うのね。
けど、そうやって思ってる時点で、すでに孤独感、感じてない?
だったら、私は疑心暗鬼になるより、どうせ孤独感かんじるなら、知らぬが仏で普通にしてた方がいいと思うけどね。
同じ、知らぬが仏でも、
本人だけが知らないで平然としているのを、あざけっていう語。
っていうのがあるけど、不安な人って、こっちになりたくないんだよね。
自分だけが知らなくて、みんなで自分のことあざけってるんじゃないかと勘ぐってしまう。
別にええやん!
自分が知らなければ、知らないままでええやん!
知ってどうすんのさ?
凹むだけやん?
なに?凹みたいの?傷つきたいの?
私は、凹みたくないし、傷つきたくない!
だから、知らぬが仏でけっこうです。