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42歳と14日 本当は若いかーさんになりたかった

day26、36.42℃

今朝の体調:
progesterone服用5日目
だるい、とにかくだるい。
昨夜も早寝(21:45くらいに消灯)したから
早朝散歩に行ってきた。
この国は、朝の6時を過ぎるともう暑い。
そして、余計にだるさが増す。



私の母は、31歳で長女の私を産んだ。
昭和50年代の当時では、少し遅めの結婚&出産だった。

小学生や中学生のときに、同級生の若いお母さんたちを見て
私もあんな風に若いお母さんになりたいと思っていた。

「20歳くらいで産みたいな~」

子供の作り方さえ知らない、子供な私のふわっとした夢。

実際の人生では、私は国立大学へ進学。

勉強もできたし、芸術科目もわりとできて、成績がよかったから
大学に行くのが当たり前のような流れだった。

予備校では特待生で、月謝は無料だった。

大学時代に付き合った人と、同棲して、
親もその人と結婚するものだと思っていたし、
私もこの人の子供を産むのだと思っていた。

在学中に産んでもいい、くらいに思っていた。

しかし、3年半くらいして、振られる。

人生初の大失恋だった。



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29歳のときに、前夫と結婚。

すでに20歳のかーさんの夢から9年経過。

なかなか子供ができないから、勇気を出して検査をした。

すると、前夫の精子は非常に薄く、元気もないことが分かった。

顕微鏡をのぞいたら
ほとんどの精子が微動だにしていなかった。

10年頑張っても、子供ができるかどうか、
と言われた。

不妊治療専門のクリニックに移り、不妊治療を開始。

人工授精を7回くらいはした。

結局、すべて失敗。

私の身体や精神にばかり負担がかかり
それに理解や思いやりのない夫から心は離れて行った。

そして、子供は要らない、とスイッチがoffになった。



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39歳で現夫と再婚。

20歳のかーさんの夢から19年経過。

私の身体を一番に心配してくれる夫。

入籍するかしないかくらいのとき、

「妊娠、出産が私の身体の負担になるようなら、
 代理母とか養子とかの方法があるよ」

と、色々と調べた方法を伝えてくれた。

まだ、日本と台湾で離れて暮らしていたのに、
将来の私の身体と心の負担を少しでも軽くしようという
夫の優しさにふれた。

そして、現在。

20歳の若いかーさんの夢から、22年も経ってしまったけど
今はね、本当にももちゃんに会いたいんだよ。


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