地方の魅力を世界につなげるー株式会社 VIVID CREATIONS JAPAN小野 晴之さん
世界にあるたくさんの国々。
時代の流れとともに、各国の文化や個性が世界中に広がり、多様な価値観が生まれるようになりました。
株式会社 Vivid Creations Japanの代表小野さんは、アジア・シンガポールを中心に、地域と海外をつなぐインバウンド・アウトバウンドプロジェクトを手掛けています。
世界中を旅し、たくさんの人や文化に触れてきたからこそ、「日本」という国が、世界各地に影響を与えていることを肌で感じた小野さん。
国と国がつながり、世界がより豊かになるために大切なことは何か。また、日本、とりわけ地方にいながら世界とつながるために必要な取り組みについてお話を聞きました。
多様な価値観との出会い
ーー現在の活動について教えてください。
シンガポールを中心に日本全国のものやサービスを紹介するVivid Creationsの日本法人、株式会社 Vivid Creations Japanの代表を務めています。
母体であるVivid Creationsは友人がシンガポールで立ち上げた会社です。
日本にある食・伝統・地域の良さを世界に広めると同時に、世界中の新しいマーケットに挑戦する方を後押しすべく、マーケティング支援やイベントの企画運営などで、地域と海外をつないでいます。
岡山に拠点を移したことで、これからは瀬戸内地域中心にシンガポールでの経験や繋がりを活かした商品サービス・開発などのマーケティングやブランディング事業を立ち上げていきたいと考えて準備を進めているところですね。
ーー小野 晴之さんのこれまでについて教えてください
岡山市出身、小中高と岡山で過ごし、高校卒業後、アメリカに留学しました。
きっかけは、中学時代のホームステイ体験ですね。
サウスカロライナ州の学園都市で過ごしたのですが、違う国で生活したという体験をしたことで、アメリカの大学への進学も1つの選択肢として出てきました。
私自身、いろんな分野に興味があり、1つの分野で受験する日本の大学の仕組みでは進学先を絞りきれなかったという部分もあります(笑)
アメリカでは、さまざまな人種の人が言語や文化、宗教などを越えて同じ場所で過ごすことは当然かもしれませんが、その当たり前を目の当たりにして多くの刺激を得ました。
そして留学後もアメリカに留まり、日系企業の現地法人で営業として働いたあとに帰国しました。
帰国後は東京で人材系の広告会社で営業として働いていました。
多くの中小企業の経営者の方々とお会いする中で、私自身、より自分の興味のある海外と日本を繋ぐような仕事、且つ、出来るだけ自分の意見が反映されやすい、小さなチームで動けるような職場で働いてみたいという気持ちが湧いてきました。
キャリアチェンジのきっかけはネットでの発信
ーーどんな風にキャリアチェンジしたのですか
とりあえず、もっと世界を見に行こうと思って世界旅行に旅立ちました(笑)
訪れた世界各国の様子、とりわけその国で見つけた日本の文化や影響などを当時mixiやブログで発信していました。
漠然としてですが、自分が知らない国々に対する日本の影響、特に日本のアニメや食文化などのソフトコンテンツの影響の大きさを感じて。
この部分から派生するビジネスの可能性と、そういった仕事が出来たら良いなと感じ始めていました。
その旅先で感じるままに続けていた発信を、東京時代の友人が見てくれていたんです。
その友人が、現在のビジネスパートナーであり、シンガポールにあるVivid Creations代表です。
日本を発つ前には、日本のコンテンツを発信することが仕事になるとは思っていなかったし、シンガポールに住むようになるとは全く思っていなかったので、、、人生って何が起こるかわかりませんね(笑)
ーーひとりでシンガポールに移り住んだのですか?
最初は一人だったのですが、当時のパートナーが少し時期をずらしてシンガポールに移住してくれたんです。
移住する前の世界旅行の途中にも、休みを合わせていくつかの国を一緒に旅をしていたんですが、腰を据えてシンガポールに住むことになったことをきっかけにして結婚しました。
気がつけば10年シンガポールで暮らしました。
シンガポールだけでない新しい価値をつくりたい
ーーシンガポールを離れることになったきっかけは?
2015年頃からVivid Creations 現代表の齋藤が日本法人の立ち上げで東京にいて、シンガポールにいる私やチームと一緒に仕事をしていたのですが、2018年頃に日本法人の体制がひと段落し、シンガポールに戻って来ることになりまして。
少し間の時間はあったのですが、入れ替わるように2020年に私が日本に戻り、日本法人の代表として活動することになりました。
シンガポールにいるときから、国を越えて遠く離れた場所にいるクライアントやパートナー、メンバーともリモートで仕事をするのが当たり前だったので、日本で暮らすならば、自然が豊かで両親や親戚もいる岡山に戻りたいと思い、高校卒業後20年ぶりに地元・岡山で暮らすことに。
地元である岡山を中心に、地域側から海外に発信・展開を考えるビジネスを新規に立ち上げることに関して、シンガポールの代表やスタッフも背中を押してくれて、本当に感謝しています。
また、久しぶりの日本生活で慣れない部分もありますが、仕事をするうえで家族の存在はとても大きいものです。
家族みんなで岡山で生活をし始めてよかったと思います。
「自分だからこそ」を発信していく
ーー小野さんのこれからの取り組みについて教えてください
私の強みとして、岡山だけでなく、日本各地とシンガポールをつなぐことができます。
リアルに地方に住む自分だからこその視点と、この商品やサービスはシンガポールの人たちが面白いと思ってくれるのか?価値を感じてもらえるのか、シンガポールに10年間住んでいたからこそ、海外からの客観的な視点で問いかけができることも自分の価値だと思います。
どの領域でどの価値を出せるのか
どの役割をしていくと貢献になるのか
まだ関係性の構築から始めていることも多いですが、今は「種まきのとき」と考え、時間をかけながら地域の方々と関係性を紡ぎはじめています。
ーーどのようにして海外に日本の良さを伝えていくつもりですか?
世界に文化を伝えるということはそうなりますが、それだけではありません。
住む環境にもよりますが、日本国内にもさまざまな国籍の人が暮らしていますよね。
もちろん、海外に住んでいる弊社のメンバーや、それぞれの地域のプロフェッショナルと仕事をすることは重要ですが、地域に住んでいるさまざまな国籍の方々とも協業できることはあるのではないかと考えています。
海外から移り住んだ人たちの目線から、地元にあるものを改めて見返すのです。
違う目線から見ることで、地元の人にも自分たちの持つ文化や伝統のよさの再認識してほしいと考えています。
自分の経験でも、海外で受け入れられている日本文化を目の当たりにして驚きがたくさんありました。
私たちが普段、当たり前だと思っているものも、世界の目線から見ると、とてもユニークで素晴らしいものがたくさんあると感じています。
ーー具体的な事例はありますか?
例えば、岡山県内でいうと備前長船は日本刀の聖地ですよね。
海外から見ても、日本刀はとても魅力的な存在です。
発信をすれば、今以上に多くの人が興味をもってくれると思いますが、地元のどれくらいの人が日本刀を魅力的な存在と感じているでしょうか。
現在の日本刀は、美術品として人気がありますが、政治や文化、風俗、習慣などの歴史的要因により、変貌を続けてきました。
この受け継がれてきた文化を、今の人たちにわかりやすく現代風の解釈を加えることで、よりユニークな価値として捉え直すことができるのではないでしょうか。
そのために、地域の人・海外の人をつなげて興味を持った人を巻き込んで、地域活性につなげたり、関係人口を増やすサポートもできるのでは、と考えています。
課題として考えている人もたくさんいる
気づいているけど、どうしていいかわからない
そんなとき、今まで取り組んできたさまざまなプロジェクトを元に、より効果的なブランディングやマーケティングをご提案することができます。
私自身「いいものだから、海外に紹介したい」と感じるものが岡山だけでも本当にたくさんあるんですよ。
そういったものを、もっともっと地域の方と協力して紹介していきたいですね。
とにかく伝えることが大切
ーーこれから起業したい人へのメッセージをお願いします。
起業のために大切なことはたくさんありますが、自分の考えたことを発信することをおすすめします。
発信すれば、必ず情報が入ってくる。
私のmixiやブログでの発信が、今の仕事につながるだなんて全く想像できませんでした。
最初に思いついた時には雲をつかむような話でも、自分のビジョンや、やりたいことを打ち出すことで、ぼんやりしていたものの輪郭がはっきりと見えだしてかたちになってきます。
自分の発信に対して誰かの反応があれば感化されて、自分自身もアップデートしていくことができるのです。
私自身もこうして地域での新しい一歩を踏み出したところです。
夢や、こうなったらいいなと思える未来を語りながら、新しい価値を地域の方々と一緒につくりだしていけたらと考えています。
取材を終えて
小野さんの強みは、海外での暮らしを経たからこそ得られた「地方にある良いものを海外からの目線で客観的に見ること」
その強みが活かされ、瀬戸内地域だけでなく日本とシンガポール、ASEAN地域での交流が活性化する未来がすぐそこにきているのでは、と感じました。
「当たり前にあると思っていたものが、そうではなかった」
そんな再発見をする日がとても楽しみです。