【取材記事】ちょっと社会人をお休みして、夢だった海外留学へ
学生時代からの夢を叶えた人がいる。彼女は母親の影響で英語や海外に興味を持つようになり、修学旅行で台湾を訪れた際、旅を通じて刺激を得る生活に魅了された。
大学生のころ、海外留学に憧れたものの、金銭面で断念。いつか自分で稼いだお金で行こうと心に決め、4年間会社員をしたのち、「キャリアブレイク留学」と称して約3ヶ月間のカナダ留学の夢を叶えた。
TABIPPOが運営する、「旅と人生をつなぐ、大人の学び」がコンセプトのオンラインスクール「POOLO LIFE」5期生のえりいさん。幼い頃は人見知りだったそうだ。進学や環境の変化をきっかけに、勇気を出して人との関わりを増やしたことで、フリーランスを目指したり、旅をしたり、同じ方向をみて進める仲間に出会うことができた。
一度諦めた夢を、もう一度動かすことができたのはなぜなのだろうか。20代後半に差し掛かって見えてきた景色と、海外留学の挑戦はどんな変化を及ぼしたのだろうか。
すべり止めで受かった高校で、少しずつ生活が変わり始めた
「わたしは、自分から話しかけるのが怖くて、大人数の場が苦手で、人見知りな子どもでした。どこか自信がなくて、人間関係で悩むことが多かったです。小学生のころ、夏休みの宿題でショルダーバッグを作ったら表彰されて、0から1を作る楽しさを知って、将来はファッションデザイナーになりたいと思うようになったんです。」
「中学では途中から美術部に入り、部活仲間の影響でアニメが好きになりました。中2のときから受験勉強を始めたものの、第一志望の学校には受からず、別の高校に通うことに。初めての大きな挫折で、かなりショックでした。そんな中始まった高校生活は、隣の席の子となんとなく気が合いそうだったので、勇気を出して話しかけたことをきっかけに、充実した毎日になりました。」
高校では文芸部と英語部に入部。英語のスピーチコンテストに出場するも、入賞することはできなかった。毎日練習したのに結果を残せなかった悔しさが生まれ、「もっと英語を学びたい」「日本語教師になりたい」と思いながら大学受験に勤しんだ。
しかしここでもまた、3つ受けた志望校に通うことは叶わなかった。卒業間近に、国際系の大学に合格し、そこへの進学を決意。高校受験、英語スピーチコンテストでの三度の落選、大学受験、三度の大きな挫折を味わったものの、高校で自分から話しかけて仲良くなった成功体験を得て、少し自信を持った状態で進学することができた。
国際交流の場作りに励んだ大学生活と、全く未経験のIT企業で始まった社会人生活
小学生のころに0から1を作る喜びを覚えた経験や、中学と高校での部活やスピーチコンテストの経験から、挑戦する姿勢を身につけた。大学ではイベント企画の団体に所属。他大学の学生との交流イベントや、留学生も対象にしたクリスマスパーティー・ハロウィンパーティを企画運営したり、日本語学校で留学生の話し相手をするボランティアにも参加した。
「大学3年生になって、ジェンダーやメディアに関するゼミに入りました。担当が外国人の先生だったので、講義や会話はすべて英語。帰国子女や普段から親と英語で話しているハーフの学生など、英語がペラペラな人ばかりに囲まれて、何を言ってるのか全然わからなかったのですが、なんとか卒業までしがみついていました。本当は大学の時に留学したかったんですが、当時の自分には金銭的に厳しくて行けませんでした。」
「働いて貯金をしてからもう一度留学に挑戦しよう」と就職活動をスタート。当時興味があったライターやウェブメディアのインターンシップに応募するが受からず、就活エージェントに勧められて、IT企業に就職した。
「新社会人としての生活は、しんどいことが多かったです。」
与えられたのは、プログラミングが正常に作動するか、ひとつずつ確認していく業務だった。慣れていくうちに淡々とした日々に変わり、大切だけど単純だから誰でもできる業務なんじゃないかという疑問が湧いた。なんのためにここにいるのかわからなくなった。
「1年目のころ、そんな業務さえも全然ない時期がありました。自分は誰からも必要とされていないと落ち込み、仕事中にトイレから出られなくなることもあり、精神科に通うようになりました。」
転職活動をする余力もなく、同じ会社で働き続けるうちに、周りの環境は変わり始めていた。刺激もなく、このままこの会社で働き続けるの?自分らしさってなんなんだろう。留学がよぎったのは、コロナになってからだった。
結婚や転職、留学など、自分の道を切り拓く友人たちに感化され、自分はどうしたいか考えるようになった
コロナでフルリモートになったことで時間に余裕が生まれ、本当にこれが自分がやりたいことなのか疑問が大きくなった。せっかくだからなにか始めようかなと、軽い気持ちで女性向けキャリアスクールの「SHElikes」に通い始めた。
「そのスクールでは、昔から興味があったウェブデザインの勉強をしました。女性限定のコミュニティだったので、受講以外の活動として同性だからこそ話せる心や体にまつわることを他の受講生さんと話したり、SNSで発信したりしていました。」
なんとなく入ったコミュニティも、気がつけば4年近く経過した。フリーランスを目指す同性の繋がりができて、少しずつ日常の中に、留学というかつてのやりたかったことを思い出すように。そこからさらに、性別問わず、海外経験のある人との繋がりが欲しいと思い、2023年4月から旅好きが集まるオンラインスクール、POOLO LIFEの5期生になった。
「5期自体は4月スタートでしたが、3月に過去のPOOLO生が集まる大規模な交流会があるとSNSで知りました。面白そう!参加したい!と思い、投稿者の方にDMを送って許可をいただき、すでに繋がっていた同期生たちを誘ってみんなで参加しました。SHElikesもPOOLOもオンラインがメインの活動でしたが、オフラインでバーベキューやお花見もあり、改めてイベントの企画や参加が好きだなと再認識しました。」
環境を変えるたびに少しずつ自分を鼓舞し、人に話しかけたり、新しい関係性構築に挑んだり。「新しい空間だからこそ、少しだけ勇気を出してみよう」そんな積み重ねは、いつからか大きな成功体験になっていた。
7年付き合ったパートナーとの婚約。家庭を持つ前に、あのとき諦めた夢を叶えたい
大学のころマッチングアプリで今のパートナーに出会い、波長が合っていたのか大きな喧嘩もなく、気がつけば7年が経っていた。そんなパートナーからプロポーズされて婚約。ライフステージが変わるまえに、すこし休みが欲しい。やっぱり海外で生活してみたい。そんな思いがより一層強くなった。
「大学のとき、バンクーバーでひとり旅をして、いつか留学するならこんな場所がいいなとぼんやり思っていました。ワーキングホリデーは飲食業などで働くイメージが強く、大学はひとつの分野を専攻する印象でした。予算的にも、海外生活を経験するという目的で考えても、3ヶ月くらいがちょうどいいかなと思い、語学学校への留学という選択をしました。」
夢の留学生活は、一体どんな毎日だったのだろうか。
「6時半に起きて、8時半から授業を受けて、学校帰りに買い物をして、食事や洗濯などの自炊をして、海外で日常を作る毎日でしたね。放課後に図書館に行ったり、週末は語学学校で出会った友だちや、ひとりで少し遠くまで小旅行をしたりもしていました。」
「語学学校は刺激と疲労の連続でした。授業では、毎日アイスブレイクとしてテーマに沿って雑談の時間があって、様々な国から来た学生と恋バナやお互いの国の文化の話などをしました。大学時代に英語を専攻していたとはいえ、ブランクもあるので言いたいことをうまく伝えられず、全然単語が出てこなくて、話したあとはどっと疲れる自分がいました。」
大学のゼミやSHElikesでの活動で女性特有の悩みなど、ジェンダーについて考える機会が多くあった。留学中は、現地での生活と並行してSNSでカナダにいるor興味があるフォロワーさんとの交流会も企画した。
約3ヶ月のキャリアブレイク留学を終えて、これからどんな未来を目指すのだろうか。
困っている人に寄り添えるサードプレイスを作りたい
「先日約3ヶ月の留学が終わり、帰国しました。カナダに行くために仕事を辞めたので、いまは何もしていません。貯金はほとんどありませんが時間はたくさんあるので、これからどうしようか悩む日も、やりたいことがたくさん湧いてきて活動的になる日もあります。」
「翻訳などの英語を活かした仕事や、日本語を教えたり、ウェブデザインやイベント・コミュニティの企画運営など、やりたいことがたくさんあります。私自身、少しずつ繋がりを増やしているものの、学生時代や、会社員になってから、そのコミュニティの中に居場所を作れない時期がありました。だからこそ、からだや心の悩みがある人、居場所がないと感じている人に、適切なアドバイスはできないかもしれないけど、寄り添える空間を作っていきたいと思っています。」
一度は諦めた留学の夢。「社会人になって、ライフステージが変わる前に、もう一度挑戦したい。」そう思い挑んだカナダへの語学留学。
「好きと得意を掛け合わせて生きていきたい」そう語り、新しい目標に向けて勉強を続けるえりいさんからは、継続力と行動力の高さを感じ、自分の声と向き合い続ける強さを分けてもらった。