なぜ走り続けるのか。 秋
前回の内容 ↓
8月12日
Kくんに電話したはずが、Sが電話に出るという意味わからないことから、さらによくわからない内容を告げられた。
Kくんを探してると聞き、心がザワついた。
一旦、電話をきり頭を整理しながら家に帰宅し、たまたま家にいた母に事情を告げた。
お盆ということもあり、母と2人で祖父母のお墓参りに行った。
母はお墓の前で目をつぶり
『どうか若い命を守ってあげてください』
そう呟いていた。
私はやはりそういうことだよなと、そこで整理がついた。
8月13日
夜、ひとり外に出て岡山の友達の家へ向かっていた。
そこに1本の電話がかかってきた。
専門学校の友達(H)からだ。
H『もしもし、Kくんの通夜だけど実家でするみたいだから・・・』
私『えっ!!!???ちょっと、ちょっと待って』
私『Kくんは・・・』
H『もしかして、、、聞いてなかった』
H『Kくんは川で発見されて、朝方なくなったよ』
私『いや、うそやろ。なあ。嘘よな?』
H『・・・』
私『そうか。』
Kくんは川で発見され病院に連れて行かれたがダメっだったらしい。
Kくんは鹿児島出身で、親族が病院まできて次の日の朝方連れて帰る。
だからもし会うなら朝までに岐阜の病院に行かないと。というHくんからの連絡だった。
それを聞いた私は居ても立っても居られなかった。
すぐに出発しようと思ったが、夜で行くには危険と家族に止められ、朝出発することに。
8月14日
朝一の新幹線に乗り、岐阜県のKくんが居る病院に向かった。
病院にはよく遊んでいた友達数人が集まっていた。
まだ信じられないから、どうにかしてKくんに会いたかった。
みんなにもう会えたのかと聞くと、あまりに姿が変わっているので面会は無しでと。
私はいやいや、確認させろよ。見させろよ。と叫びたかった。
そんな思いも虚しく、すぐにKくんの親族らしい人たちが病院から出てきて、そのすぐそばには白いバカでかい箱がゴロゴロと運び出されてきた。
なんだよそれ。なんで親族みたいな人たちはこっちに頭下げてんだよ。
そのまま白い箱はよく見る黒い車に積まれていった。
私は自然と涙が出てきて止まらなかった。
今まで出したことない涙の量。
そして立っていられないぐらい力が抜けて座り込んだ。
実感に変わった瞬間だった。
夏休み
岐阜から岡山へすぐ戻ってきた。
だが、何もできない時間が続いた。
夏休みも終わろうとしていた。
やっぱりKくんに会いたい。
そう思った私は友達数人と鹿児島へ向かっていた。
当時、mixiなどが流行っていてKくんの地元の友達と繋がることができた。
Kくんの両親とも繋いでくれて、私たちはなんとか向かうことができた。
Kくんの両親や兄弟はまだ亡くなって間もないのに、私たちを優しく出迎えてくれて、そして笑顔をたやさない。そんな家族だった。
1番辛いのは家族に決まっているのに。
どんな想いで今まで18年間育ててきたのか。
どんな想いで地元から息子を見送って岐阜に行かせたのか。
行かせたことに後悔はしていないのか。
20歳になって成人式を見たかっただろう。
彼女を連れてきて、結婚式をして、孫の姿をみて、孫の面倒をみて。
もっともっともーーーーーーっと
生きてほしかっただろう。
なんでこんな家族を残して死んじまったんだよ。
バカやろう。