私は今、器になっています。
タイトルにしたのは、陶芸家の岡崎裕子さんが自身の妊娠を発表した時の言葉です。
(と、記憶しているけどニュアンスは違ってるかも…?)
もう10年以上前、私が師匠の元で陶芸修行の真っ最中だった時のこと。
当時の岡崎さんは超売れっ子で、メディアにもよく出ていて、我々若手陶芸女子の憧れだったわけです。
だってセンスも良くて、暮らしも素敵で、その上美人でいらっしゃるっ。
陶芸家としての幸せに加えて、母になる幸せも手にした
(ように思えたの。20代前半で視野の狭い私には)
そんな彼女がとてもかっこよく見えて、わー、私も妊娠したらこれ使おう!と心に決めたものでした。
そして、私も今、器になっています。
私という器に入ってくれた我が子は、日々すくすくと成長してくれているようです。
ありがたいことです。
妊娠してからというもの、周りの人から「体、大事にね」とか「気をつけてね」なんて声をかけられる場面が増えました。
しかも今までみたいに挨拶的なものじゃなく、目の奥がわりと本気入ってるやつ。
そういった言葉にふれる度、あぁ、私って今ワレモノ注意なのね…思い知らされる毎日です。
これは自分が普段器を作っている時にも考えていたことですが
私が作っているのは所詮、器。ごはんおかずetc.を盛って使うためのもの。
メインは中身で、サブ的な存在です。
お行儀なんて気にしなければ調理した鍋から直に食べたっていいし、限界サバイバルの時ならその辺の葉っぱだって、手づかみだっていいわけです。
そんなものに作家の個性だの意匠だの凝らすのは、まぁ…自己満足ですよなぁ なんて思いながらも、その自己満足のために器を作る日々でした。
そんな私が現在は子を入れるただの器になって
大事に、大事に、日々を過ごさなければいけない状況となりました。
割らないように、割らないように。
揺らさず、冷やさず、栄養取って、ストレスもためずに。
あなたの全ては赤ちゃんのためなんですよ。
…そうなると途端に、つまらなくなりました。
なんて言うか、無個性。自分が磁器紛いの白くてツルツルした器になったような気分です。
ヤマ○キ春のパンまつりのアレです。うちも使ってるけどさ。ガシガシ洗っても重ねても壊れなくて使い勝手いいのよね。
教科書通りに暮らそうとすると、なんて注意事項の多いこと…。
自分で望んだことなのにね。
でも自己満足な個性なんかの主張で我が子に何かあったら、そんなの死ぬほど嫌じゃないですか。
と思って、冬眠中のクマか何かにでもなったように日々大人しく暮らしています。
コロナもあって益々出掛けられないのが辛い。
私にとっての陶芸とか仕事とか活動は、この退屈を彩るためにかなり必要だったんだな…と思い知らされました。
お仕事復帰したらもっと真面目に陶芸しよう、ってかしたい…。
実はこの文章、もう何ヵ月も書いては消して書いては保存しての繰り返ししてて、公表するかなーどうかなーとも思っていたものなんですけど
そろそろ臨月も終わるので、まとまってないけど投稿します。折角書いたし。
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