面倒くさいの正体
学校に行くのが面倒くさいな
誰かと話すのが面倒くさいな
生きるのが面倒くさいな
と、私も「生きるのが面倒くさい」そのようになっていた経験があります。
面倒くさい、どうしたらいいんだろうと悶々と考えていて
結果的に 「自分を生きてみよう」と決意し、自分の心の状態を他人に打ち明け、自分を表現するという行動から入りました。
面倒くさいという正体は「もうこれ以上傷つきたくない」ということ。
幼い頃から沢山の辛い経験がある方は、また傷つくことを避ける傾向があります。また傷つくことを回避しようとする時に「面倒くさい」という心の防衛機能が働いてしまいます。
ですが、この地球にいる中でこれ以上傷つかないという保証は残念ながらどこにもありません。
例えば、
米炊いたら新米だったらしく、適正量の水より少なく入れていなくて怒鳴られたり(これは私も悪いけど知らなかったの・・・。)
通りすがりの人に体の事についてけなされたり
声を馬鹿にされたり
↑過去の私ですw
もうね、自分のアイデンテティで変えられないものをけなされると
めちゃくちゃ傷ついてきましたね。
もちろんね、人の個性を否定したり、けなしたりする方が悪いのですよ。
それらを分かった上でもやはり辛くて、殻に閉じこもってひきこもってしまったことがあります。
でも本当に幸せになりたいのならば、そんなことはスルーしてしまいませんか?
人のことを否定する、怒鳴ってくる方、人を下げて自分を満たしている方の道具になるためにあなたは生まれてきたのではないのです。
傷つかない保証はこの世の中にどこにもないけれど
「○○したい」と「傷つくのが怖い」を天秤にかけて
やっぱり私は「傷つくのは怖いけど、○○したい!」となるのが面倒くさいを突破する鍵です。
面倒くさいの壁を突破して、じわじわと自由な幸せを掴んでいきましょう。
コロナ禍で大変な中、皆様も心身ともにご自愛くださいね。
最後まで見て下さり、有難うございました。
I hope that tomorrow will be a good day too.
もも
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?