理想の母と現実の母
義母は理想を絵に描いたような母親だ。
いつもニコニコしていて優しく、料理が得意で、村のご婦人方の中心にいて、どんなに小さなことでも取りこぼさず人を誉め、家族を信じ、温かく見守っている
。
『この先は男だの女だのの時代じゃない』との考えからみっちり家事を仕込まれた夫の畳む洗濯物はいつもピシッとしているし、料理は私が教わることも度々だ。
姑と小姑にいびられた自身の辛い経験から『もしお嫁さんができたら絶対に優しくする』と誓いを立てており
「誰を敵に回しても、アンタだけは絶対、あんちゃんの味方をしなさい。」
という言葉を夫に授けた人でもある。
実母は、料理は得意という点以外は、義母とはほぼ真逆の性質だ。
その料理も『愛情と時間をたっぷり使うことが美味しさのコツ』派の義母に対し
実母は『短時間でたっぷり作れる料理を極める』派である為、スタンスは全く異なる。
実母の話は大抵否定の言葉から始まり、そして終わる。
それは実母が辛辣な言い回しが得意だからで、その血を受け継ぐ私も同じだからだ。
例えば私が
「クラスの子達に『一緒にトイレ行こ』って言われたけどトイレしたくないから断ったのにしつこかった。わざわざ排泄音を聞かせようなんて、趣味の悪い子達。」
と言えば
「知らないの?それはトイレで情報交換してるのよ。額面通りにしか言葉を受け取れないなんて頭が悪いわね、だから成績も悪いし友達も少ないのよ。」
のように。
思春期に入ると、毎日このような些細なことで激しい口喧嘩が絶えなくなった。
いわゆる反抗期である。
実母は母である前に1人の人間なのだ、と25歳の頃に気付き、ようやく私は母に闇雲に意見をぶつけることを止めた。
約14年間、実に長い反抗期であった。
どちらが良い母親か、と人に尋ねたら多分、義母の方が多く票を獲得するだろう。
人が思い描く『理想の母親像』に含まれる要素のほとんどを義母は持ち合わせているから。
理想。それは生きていく上で追い続けて行くべき物、必要な物だ。
けれど、決して手に入れることができない物でもあると思う。
それを体現している義母は素晴らしい、しかし同時に奇妙で恐ろしい存在でもある。
というのが私が感じたことだ。
そういう訳で私は義母より実母の方が好きだ。
単に実の親子で血の繋がっているからなのかも知れないが
母親という生き物らしくない要素が目立つ実母だからこそ、遠慮なく睨み合ってぶつかり合えた。
結果、現在のような対等な関係を築けたのだと思う。
かつて夫は言った。
「母ちゃんはいつでも我が家の太陽だった」
彼女の為に発狂したり仕事を辞めたりする義姉2人も同意見だし、私もこの意見に賛同する。
初めて会った時からいつも義母は眩しかった。
その光は強大で、直視すれば目を潰され、近寄れば消し炭になってしまうと感じた。
己を保ったまま義母を好きでい続ける為には、物理的な距離が、日除けになる存在が、私には必要だと思った。
…書けば書くほど、同居は上手く行かなかったのだと分かる。
はじめから分かっていたのだ。
でも、難病を抱え生まれ育った土地を出なければいけない人間に対して『私があなたを好きでい続ける為に一緒に暮らせません』なんて理由を通せるはずはなかった。
もし、こういう気持ちを義実家の人に打ち明けたらきっと
おかあさんは優しいから大丈夫よ、と諭されたり
おかあさんは病気なのに酷いおかしい、と人格否定されたりしたことだろう。
実際、同居中、それに近いことを何度も言われた。
生きていると時々、義母のような人に出逢う。
誰にでも好かれ、誰にでも認められ、人に悪口を言わせない空気を作れる人が。
苦手だと思う私がダメなのだ、と思わせられる人が。
そういう人は必ず、複数の支持者に守られている。
そこに染まるか離れるかしか生き延びる術はない。
繰り返すが、生きてゆくのに理想は必要だ。
けれど同時に、その為に自分を壊すことがあってはならない。
届かない遠いところにあるそれを見失わないように進めば良いと思っている。
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