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怪談 耳なし芳一 視点を変えるともっと怖い物が見えてくる

 能楽師の安田登さんの講演会でのこと。
思わず深読みしたくなる箇所がこの耳なし芳一の話の中にはあるとのことで、その内容はとても興味深い物でした。
深読みはあくまでも深読みであって決して正解不正解を問う物なんかじゃありませんので 念のため

まずは時代背景から
壇ノ浦の戦いで平家一門が滅びた後 その怨霊による祟りと思われる水難事故が絶えませんでした。何とかこの荒ぶる霊魂を鎮めようと建てられたのが 阿弥陀寺でしたが なかなか願いは叶わず相変わらず祟りが続いていました。
壇ノ浦の戦いから 100年ほどが過ぎた頃 この阿弥陀寺に貧しい盲目の若き琵琶法師芳一がやってきます。芳一は平家物語の弾き語りが得意で特に壇ノ浦の段は鬼神も涙すると言われるほどの名手でした。
琵琶の音色はもともと霊などを引き寄せる力があると信じられていたようです。

さてその深読み部分について:
1)芳一は七日七晩の演奏を頼まれたものの 住職や寺の者に悟られてしまい 途中で止めることになりました。芳一を連れ出した武者の言葉によれば 七日七晩弾き語りを聞いたら 我々は京に戻る。
つまり 言う通りにすれば霊魂は成仏できたのではないか。  
本来は住職がすべき平家一門の鎮魂・・・しかし住職にはその霊は見えないし感じる事もできない。それなのに芳一にはできる。ここに住職の嫉妬はなかったのか。

2)般若心経耳にだけ書き忘れた・・・つまり耳以外は全て書き込んだことになる・・・精器も含めて。
住職と芳一とは特別な関係にあったのだろうか?

3)般若心経を体に書き込まれた芳一に住職は 縁側で武者を待てと言い残して出かけています。
縁側とは”あわい”である・・・物と物との間 時間と時間との間 あの世とこの世との間・・・つまりあの世の物も自由にやってくることができる。
住職が芳一を本当に守るつもりだったのであれば縁側ではなくて本堂の中で待たせたはず。そうすれば武者は芳一に近づけなかっただろうから。

4)貧しい盲目の若き琵琶法師芳一はこの一件で有名になり 仕事も増え その後は何不自由なく幸せに暮らしましたとさ・・・
と言う事になっているが 耳をもぎ取られてしまった芳一の聴力は かつてほど良いわけはないはず。つまり以前ほどの琵琶の名手ではなくなり 鬼神や霊魂を呼び寄せるような力も失ってしまったのではないだろうか。

講演会の後 この解釈が妙にしっくり感じられたのは私だけでは無いはず。そして思ったんですよ。この話は怪談話として怖いというより 人間界の嫉妬心の方が余程怖いんじゃないのかなあ・・・なんて


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