見出し画像

the pillowsが解散した、忘れたくない日の記録

昨日のライブ後は、忘れてはいけないという気持ちと、何かから目を背けたい気持ちがあった。

アルコールのせいなのか眠りが浅くて、寝たり起きたりを繰り返しながら、気が付いたらお昼前になっていた。

スマホを開くと、一番見たくなかったメールが届いていて、すぐにスマホを閉じた。

涙は出なかった。
永遠に続くものなんてなくて、いつかなくなることをもう知っていたから。

しばらくの間、目を閉じてたくさんの景色を思い出していた。

はじめて出会った実家の部屋。
はじめて買ったCD。
そのツアーで行ったはじめてのライブ。
30周年の横浜アリーナ。
35周年の豊洲PIT。
そして、昨日のライブ。

他にも、たくさん、ほんとうにたくさんの思い出がある。

出会ってからおよそ20年。
人生のほとんど全部だった。



息の仕方を忘れて、このまま部屋にいてはいけないと思った。

外に出て、あてもなくひたすら歩いた。
イヤホンからは爆音で音楽が流れている。

歩いている途中で、昔付き合っていた人から「大丈夫?」と連絡が来た。

曲とともに当時の思い出が蘇って、視界がぼやける。『ジョニー・ストロボ』が流れていた。


3時間歩いて、5年ほど前に住んでいた街に着いた。

当時開発中だった駅前は、商店街がなくなってすっかり様変わりしていた。
河川敷には、スケボーの広場や、小さなバーベキュー場ができていたりして、景色が変わっていた。

変わらないものもたくさんあった。

引っ越し初日に水道が使えなくて歯磨きをした公園。
まったく開かない踏み切り。
行くたびにサービスしてくれたインドカレー屋。
夜中にアイスを買いに行ったコンビニ。

たしかにそこには幸せがあったんだ。

ことあるごとに、「記念だからいいよね」と言ってよく買っていたケーキ屋が、隣の駅に出来ていた。
ぼくが今まで食べた中で一番好きなモンブランだった。

疲れたので、モンブランといちごタルトを買って帰ることにした。

帰ってから食べたモンブランの味はあの頃のままだった。
変わらない嬉しさと、失ったものの悲しみを噛み締めながら、ゆっくり食べた。



35年間、音楽を鳴らし続けてくれて、ありがとう。

夢なんてない退屈な日々で、それでも明日には何かが変わるかもしれないと、もがいていた10代の毎日も。
『パトリシア』みたいな彼女と過ごして笑って泣いて抱き合った日々も。
人生に迷って、大切なことを見失ったときも。

ピロウズの音楽は、いつもそばでそっと背中を押してくれて、進むべき道を光となって照らしてくれた。


ピロウズの曲たちを、宝物として大切にできる人生でほんとうに良かった。
そしてそれは、これからも変わらないだろう。

何も諦めずに信念を貫き続けてきたバンドだった。
その姿に憧れていた。
だから、ぼくもまだ、自分の人生を諦めない。


いいなと思ったら応援しよう!