鮪(しび)
鮪
鮪 大なるを王鮪、中なるを叔鮪(俗にメクロと云)、小なるを●[魚+吝の漢字]子といへり。東国にてはまぐろと云。
筑前宗像讃州平戸五島に網する事夥し。中にも平戸岩清水の物を上品とす。凡八月彼岸より取はじめて十月までのものをひれながといふ。十月より冬の土用までに取るを黒といひて、是大なり。冬の土用より春の土用までに取るをはたらといひて、纔一尺二三寸許なる小魚にて、是黒鮪の去年子なり。皆肉は鰹に似て色は甚赤し。味は鰹に不逮。凡一網に獲る物多き時は、五七萬にも及べり。
是をハツノミと云は、市中に家として一尾を買者なければ、肉を割て秤にかけて大小其需に應ず故に他国にも大魚の身切と呼はる。又、是をハツと名付る事は、昔此肉を賞して纔に取そめしをまづ馳て募るに、人其先鉾を争ひて求る事、今東武に初鰹の遅速を論ずるのごとし。此を以て初網の先馳をハツとはいひけり。
後世此味の美癖を悪んで終にふるされ賤物に陥りて饗膳の庖厨に加ふることなし。されども今も賤夫の為には八珍の一つに擬てさらに称賛す。此魚の小なるを干て干鰹のにせものともするなり。
万葉集
鮪つくとあまのともせるいさり火のほには出なん我下思ひを
礼記月令に季春を寝廟に薦むとあれども、鮪の字に論ありて今のハツとは定めがたし。尚、下に辯す。
網は目八寸許にして、大抵二十町許細き縄にて制す。底ありて其形箕のごとし。尻に袋あり。縄は大指よりふとくして常に海底に沈め置き、網の両端に舩二艘宛付て、魚の群輻を待なり。若集る事の遅き時は、二た月乃至三月とても網を守りて徒に過せり。是亦山頂に魚見の櫓ありて其内より伺候ひ、魚の群衆何萬何千の数をも見さだめ麾を打振りてかまいろゝゝと呼はる。(カてイロとは構へよの転なり)
其時ダンベイといふ小舩三艘出。一艘に三人宛。腰蓑襷鉢巻にて飛がごとくに漕よせ、網の底に手を掛て引事●●に及べば、又、山頂より麾を振るにつひて数多のダンベイ打よせて惣がかりにひきあげ、網舟近くせまれば魚浮騰して沸がごとし。漁子熊手鳶口のごとき物にて魚の頭に打付れば弥驂ぎておのずから舩中に踊り入れり。入盡きぬれば網は又元のごとくに沈め置て舩のみ漕退なり。尻に付たる袋には鰯二艘ばかりも満ぬれども、他魚には目をかくることなし。是は久しく沈没せる網なれば、苔むしたるを我巣のごとくになりにて居れりとぞ。尚図に照らして見るべし。
又、一法に釣りても捕るなり。是若州の術にて、其針三寸ばかり苧縄長百間針口より一間程は又苧にて巻くなり。是を鼠尾といふ。飼は鰹の腸を用ゆ。糸は桶へたぐりて竿に付ることなし。
此魚頭大にして觜尖り、鼻長く、口頷の下にあり、頬腮鉄兜のごとく頬の下に青斑あり。死後、眼に血を出す。背に刺鬣あり。鱗なし。蒼黒にして、肚白く、雲母の如し。尾に岐有、硬して上大に下小なり。大なるゝもの一二丈、小なる者七八尺、肉肥て厚く、此魚頭に力あり。頭陸に向ひ、尾海に向ふ時は、懸てこれを採り易し。是尾に力らなき故なり。煖に乗じて浮び、日を見て眩来ける時は、群をなせり。漁人これを捕て脂油を採り、或は脯に作る。
鮪の字をシビに充ること、其義本草又字書の釈義に適はず。されども和名抄は閩書によりて魚の大小に名をも異にすること其故なきにしもあらざるべし。又、日本記武烈記真鳥大臣の男の名鮪と云に、自注慈寐とも訓せり。元より中華に海物を釈く事甚粗成るに、●に云がごとし。故に姑く鮪に随て可なりともいはん。シビの訓義未詳。
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筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
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