アプトプットが苦手な件
今日は、
・なぜ、アウトプットが苦手なのか
・なせ、アウトプットから逃げてきたのか
・なぜ、いまアウトプットしようと思ったのか
について、書いてみようと思います。
2025年の大きな目標は
「とにかく未完成でもいいからアウトプットする」こと!
これは、私にとって大きなチャレンジです。
SNS時代だからといって、誰もが「外側の世界に自分を見せていかなければいけない」なんていうことはありません。
私は、メンタルは強い方なのではないかと思います。生まれ持ってのそれは多分、あまり強くはなかったような気もしますが、後天的に鍛えられる人生だったので、今の感じになっていると思います。
ただ、批判には弱いのです。 「アウトプット」をすれば、そこにある種の批判がつきまとうことは、避けられません。
そして、わたしは、メタ認知能力が高過ぎるが故に、常に自分を相対評価してしまう癖があります。これは、転職活動などの場面では、プラスに働くこともあります。
ただ、そういった社会性とは少し離れたところにある「自分自身のやりたいこと」に対しても絶対評価で自分を認めてあげることが苦手です。結果、何をやっても「上には上がいる」の「上」ばかりを見てしまい、「わたしなんかがアウトプットしても意味ないよなー」みたいな感覚に陥ってしまうのです。
いろいろ頭の中にやりたいことは浮かぶけれど、もう1人の自分がいつもそういう「心に浮かぶワクワクの種」を、モグラ叩きのように叩きまくって、穴にまで手を突っ込んで、メチャクチャにして、なかったことにしてしまう。
それと、私は「言い訳上手」でもある。誇れることではないけれど。もっともらしい「やらない言い訳」を語るのが得意です。
そして、それらが「完璧主義」と結びついた結果、生まれるのは「自己完結型非アウトプットのわたし」。
「完璧主義」の最たる例が、イギリスの大学院での博士課程への進学です。
東日本大震災の記憶が生々しく残る2011年5月に渡英。
2012年10月にロンドン芸術大学 Central Saint Martins の修士課程(MA Innovation Management) に入学し、翌年に「サービスデザイン」という分野に出会いました。
それまで小売業やホテルなど日本の B to C の「サービス」の現場で働きながら感じてきたいろいろな疑問や、フラストレーションに対する「解」をみつけたような気持ちになって、夢中になりました。「サービスデザインのコンセプトを日本に持ち帰りたい。サービスの現場で苦しみながら懸命に働くかつてのわたしのような人々を助けたい」と強く思ったのです。
そうするからには、博士号くらい持ってなきゃ、説得力がないだろうと思いました。
修士課程でイギリスのアカデミアに魅せられていたわたしは、必死で博士課程に進むチャンスを掴みにいきました。そして、幸運にも中部にイギリス最大規模の広大なキャンパスを持ち、英国大学リーグトップ10 常連のラフバラ大学にて奨学金で博士課程に在籍する機会を得ました。
1年目をフルマークで突破。2年目には「PhD. Candidate」という「候補生」的な立ち位置から「PhD. Researcher」という肩書きを得ました。
医者や弁護士と違い、誰でも名乗れてしまうのが「デザイナー」。
正直、胡散臭い「なんちゃってデザイナー」もたくさん見てきました。だからこそ、流行りに便乗して、自分のマーケティングのために「サービスデザイナー」を名乗るような類の一群と自分を差別化したかった。
いま考えれば、フォーカスすべきは自分自身の信じる道なのであって、自分以外の誰かが「サービスデザイン」界隈で何をどうしてるかなんて、どうでもよかったのですが。
けれども、様々な事情で博士号取得を断念せざるを得ない状況になりました(この辺のことも今後、機会があれば書いてみようと思っています)。
それからは、とにかく自分を責めてばかりいました。もちろん、責める時の「出力」ボリュームは、時間の経過とともに弱くはなってきたけど、今でもその傷が完全になくなったわけではありません。
自分の名前の前に、DR.というたった2文字のアルファベットとピリオドを冠するためにどれだけ苦しんで、涙してきただろうかと思います。
そして、それを手放さざる得ない状況になった時、泣き叫びたいほど、悔しかったし、自己肯定感なんて地に落ちてしまいました。地に落ちたどころか、落とし穴の奥の、奥まで転げ落ちてしまった。
ラフバラ大学で一緒に切磋琢磨した世界中から集まったSexy Brainたちは、どんどん「DR.」になり、私のLinkedInは「DR. XXXX」で溢れかえったのです。彼ら、彼女らの頑張りに敬意を表する気持ちはもちろんありました。簡単なことではないからこそ、心から祝福する気持ちもありました。ただ、その一方で心の傷をえぐられるような気持ちになるから、Linkedinには、6年くらい近づけませんでした。
自分がイギリスで得たたくさんの素敵な経験よりも、手に入れられなかった「博士号」が重かったのです。
この経験が、わたしを益々「アウトプット」から遠ざけました。
2018年に約8年ぶりに日本に完全帰国して感じました。「ああ、日本では「セーシャイン」という肩書きを持っておくことが、最強の武器なんだ、と。「〇〇系の会社でセーシャイン」と言っておけば、誰もあまりその先を突っ込んで聞いてくることはありません。
私にとっての「セーシャインで会社員」は、日本で生きていくための、自分を外の世界から守る繭玉。この繭玉に包まれていることで得られる生きやすさは、計り知れない。
何も完璧にできない自分は、「セーシャイン」いう着ぐるみを着て、ひっそりと「真っ当に」生きているフリをすればいいと思っていました。
予期せぬ形で、本意ではない状態で日本に帰国してからもう6年が経ちました。
その間、コロナもありました。
火事で瀕死の重症を負った父も看取りました。
そして、いま。
もうそろそろ、着ぐるみに甘えて、自分を責めながら、過ごすのは終わりにしたいと思っています。
もちろん、6年間もずっと辛かったわけではなく、流れゆく時間の中で、傷は少しづづ癒え、様々な出会いにも恵まれてきたから、今の心境になれたのだと思います。
あ、とは言え「会社、辞めます!」みたいな宣言ではありません。
縁があって2022年から働き始めた今の会社をわたしは結構好きなんだなってことを最近、感じているので。
(今の会社に入社した背景や会社に対する想いは、LinkedInに書いてます。興味ある方は、下記URLからどうぞ。英語ですが、Deep Lとか使ってみてください。最近は、Google Translationもだいぶ性能上がったみたいなので)
https://www.linkedin.com/posts/momokotamada_today-is-the-last-day-i-work-under-yossi-activity-7279708199576854528-mfjE?utm_source=share&utm_medium=member_ios
最近、20代後半のとある関西系女子に言われました。
「いつまでひとりでやらはるんですかっ⁉️」
「もう、足りないことを埋めていってたら、ずっと終わりがないです」
「とにかく、やりましょう!」
幸いわたしは、年齢で人を見ません。自分より上でも、下でも、相手が何歳でも、言っていることが自分にとって学びになり、必要なことであり、共感できれば素直に耳を傾けることができます。これは自分のいいところ。
2025年、どんどんアウトプットしていこうと思います!
最後まで読んでくださった方がいらっしゃったなら、嬉しいです。
ありがとうございます。
2025年01月03日 東京の自宅にて。