楽しい『家族』旅行〜当日談〜

旅行は義母の退院の3週間後。県内のホテルでの1泊2日を予定していた。
その間起こった出来事としては、桜でんぶ事件、肉屋のお肉騒動、親族宅突撃強要、積み木破壊衝動、などが挙げられる。
今回のnoteでは上記のエピソードは省略するが、初めての同居生活に慣れぬ中で育児も家事も仕事もこなしつつ、そのような腹の立つ下らない事柄に対応し、更には旅行の準備まで整えねばならない、そんな日々はなかなかに骨が折れるものだったとお察し頂ければ嬉しく思う。

旅行時の注意点を主治医に確認することが、私の一番大事な役割だった。
旅行初日は透析後なので入浴は禁止とか、常用薬はもちろん屯用の薬やバイタル測定セットを持って行くようにとか、長距離移動は車椅子で、のような
普段家で気をつけていることをより気をつけるようにという主旨の助言を頂いた。

もう1つ重大な役割は息子の離乳食の買い出しである。
1歳3ヶ月児の為の料理の準備はできないと分かっていたので、離乳食の準備は必須事項だった。
乳幼児用の椅子はあるということだったので、それで十分だった。
「大人や子どもの食事で息子君が食べられる物があれば分けてあげるね!
弟にもあんちゃんにもゆっくり食べさせてあげたいし!」
という義姉(長女)の言葉もありがたかった。
彼女の気遣いはそれだけではない。
なんと、宿泊先の部屋が全家族が同じ階で隣同士になるように予約を取って下さっていたのだ。
義母を想うが故になのだろう、と当時の私は考えた。
そして、宿泊部屋を変更して頂くことにした。
全家族が同じ階で隣同士になる為に予約できるのはフローリングにベッドタイプの部屋のみ。
よちよち歩きができるようになってまだ3ヶ月程度の、わんぱくで寝相の悪い息子をベッドに寝かせることは難しいと考えた為である。
「姉ちゃん。ごめんけど、うちの子をベッドに寝させる勇気はまだないわ」
と義姉(長女)に電話する夫に対し、最初こそ
「えー?ベッドでも大丈夫だよー!」
と義姉(長女)は言ったが、結局は予約を取り直して下さり、この問題は解決となった。

旅行当日。
透析の前も後も義母の体調は良く、私達は予定通り旅立った。
それぞれの車でホテルに到着した後は皆、ロビーや部屋で雑談をするなど楽しんで過ごされたことと思う。
私と夫と息子は速やかに部屋に移動すると、手足を伸ばしたり愚痴を吐いたり、夕食までどう動くのか話し合った。
「まずはこのシャワースペースで息子のお風呂だね。その後、交代で温泉に行こう。」
私達にゆっくり温泉に浸かって欲しい、というのが義姉(長女)の願いであったが
オムツの外れていない息子を大浴場に連れて行く気はなかったのだ。
「一緒にやろう、慣れない場所だから泣くだろうし。」
「それが良いね。お風呂はどっちが先に行く?」
「あんり先に行きなよ。姉ちゃん達、飯の時間ギリギリまで母ちゃんと喋るだろうから。
姉ちゃん達とかち合ったら、風呂入った気にならんやろ。」
そういう訳で、大浴場へは私が先に向かった。
とは言え、終始周囲に警戒していたせいで、結局入った気はあまりしなかったのだけれど。

夕飯は貸切の部屋で摂ることになっていた。
会場には円卓が3つあった。
上座の円卓には義父母が座っており、義姉2人はその隣で、楽しそうにお喋りをしていた。
中央の円卓では、義兄(長女側)がお気に入りの甥をからかうのに夢中になっていた。
残りの甥姪は部屋のあちこちに散らばって、それぞれ親しい甥姪と喋ったり遊んだりしている。
乳幼児用の椅子は入口から一番近い円卓にあった。
私達3人の席はここなのだろうか?
その時、私達に歩み寄ってきた義兄(次女側)に尋ねたところ、以下のように説明を受けた。

上座に座るのは、義父母、義姉2人、そして夫、の5人。
下座に座るのは私と息子、未就学の甥と姪。
残りの甥姪と義兄2人が、中央の円卓である、と。

夫は驚きで言葉を失い、私は怒りで体を震わせた。
「お前ら、これで大丈夫なのか?」
と問う義兄(次女側)に私は即座に返事をした。
「構いません。」
その冷淡な口調と表情が意味することを察し、夫は慌てて声を上げた。
「義兄ちゃん、俺はこの席嫌だ。俺はあんりと息子と同じ席に…」
私は腹立ちまぎれに夫の言葉を遮った。
「義姉さん達がお義母さんの為に、良い、とお思いになって決めたことでしょうから。
何の異議もないです。義兄さん、私は大丈夫ですので。」
大丈夫な訳がないのに何故私はこんなことを言ったのか。
この席配置を決めた者の足をすくってやろうと考えていたのだ。
誰だか知らないが、その犯人はきっと、私が我が子とよその子の両方の食事の世話でてんやわんやになるところが見たいのだ。
そうでなければわざわざこんな、私だけがゆっくり食事を摂れない席配置にする必要がないではないか。
完璧にお世話をしてみせる、思い通りになってたまるものか。
…もちろんそれは正しい思考ではない。
彼女達の性格上、嫌がらせのつもりはなく、義母至上主義が暴走した結果生まれた綻びなのだろうことは、冷静になればすぐに分かることだ。
口先だけ『家族』を謳っているだけで私はその中に入っていない。
私が夫と息子だけしか『家族』と思わないのと同じことなのだ。
しかし、旅行の経緯も相まって、私は心底腹を立てていたので
落ち着いて正しい道を探るより、手っ取り早く胸のすく行動を取りたかった。

「よし。お前らの気持ちはよーく分かった。」
私と夫の顔を黙って見比べていた義兄(次女側)はポンと膝を叩くとこう呟いた。かと思うと
「おーい、子ども達!全員集合!席替えすんぞー!!!」
と叫んだ。そして瞬く間に席配置を変更した。

上座に座るのは義父母、義姉2人の4人。
下座の配置は、息子を挟む形で私と夫、未就学の甥姪を挟む形で年長の甥と姪。
残りの甥姪と義兄2人が、中央の円卓へ。

「これで良いな?」
と、言って義兄(次女側)はニッと笑った。
まだ怒りはくすぶっていたが、私達の気持ちを汲み、尚且つ場の雰囲気を壊さないよう立ち回ってくれた彼の為に、大人しく従うことにした。
礼を述べる私と夫を軽くあしらうと、イタズラをしている自身の子を叱るべく、中央の円卓へと戻って行った。

こうして私達は思いのほか穏やかに食事の時間を過ごせた。
食後の団欒も笑顔で楽しめた。
美味しい料理のせいかも知れないし、皆が義母に夢中だったせいかも知れない。
気付いていない所で、また義兄(次女側)が助けてくれたのだろうとも思う。

あの旅行を思い出すたび、席配置はどちらの義姉が決めたのだろう、と考えずにはいられない。
私はずっと長女の方だろうと思っていたが、先日夫がそれに異議を唱えた。
それならば義兄(次女側)が助け舟を出した理由に説明がつかない、と。
「うちの旗振り役はいつも次女姉だったし。
あの頃、母ちゃんとの思い出作りに一番こだわってたのも次女姉だし。」

真相は未だに分からない。
2024年8月現在、絶縁に近い状態の義姉(長女)にも、最低限の連絡しか取り合わない義姉(次女)にも、わざわざこの件で連絡を取る気はない。

義姉が作ってくれたアルバムの最終ページは、2日目の朝、スイートルームの大きなバスタブに浸かっている義母の満面の笑みで締めくくられている。
義母にとっては文字通り、楽しい『家族』旅行だったのだ。
※そこに写っているのはもちろん肩から上のみである。念の為。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?