推しと、そのファンに救われた。
コロナ禍を迎えた私(当時、大学生)。
ジャニオタ生まれ、ジャニオタ育ちのオタクです。
私は突然、オンライン授業によって学校に通えなくなったストレスや、先の見えない不安から、心の不調に陥りました。
いつでも心にはモヤがかかっているように暗く、思い描いていたキラキラ大学生とは程遠い苦しい日々。
そんな私を救ってくれたのは
大好きなアイドルと、そのファンの人たちでした。
コロナ禍前夜
2019~2020年4月
世界中が新型コロナウイルスに飲み込まれる1年前。
私は晴れて大学生になりました。
1年後の悪夢なんてつゆ知らず、吞気に楽しくキャンパスライフを送りました。
派手とはいえない生活でしたが、
友達と学食に行って、わいわいおしゃべりしては一緒に授業に出て…そんな平和な日々でした。
襲来
2020年4月。
進級し、2年生になるタイミングで、世の中が一変しました。
そう、新型コロナウイルスの出現です。
ワイドショーでは深刻なニュースが流れ、なんとなく世間の空気が重たく沈んでいきます。
しかし私はというと、この時期は元気に過ごしていました。
学校はオンラインでずっと家にいましたが、テレビ見たりゲームしたり。趣味を楽しんでいました。
時間も増え、Twitterで色々なeighter(関ジャニ∞のファンの総称)とやり取りをするようにもなりました。
ただ、ライブや映画などの非日常空間が大好きだった私は、当分その空間に戻れることはなさそうだと察し、この先が不安になっていました。
精神、終了のお知らせ
2020年7月。
コロナ禍に突入して、初めての夏。
ずっと家にいる生活が当たり前になってしまった頃に、私の精神は終わりました。
例えば…
1.突然、周りの物事全体的に無関心になる。感情がなくなる。
今まで好きだったものにすら、心が動かなくなりました。
ずっと好きだったバラエティーを見ても、笑えない。好きだったDVD、ドラマ、コンテンツなんて山ほどありました。
どれを見ても楽しくなれないし、なんなら見る気力すら湧かない。
本当に突然で、自分でもなんでこんなになったのか、よくわかっていませんでした。
「何をやっても楽しめない自分、嫌い」となります。
→自己嫌悪の始まり。
2.人間不信になる
コロナの感染リスクを考えるとそんなに頻繁には出歩きたくなかったため、友達との遊び・食事も減りました。
一人暮らしで実家とも距離があり、
誰とも話さないうちに日が暮れることもしばしば。
そうすると人と会わない。
そして、人との距離感がわからなくなりました。
会う人会う人に自然に振舞おうとしすぎて、気を遣いすぎて、
どんな風に雑談していたのか思い出せなくなりました。
自分の出来事も話したいけど、なんか上手く話せない。友達にちゃんと聞いてもらえるかも不安。
人に裏切られたとか、ひどいことを言われたとか、そういう具体的なことはなかったのですが、私は聞き役に回るばかりでそれになんだか疲れてしまったのかもしれません。
いつの間にか自分の話なんてみんな興味ないし、つまらないんだろうなと思い始めます。自分のことを話すのを諦めました。
自分の話なんて面白くないと思い、自分をふさぎ込むように。
→さらなる自己嫌悪へ。
3.勉強やダイエットも取り組めなくなる
他の人はちゃんと自粛期間でも勉強できているし、痩せられている。
でも私は勉強は思ったように進まない。
食べることも好きだから、うまく痩せられない。
→自分を責め続ける。自分が大っ嫌いに。
こういうことが積み重なっていった結果、私は何もできない人間だと気付きます。
軽い人間不信と、自分への失望。
つまり、この世界で信じられるものがなくなったわけです。
もう何のために生きるのか、
生きていて意味があるのか、
さっぱりわからなくなりました。
そして、どこかに行きたいと考えることが増えました。
もうこの世界からは消えて、
私の記憶も消して、
そして私を誰もしらないどこかの世に行って、
0から、すべてをやり直したい。
「とにかくこの世界からは消えたい。
こんな落ち込んでばかりの自分は嫌だ」
そればかり考えてしまっていました。
そのうち2020年は終わり、
2021年に入っても毎日泣くか落ち込むか、
ストレスで食べるか。
それだけ。
もう無心で呼吸をするだけです。
それでも、人生は思ったよりもずっと素敵で。
ここから、どんどん想像もしていなかった世界が広がっていきます。
お笑いが光となる
2021年春。
だるい、気力がない、がスタンダードとなってしまっている時。
そう遠くはないところで芸人さんがライブを開催することとなりました。
これがコロナ明け、最初の転機だったと思っています。
お笑いは小学生の頃から好きでして。
でもテレビでネタ番組がやっていれば見る程度で、特に推してる芸人とかはいませんでした。
その開催をたまたまテレビで知った私は、
勇気を出してチケットを取りました。
お金を払ってお笑いライブに行くのは初めてでした。
大好きな関ジャニ∞のライブがなくなって、
実に1年半ぶりの現場。
テレビでたくさんみていた芸人さんが目の前にいること、
そしてそれをみんなで楽しもうというお客さんの熱気。
声は出せなくても笑いはOKということで、
聞こえてくる周りのお客さんたちの笑い声。
気付いたら、私は泣いていました。
たくさんの笑い声が聞こえてくる空間が
あたたかくて、
そこに自分も加わって、
一緒に笑っていることが嬉しかったからです。
やっぱり時間と空間を共有できる対面は、
格別だと改めて思いました。
帰り道、いつもより景色が鮮やかに見えました。
それからはお笑いライブが近くで開催されることも増えました。
調べてはチケットを取り、生のステージに元気をもらっていました。
当時もひたすら自己嫌悪で気分は悪かった毎日ですが、そのライブを楽しみに前を向ける時間が増えていたのは確かでした。
(そしてこれを機にお笑いに沼り、今では劇場へも通うこととなりました)
現場復活と新しい出会い
2021年、秋。
前向きになれる時間が増えていった中、
とうとう私の好きな関ジャニ∞が
ようやくライブをすることになりました。
コロナ禍の中でも、ネットでよく話すようになったeighterさんがいたので、声をかけて一緒にライブに応募しました。
推しというのはすごいもので。
そして現場というのはさらに素晴らしくて。
コロナ禍に突入する前に何度か行った関ジャニ∞の現場は楽しい思いでしかなかったので、しんどい中でもバリバリ遠征に向けて動き始めました。
そして、数回も当たりました。(友達が当ててくれたのと自分で当てたのとで。)
ライブなんて1つのツアーで1回しか入れたことのなかった私にとって夢みたいな話でした。
そしてツアー初日、ずっとネットでやり取りをしていた友達と初めて会えました。
そして、一緒に大好きな人たちのライブに入りました。
コロナ禍の1年半、
1番こまめに連絡を取ってくれていたその友達は、
丁寧に私に接してくれる人でした。
常に優しくて、面白くて、私の話に真っすぐ耳を傾けてくれる人です。
誰にも言えない辛い気持ちをそっとTwitterに呟けば、大丈夫?って時間をつかって連絡してくれたような、そんな優しい人でした。
今までの私のしっかり者の真面目キャラ(で一応今まで生きてきました)を知らない分、この友人とのメッセージのやり取りでは素直になって、色々と自分のことも話ができました。
その後、1人でライブに入った日には、
隣の席の見知らぬ女性が私に話しかけてくれました。
その女性は年上の方でしたが、人生経験豊富なこともあってか、とてもお話がお上手でした。
開演前後に、私の話をたくさん聞いていただきました。
別れ際、「あなたと話せて楽しかったわ、ありがとう」と言ってもらえました。
それは、自分の話はつまらないと、
自分をさらけ出すことを諦めていた私には嬉しすぎる言葉でした。
自分を受け入れてもらえた気がして、こっそり泣きながら帰ったのは、今でもいい思い出です。
別の回には、また別のTwitterで話すようになった方と初めて会って、一緒にライブに行きました。
彼女は「ありがとう」をたくさん伝えてくれる人でした。
「当ててくれてありがとう」
「誘ってくれてありがとう」
何度も私に感謝してくれて、むしろ突然誘った私が着いてきてくれてありがとうの気持ちでいっぱいになりました。
たくさんの人に出会い、たくさんのご縁に恵まれて、たくさんの幸せをもらいました。
その出会いに加えて、
ライブでの曲
演出
ずっと応援してきた人たちの笑顔
あたたかい言葉。
私がライブで感じてきたものすべてに
“好き”と“ぬくもり”が詰まっていて、
ライブから帰ってきた時、
気がついたら涙が溢れていました。
悲しくない涙を大量に流すのは、この時が人生で初めてでした。
そもそもライブが好きだった私にとって、
単純にライブは楽しく、
やはり非日常的な空間は、繰り返しの毎日に楽しみを与えてくれるものだと実感することができました。
それに加えて、新しい人たちとの出会い。
人に気を遣い、自分を出せなくなったことで、人といるのが苦しくなっていました。
そんな私がこの時に気づいた、
誰かと一緒にいることでしか味わえない幸せ。
改めて、人と何かを共有することは楽しいと気付くことができました。
そして付き合うのは疲れるからと、人との関係を作るのが億劫になっていましたが、
周りを見れば優しい eighter の友達がいてくれることに喜びを感じました。
もう1人じゃないんだと思うことができて、
それで涙が溢れたのだと思います。
この涙が自分の心の底にあった暗闇を洗い流してくれたような気がしています。
飲み込まれそうになっても
それからは、この友達との出会い、関ジャニ∞のツアーでの思い出を糧に前を向ける時間が増えました。
eighterの友達との「また絶対会おうね!」という約束を思い出すだけで
なんだか強くなれる気がするんです。
また谷底に吸い込まれるかのように苦しくなった時も、前を向けるようになりました。
だから今は、自分に失望しすぎずに、
期待しすぎずに、自分のペースで色々取り組めています。
この世界から消えたい、と思うことは完全にゼロにはなりませんでしたが、
それでもまたオタ友と現場で笑いあえる未来を信じて、頑張れるようになりました。
リア友とも、自分が疲れない適度な距離感を保ちながら会うことが増えました。
苦手になっていた自分の話をすることも、少しずつできるようになっています。
推しとそのファンに救われた
今でも、
会ってくれた友達や
話しかけてくれた隣の方、
そして結びつけてくれた関ジャニ∞には
本当に感謝しかありません。
私に寄り添ってくれてありがとう。
優しい言葉をたくさんくれてありがとう。
楽しさを共有してくれてありがとう。
幸せが詰まったステージを届けてくれてありがとう。
私を救ってくれてありがとう。
本気で、大真面目にそう思っています。
友達との出会いと
この関ジャニ∞のツアーに救われました。
思えば、2021年の初め。
私は、苦しくて泣いていました。
自分を嫌い続けて、責め続けた。
この世界から消えたかった。
それでも、
好きなアイドル・芸人さんとの空間の共有、そしてそれを愛する優しい人たちとの出会いがありました。
その空間の愛しさも、
人と嬉しさを共有できる尊さも、
コロナ禍があって初めて気がつきました。
たくさんの支えで
なんとか私にとっての苦しい時期を乗り越えることができました。
このnoteのアカウントは
どうしても私の2年間をどこかに形に残したくて、
こんな風に苦しんだ人が、
お笑いに、
関ジャニ∞に、
エンタメに救われた事実があることを記したくて。
世界の片隅でいいから誰かに伝えたくて
開設したものです。
エンタメは誰かの命を救うパワーがある。
不要不急なものだとは、これからは絶対に言わせない。
そう声を大にして伝えたい。
私はエンタメに命を救われたから。
最後までご覧いただいて、本当にありがとうございました。
皆様の明日と未来が、少しでも楽しく幸せなものでありますように。
力になるような言葉を差し上げられないからこその、せめてもの私の祈りです。
もっともっと、多くの方が生きやすい世界となりますように。
推しと、そのファンに救われたオタクより。
2021.12.24 (2022年 追記)