ボウキョウ第11話 感想note

ここまで書けて、ほんとうによかった…

まず、読み始めて、第10話の流れを汲んで、テンポが戻り、描かれる内容もタッチも穏やか。物語がハッピーエンドに向かう様子にほっとしました。登場人物それぞれが物語の始めよりも、なんだか「そのひとらしく」なって感じられるのは、大きな出来事にぶつかって、それぞれが何かを感じ、思い、考え、歩き出したからかもしれませんね。

読みながら、とにかく、ハッピーエンドに浸る浸る。浸りすぎて、ふやけそう。
その中でも、おばあちゃんの仮設住宅に一家が集まるシーンがいちばんいいなぁと感じました。わたしの家は、トラブルの全くない家庭や親戚関係だったわけではないけれど、祖父母と伯父伯母にかわいがられ、いとこたちとたくさん遊んだ子どもの頃の思い出と重なって、懐かしく、にこにこしてしまいました。ハッピーエンドって、いいよね。たまらんです。

ここで「ボウキョウ」の物語本編は終わります。
ただ、東日本大震災と原発事故をはじめ、この物語で取り上げられたいくつもの出来事は、わたしたちの現実に今この瞬間も確かに存在しているものだと思います。
物語が終わったって、現実は続きます。今も続いています。
ハッピーエンドにだって、実際は「さらに向こう」があるんです。
物語の中の「空が繋がっている」という言葉を借りれば、百年前と今の空、充希にとっての「この町」と「あの町」、そして、物語の空と現実のわたしたちの見上げる空だって繋がっているのかもしれません。
わたしは、ミトさんと「ボウキョウ」から、出来事から背を向けず見つめるきっかけを、自分のものとして考える機会をいただきました。
今までのわたしなら、こういうときには「わたしにもできることを考えていきたいです」と結んだだろうと思います。だけど、いい加減、わたしも大人です。「考える」だけでは何も変わらない、変えられないと身をもって感じ、知っています。だから、あたまやこころの中にとどめるのはやめて、表現し、行動する。手も足もこのまま止めずに、物語の終わりの向こう側を追い求めていきたいと思っています。

ひとは変わっていける、変えていける。それは、きっと、素敵なことなんだ。「ボウキョウ」は、わたしの中では「望郷」で、希望をくれた物語です。出逢えてよかった。南葦ミトさん、ありがとうございました。