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自分改革と不死鳥と・・・

いつも直感で動く私
3月からの行動で何度自分にこの言葉をかけただろう・・・
「なんでここにいるんだろう?」

私がやりたいことが先にあるとも限らない。
ただ流れの中に身を委ねただけでそこにいる。
何かを求めている訳ではない。
そこに何かがある!という確信もない。

「単なる無駄※」
私はいつも無駄に囲まれて生きている。
でもそんな中にいることは
とても「贅沢」だったことに気が付く。

ただ流れに身を委ね、その中の偶然から全く見えない細い糸で繋がり、ご縁のある人は意図せずに再開の機会が訪れたり、
声をかけたくなる出来事が私に起こったり・・・
ここ5年くらい、ただそれだけで沢山の人と繋がってきた。

そんな偶然だからこそ、出会う瞬間を大切にしてきたし、
こんな何者でもない私と波長を感じるだけで繋がってくれる方たちを
愛しく思ってきた。

その繰り返しは、思いがけない沢山の人達とのネットワークを作り始め、それまでの人生とは全く別の景色を私に見せてくれるようになっていた。

そこに冒頭の問いである。
「なんでここにいるんだろう?」
いつもアウェイに飛び込んでいたから、以前から頭をよぎることはあった。
でもここ数カ月は明らかに強くなっている。

今日はその理由が分かった気がする。
私は何かに向かおうとする「意志」を強く持ち始めたからだ。
意志が行動に「目的」を求めている。

ずっと私はエバンジェリストを演じようとしていたのかもしれない。
出会って面白いと感じたことを自分の中に蓄積し、もらったワクワクを爆発させながら語っていた。

発信する内容を変えたいという想いと、
変える時だと肝に銘じさせる流れが私の中に一気に流れ込んできた。
代弁者は本質からの強い繋がりを作り得ないし、自分が動けないのだから話も浅くなる。
どんなに面白いと感じて熱弁しても、発信元の仲介者にしか成り得ない。

自分が生み出すということは誰かの発信に同調するのとは違う。
見つけるのではなく、産み出す。
それは頼るものがない、孤独な挑戦だ。

私の中に、自分自身が築き上げたものを土台にして語りたいという気持ちが流れ始めていた。

今回の旅で出会ったのは
孤独の中で必死に藻掻き苦しんできた方が
不死鳥のように羽を大きく広げるシーンだった。

その方の講演は
孤独の中で必死に食らいついて築き上げた未来へのシナリオを
力強く語り始める場面のようだった。

あの圧倒的なエネルギーは
強く私の心に刻んでおこうと思う。


※「単なる無駄」について
この言葉が出てきたのは林雄二郎さんについて学んだ仲間が「無駄」をキーワードとして発表をしていたのが頭に残り、使いました。
無目的で意識より感覚から判断し、結果を求めない行動を指す言葉として使っています。
その行動から何を得るかは自分の解釈次第。


〈追記〉
読み直すと自分に言い聞かせている気もしてきた。
エバンジェリストにもなりたいんだよね。
だってサイエンスにワクワクした瞳に会いたいんだもん🥰

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