身近なワクチン・ハラスメント
ワクチン接種が進むにつれ、打たない者への暗黙の同調圧力が社会問題化しているようです。いわゆる”ワクチン・ハラスメント”です。
ニュースで流れるハラスメントには、打たない者に対して、
・今の職場で働けない
・寮や施設を退去させられる
・会合などに参加できない
といった、社会生活や活動に支障が生じるような重度の報道が多いと感じますが、実際にはそうした明らかなハラスメント以上に、何気ない日常会話に散りばめられた軽度の圧力の方がケースとしては圧倒的に多く、圧力をかける側が気づかないまま被害が拡大しているように思います。
重度のハラスメントはもちろん深刻ですが、日々積み重なる軽度のハラスメントも人の心をじわじわと蝕む危険をはらんでおり、実は深刻です。
無自覚な軽度ハラスメント
軽度のハラスメントの問題点としては、圧力をかける側が無自覚なケースが多いことです。
例えば妻の場合、実家の母親から「まだ打たないの?」と言われることにだいぶナーバスになっているようです。特に姑から「まだ?」と電話口で聞かれることは堪えるようで、ワクチン打って顔を見せに帰ってほしいと思っている親に対して帰郷を拒んでいるように思われないか心配しています。
孫がまだ小さく、郷の両親が会いたがっている場合には、特に悩ましい状況が発生しそうです。
「帰りたくないから打たない訳じゃない!」という深刻な葛藤を伴う悲鳴が聞こえてくるようです。
ワクチン接種を拒むことが悪のような、ましてや接種せずに郷に帰ることは決して許されない狭いコミュニティの壁に押され、じわじわと精神を蝕んでいくことが予見される状況です。
実は重大な軽度ハラスメント
軽度ワクチン・ハラスメントの深刻度は、職場のセクシャル・ハラスメントに置き換えてみると理解しやすいです。
「君まだ結婚しないの?」
仮に、職場の未婚の女性に対し、上司である男性社員が上記の言葉を発した場合、一発アウトであることは、今の世の中誰もが常識的に理解していることです。発言がお酒の席であっても、発言した本人が冗談のつもりであっても、言われた側が人事部に駆け込んだ場合は言い逃れはできません。
上場企業では今時そのようなケースはなかなか聞かないことですが、話がワクチンの場合は至る所でお目にかかる光景です。
軽度ハラスメントの例
先の例でみると、次の言葉は実は同じ意味を持ちます。
・まだ結婚しないの? =まだワクチン打たないの?
・いつ結婚するつもり? =いつワクチン打つつもり?
・なぜ結婚しないの? =なぜワクチン打たないの?
・早く結婚しろ! =早くワクチン打て!
・早く孫の顔が見たいわ =早くワクチン打って帰ってきて
左側に並んだセクシャル・ハラスメントは、今の世の中では完全なNGワードばかりであり、発する側も言ってはならない言葉と直ぐ理解できます。
ところが右側のワクチン接種に関わる言葉の場合、それを発する側にはハラスメントの感覚がないばかりか、現時点ではむしろ社会悪を懲罰するような正義感を伴う意識である場合も多いのではないかと思います。
実は私自身も職場の中で、接種したと公言している者から、「ワクチン打ちました?」と聞かれることがあります。本人は無自覚だと思いますが、問われるといい気はしません。
「まだです」
最低限の答えだけを返し、「今のところ打つつもりはありません」といった、相手の正義感を刺激するような情報は与えないようにしています。それが無自覚な加害者が蔓延する現状での、ワクチン・ハラスメントを受ける側が取り得る最善手ではないかと思います。
ワクチン接種派の皆さんには、是非こうした状況を理解いただき、他意なき善良な未接種者への配慮を意識していただければと思います。
フランスに見る狂気
フランスでは、ヘルスパスと呼ばれるパスポート制度がこの8月から厳格運用されていると聞きます。レストランやスポーツイベント、劇場、映画館、美術館などへの入場もパス(あるいは陰性証明)が必要だとのこと。
劇場や美術館は困るなと思いながら、パスポート制度が日本でも義務化されたらどうしようかと考えてしまいます。
職場から出勤するなと通達が出た場合は、落ち着くまでずっとテレワークにしますで対応できると思うのですが、子供たちの学校行事その他のイベントに参加できないのは困るし、冠婚葬祭への出席はどうなるのでしょう?
ワクチンを接種していないから親の葬式に参列できないとか、未接種だから子の結婚式に出席できないとか、そんな状況が訪れる場合は、パンデミックが収束していないという意味においても、ほとんど狂気の社会に近いのではないかと思います。
いつの日か、親の葬儀や子の結婚式でさえ、電脳空間上で参加するのが当たり前の日がやってくるのでしょうか?
そしてその時には、ハワイでの洋上結婚式と故郷での親の葬儀と、オフィスでの重要会議と地球の裏側でのバカンスと、10か所以上の行事に同時に参加することが当たり前の世界になっているのでしょうか?
2050年、オメガ株の蔓延する現実世界に対し、アバター生活が我々の生活の主空間になっていないことを願います。
ではまた次回。