阪神淡路大震災から29年
その時、私は兵庫県姫路市で短大に通いながら人生で初の一人暮らしをしていました。
朝方、ゆらゆらとベッドが揺れるのです。
それがめっちゃ長く続き、とうとう船酔いみたいに気持ち悪くなってきました。
これは何かおかしい。
けど、まだ朝早くて、さすがに誰にも連絡できない。
とりあえず、揺れがおさまったので、私は呑気にそこから二度寝をしました。
朝、7時半くらいに起きて、テレビをつけると神戸の街が映し出され、
えらいことになってる!(大変なことになってる)
と、その場で、尼崎市に住んでる叔母に電話をかけました。
幸い、叔母が電話に出て、家は大丈夫だけど、お風呂場にヒビが入ったと。。
あと箪笥も倒れてきたけど、家族は大丈夫だって。
それから、実家の両親に電話をかけました。(普通順番逆?^^;)
両親も呑気なのか?そこまで実感がないのか?(実家は被災地から遠いので)、私が無事だとわかっただけで安心したみたいです。
そこから、もう記憶ないんですが、
とにかく連日、この話題。
自分でも、よく病まなかったなぁと今になって思うくらい。
当時はまだ携帯電話もそこまで普及してない時代ですからね。
で、後でわかったんですが、私が当時住んでた場所は震度5だったらしいです。
で、その年の春休み。
地元へ帰省するのに、姫路から大阪に出ないと帰れない。
普通に姫路から大阪までだと電車で1時間なんですね。
この時は
3時間かかりました。
大阪まで電車に乗ってる間、
窓の外はブルーシートに覆われた家がたくさんありました。
なのに、私は自分かわいさに
これ、こっちに帰ってくる時も3時間かけて姫路に戻らないといけないのか?嫌だなぁとクズの発想しかしてませんでした。
ところが、春休みが終わるころには、神戸線の一部が復旧したのです。
人の力ってすごい!
と感動したのを覚えてます。
だって、本当に、ごつい建物や道路が破壊されてたんですよ。
それを、この短期間で復旧なんて、ありえないと思ってました。
もちろん、そこから今のような街になるまで、どれだけの時間がかかったことか。。
とにかく、近年で、こんな大きな地震、さらに都心でっていうことが初めてだったので、問題や課題もたくさんありました。
私は、第一回目の『神戸ルミナリエ』を、尼崎市の叔母といっしょに見に行った思い出は今も鮮明に覚えてます。
あれから29年ですか。
私ですら、すでにこれくらいの記憶しか残ってません。
29年経って
今の日本は情報社会になり、技術や防災の意識も格段に高くなってる。
それでも、一度大きな地震が起きれば、一瞬で日常が壊され、生活が困難な状態になる。
それでも、
人の力
ってある。
私は今、田舎に住んでて、田舎の風習
大嫌いです。
田舎の行事
めんどくさいです。
だけど、それでも、今、地区の役員の順番がまわってきて引き受けてます。
ここに引っ越してきてすぐくらいに、地区の班長もやりました。
めちゃくちゃうっとうしくて、二度とやりたくないくらいです。
それでも、やって良かったとも思ってます。
なぜなら、自分の班の人の顔と名前を知ることができたからです。
で、普段は近所付き合いもないけれど、台風や大雨になると、みんなで様子を見ながら、車を避難させたりします。(うちの地域は川が近いんです)
そうやって、私たちは人との関わりなしに生きてはいけないんです。
時間はかかります。
めちゃくちゃ時間かかります。
それでも、人の力を信じて。