アメリカ留学から帰ってからの生活
愛媛県西条市のマミーこと秦百香里です。
19歳で1年間のアメリカ留学から地元に帰ってきた時、両親が成田空港まで迎えに来てくれていました。
「お帰り。」
という両親の笑顔に素直に「ただいま。」と答える私。
しかし、その後何も話せない私。
なぜ?
それは何を見ても、何を言おうとしてもすべて英語で浮かぶし、英語が口から出てきそうになるから、話せなかったのです笑
エレベーターに乗っていても数字を見ると
One Two Three と英語で浮かぶのです。
そして、自分は日本語で喋っているつもりなのに、途中から英語で両親に話しかけていたそうです笑
1年と少しだけアメリカに居ただけなのに、私の脳は英語脳になっていたみたいです。
若いとは素晴らしいですよね✨
そして、どうやら私の英語の発音はクセがなくとても美しいらしいです、自分で言うのもなんですが…
それは私がいたアメリカアイオワ州はアメリカ中部にあり、英語のアクセントが標準に近いと言われているらしく、私の英語は必然的に美しいものになっていました。
四国愛媛県西条市に帰宅した私は数ヶ月後に地元の大企業に就職しました。
その配属された部署では、途中入社のアメリカ帰りの19歳女子はどんなやつなのかと興味深々で、私に英単語の発音を聞きにきたりしたものです。
日本人には苦手な「R」の発音。
私は得意げにその仕方を教えたりしたものでした。
18歳までの自分に自信のない私に初めてできた得意とする英会話とアメリカ留学経験。
そして、私のことを知らない人達との仕事をすることで、私は本来の自分を少しだけ出して意見を言ったり、行動したりできるようになっていました。
アメリカ留学で得た知識と体験が私に自信をつけてくれました。
その後3年間の楽しい日々は結婚をしたことで私の人生はまた暗い中へ再突入していくことになるのでした。
先日三男の嫁からもらった母の日のお花。
今の私はとても幸せです。
生きていることに感謝です。