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セロリ

時は昭和40年代前半のこと、横浜に住んでいた男の子が寝苦しい夏の夜を布団の上で過ごしていました。じっとしていても汗がタラリと額を伝い、それを寝ぼけながら手で拭っていると、ちろちろとした感覚が顔の上を行ったり来たりし始めます。男の子は鬱陶しさをかみ殺しながらその感覚のする場所へ手を動かします。その瞬間、まるで野原に生える草を全て搾ったような青臭い空気が鼻に飛び込み、男の子は驚いて目を覚まします。慌てて洗面所へ駆け込み顔を洗うと、その臭いは収まるばかりか更に勢いを増し、男の子はそのあまりに現実離れした状況を理解できないまま、晩御飯に食べた冷奴と冷麦を全て胃袋から吐き出してしまいました。物音に気がついて起きだした男の子の母親は、男の子の布団を見て「臭い!」と大声をあげています。父親も目を覚まし、同じように「臭い!」と言いながら私の布団を抱えて窓を開け、そこにあったものを外に捨てています。突然襲ってきた臭いの原因は、カメムシでした。男の子はその存在を、眠りを妨げられて怒り心頭に達していた父親から教えられたのでした。
時は流れ、昭和40年代も中盤に入った頃のこと。新し物好きの母親が初めて見たと言いながらスーパーで買ってきた野菜を調理し始めていました。外で遊んでいた男の子が家に帰ってくると、その野菜から放たれた臭いにあの夏の夜を思い出し、トイレに駆け込んで買い食いしたよっちゃんいかを吐き出しました。その野菜こそ、男の子が50歳を過ぎた今でも忌み嫌うもの、つまりセロリだったわけです。

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