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トゥールーズで最も豪華な邸宅≪アセザ館≫にある美術館


ピエール・アセザという貿易商人

トゥールーズにあるアセザ館は ルネサンス期にパステル貿易によって莫大な富を生み出したバステル豪商ピエール・アセザのお屋敷です。

トゥールーズに数多くある貴族や豪商の邸宅の中で最も優れたルネッサンス様式のものです。
ピエール・アセザの死後、数人の手に渡りましたが、最後にはトゥールーズ市に寄贈されました。


トゥールーズの二コラ・バシュリエ氏による建築

ジョルジュ・ベンベルグという裕福なコレクショナー

ジョルジュ・ベンベルグは1915年にアルゼンチンで裕福なドイツ人一家の子供として生まれました。
幼いころから芸術が好きで、初めて美術コレクションを購入したのがなんと13歳の時、そのあと18歳で絵画を初購入しました。

ニューヨークやパリにも邸宅を持っていたため、色々散らばっていた彼の美術コレクションを一か所でまとめたいと考え、パリではなくほかのフランスの土地で探していました。(パリはもうすでに多くの美術館があり、興味はなかったようです)

その時ちょうど トゥールーズ市長がこのアセザ館を提案し、ジョルジュ・ベンベルグは初めてトゥールーズの地に足を踏み入れてここに見学に来ました。

結果、彼はこの土地そしてアセザ館をとても気に入り、ベンベルグ財団美術館を開館させる運びになりました。


パブロ・ピカソ画 ジョルジュ・ベンベルグ

ピエール・ボナール 「ナビ・ジャポナール」と呼ばれた日本びいき画家

ジョルジュ・ベンベルグの特にお気に入りは ピエール・ボナールでした。
個人のコレクションとしてはかなりの数に上ります。

ピエール・ボナールは ナビ派のフランス画家。
ジャポニズム(浮世絵などの日本美術)の影響を強く受け、「ナビ・ジャポナール」(日本かぶれのナビ、日本的なナビ)と呼ばれた。
人物やテーブルなどの主要なモチーフが画面の端で断ち切られた構図は、伝統的な西洋美術には見られないもので、浮世絵版画の影響と思われる。

wiki

ジョルジュ・ベンベルグはピエール・ボナールがまだ存命の時に会うこともできたのですが、なぜか会いに行かなかったそうです。

ピエール・ボナールがとても控えめであまり外交的ではなかったことも一つの原因かもしれません。


ピエール・ボナール 自画像
左の絵は 最愛の妻が亡くなり、さらに第二次世界対戦も開始され、孤独に苛まれてた頃。

コレクション


モネ

1883 エトルタの船 
外でスケッチを終わらせないといけないため、ラフなタッチに。 船に緑や赤などの原色も使われてる


右 長男 ジャン・モネの肖像画

カミーユ ピサロ

娘の肖像画
これが一番かわいかった

モーリス ユトリロ

1922 パリ バイヤン通り


女性の顔がかわいい

ピエール・ボナール

1903 入浴する女
自分の妻の絵を描くが、顔は正面を向かないように描かれてる。


男性の頭や馬の脚が切れている
浮世絵を参考にしたと思われる

ドガ ルノワール

左 ドガ 肩ひもを再調整するダンサー      右 ルノワール 若い娘のポートレート

ルーカス・クラナッハ(父)

1537 ヘラクレスとオンファレ
女性たちに女装させられてるヘラクレス。
右端の女性に惚れてしまって、されたい放題のヘラクレス。


1537の下に龍のマーク
翼を持った龍がルビーの指輪をくわえている家紋をザクセン侯から与えられたため

エリザベート ヴィジェ ル ブラン

1792 フローラ精になったカゲネック伯爵夫人の肖像
マリー・アントワネットなども描いた女性画家。
フランス革命によりフランスから逃避。
女性を盛って描いてくれる。

ポール・シニャック

1896 サントロペの鐘楼
細かい点を打って絵を完成させている


細かい!

ベルト モリゾ

1886 読書する少女

ジョルジュ・ブラック

窓から望むエスコー川
キュービズムの始まり

パオロ・ヴェロネーゼ (パオロ・カリアーリ)

1560 鷹匠
もともと建物に描かれてただまし絵。
肖像画ではなく 足まで描かれているのが珍しい。

フランチェスコ・グアルディ


1022 リアルト橋
ヴェネチアを描いたヴェドゥータ(景観画)
旅行ブームの始まり

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