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夏至の日に

夏至は、一年でいちばん昼が長い、陽の気が強い日。いつからか、私は季節の節目節目に、日の出や日の入りを拝むようになった。

そのきっかけは、まだ学生の頃、皆既日食を見に海外のガイドブックにも乗らないような土地に旅に出て、皆既日食を見たことが大きいように思う。草原の続く丘の上に座り、太陽の前に月が重なり地球の上に立つ自分と一直線になる瞬間、太陽は黒く、輪となった光を放ち、空には星々が広がった。私は、ミクロでもありマクロでもあるその一部であることを感じ、大いなる奇跡的なバランスのなかにいることを知った。光が戻るとその大いなるバランスのなかに命として存在していることに、この地球に生まれ、今ここにこうして旅をして、日食を見れて、立てていることに感謝を感じた。

そうしたことを意識するようになってから、世界のあちこちには、季節の節目に祝い、祈る、祭りの習慣があることを知り、私なりに自分のいる場所で、感じ、手を合わせることからなにかできたらと思うようになった。友人たちと伊豆へ朝日を拝みに行ったことや、一人でも海辺の街に出かけ、海から昇る朝日を拝みに行ったこともいくどかあった。日本の夏至の頃は、梅雨のさなかで、朝日を見れることは稀なのだけど、それでも雲の向こうから届く光から、極まる陽の力を感じれたことも自分のなかのたしかで大きな感覚だった。


一年前の夏至の日、私には自分の人生のなかの、大きな節目のはじまりを感じていた。それまで大きな病気をしたことがなかった母が体調を壊し、入院をし、検査をしていたちょうどそのころだった。父とは離婚をし、一人っ子で母と長く一緒にいたこともあり、母は私にとってとても大きな存在だった。

なんとなく軽い病でないように感じ、母が入院をしていた夏至の朝、私は夜明けごろに起きて、その時住んでいた家の近くを散歩した。私は緑が多い家の近所が好きだった。梅雨の湿った雨が降るなか、空に向かって小さな花を広げるダリアを見た。雨に濡れても、上を向いて咲くダリアをたくましく、美しく感じた。太陽がどこにあるかわからないくらいの厚い雲の向こうを見て、祈った。そしてその日から、光は私のなかでそれまでと異なるものになってしまった。

およそ半年後、母は旅立っていった。そこまでの半年、それからの半年、私にはさまざな気持ちが湧き上がっていった。自分のなかで、うまく消化できなくて、動けなくなったり、風邪を引いたりもした。でも、気軽に誰かに話すこともあまり得意な方ではないと知った。だけど、今しかない湧いてくる自分の気持ちを残してもおきたいとも思った。そうするなかで、きっとゆっくりでも新たな光を見つけていけたらと思った。そんなことを綴っていけたらと思って、はじめます。





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