2022年4月の記事一覧
執着できるのは言葉のおかげ。
執着できるものなんて、ないじゃないか!
今まで「自力」だと思っていたものが、「他力」だったと知る。
その時、自力も他力もないのだと知る。
「私は透明なスペースだ。」言いたいことはわかる。この理解はステップとしては役に立つ。
しかし、この「透明なスペース」に「私」は居座り続けたがる。
気づきの意識。言いたいことはわかる。でもよく見ると、この言葉自体がおかしい。
まるで、「頭痛が痛い」みたいな言葉だなぁ…と思う。
「なんとかなるさ」
そうなんです!!
いつも「なんとか」になってるんです〜。
なんとかなってなければ、
ここにいない。
真理…。
本当のこと…。
まず、一歩目のとっかかりとして、
人は自然由来のものです。って知ってますか?
というのがあると思うなぁ。
人が作ったものを人工物と呼んでいたりすると、人は自然のものじゃないって思いこんじゃったりするよね〜。
できることしかできません。
できないことはできません。
これは努力どうこうの話ではありません。
「脳で考えている」というのも観念。
観念は日々更新され続けている
「身体がだるい」と言った時、
もう、「その」だるさはない。
先ほど言った、「身体がだるい」を引きずってしまう、ということが「言葉の上を生きている。」つまり、幻想を生きているということだ。
自分を愛すると世界から愛される
という言葉を見た。
そりゃそうだ。
自分は世界、世界は自分なのだから。
自分を愛しているということは世界を愛しているということで、
世界がこちらを「愛している」と言っているかのよう。
だって、そこには世界も自分もなく、「愛している」しかないのだ。
エネルギーってなんでしょう?
「エネルギーが高まってる」って
どうしてわかるんでしょう?
エネルギーってなんだか知ってますか?
自分を癒す。
などと言うが、
そもそも自分などはないので
癒やせるものがない…。
「オレがやってやったのに!」
「せっかくやってやったのに!」
良い結果、反応が欲しい時、
自我システムのバグ発生のサインです。