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鮪(しび)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産圖會 5巻 [3]

しび 大なるを王鮪、中なるを叔鮪(俗にメクロと云)、小なるを●[魚+吝の漢字]子めしろといへり。東国にてはまぐろと云。

筑前ちくぜん宗像むなかた讃州さんしう平戸ひらど五島ごとうに網する事おびただし。中にも平戸ひらど岩清水いわしみづの物を上品とす。凡八月彼岸より取はじめて十月までのものをひれながといふ。十月より冬の土用までに取るをくろといひて、是大なり。冬の土用より春の土用までに取るをはたらといひて、わづか一尺二三寸ばかりなる小魚にて、是黒鮪くろしびの去年なり。皆肉はかつをに似て色ははなはだ赤し。味は鰹に不逮およばず。凡一網にる物多き時は、五七萬にも及べり。

是をハツノミと云は、市中に家として一尾をかふものなければ、肉をきりはかりにかけて大小そのもとめおふず故に他国にも大魚おほうをの身切とよばはる。又、是をハツと名付なづくる事は、昔此肉を賞してはづかとりそめしをまづはせつのるに、人其先鉾せんはうを争ひてもとむる事、今東武に初鰹はつがつを遅速ちそくを論ずるのごとし。此を以て初網の先馳はしりをハツとはいひけり。

鮪冬網(しびふゆあみ)

後世此味の美癖をにくんでつひにふるされ賤物せんぶつに陥りて饗膳きやうぜん庖厨はうちうに加ふることなし。されども今も賤夫せんぷの為には八珍はつちんの一つになずらへてさらに称賛す。此魚の小なるをほし干鰹かつおぶしのにせものともするなり。

万葉集
 鮪つくとあまのともせるいさり火のほには出なん我下思ひを

礼記月令らいきげつれい季春》天子|鮪《しび寝廟しんびやうすすむとあれども、鮪の字に論ありて今のハツとは定めがたし。尚、しもべんす。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産圖會 5巻 [3]


網は目八寸ばかりにして、大抵二十町ばかり細き縄にて制す。底ありてそのかたちのごとし。尻に袋あり。縄は大指よりふとくして常に海底に沈め置き、網の両端に舩二艘づつつけて、魚の群輻あつまるまつなり。もしあつまる事の遅き時は、二た月乃至三月とても網を守りていたづらすごせり。是亦山頂に魚見うをみやぐらありて其内よりうかが候ひ、魚の群衆何萬何千の数をも見さだめざいうち振りてかまいろゝゝとよばはる。(カてイロとは構へよのてんなり)

其時ダンベイといふ小舩三艘いだす。一艘に三人つくこしみのたすき鉢巻はちまきにてとぶがごとくにこぎよせ、網の底に手をかけひくこと●●に及べば、又、山頂よりさいを振るにつひて数多あまたのダンベイうちよせてさうがかりにひきあげ、網舟近くせまれば魚浮騰ふとうしてわくがごとし。漁子ぎよし熊手くまで鳶口とびくちのごとき物にてうをかしらうちつくればいよいよさはぎておのずから舩中に踊り入れり。いりきぬれば網は又元のごとくに沈めおきて舩のみこぎ退しりぞくなり。尻に付たる袋には鰯二艘ばかりもみたぬれども、他魚には目をかくることなし。是は久しく沈没せる網なれば、苔むしたるをわがのごとくになりにて居れりとぞ。尚図に照らして見るべし。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産圖會 5巻 [3]


又、一法に釣りても捕るなり。是若州わかさの術にて、其はり三寸ばかりなわ百間ひやくけん針口はりくちより一間いつけんほどは又にて巻くなり。是を鼠尾ねづみおといふ。は鰹のはらわたを用ゆ。糸は桶へたぐりて竿につくることなし。

うをかしらおほひにしてくちばしとがり、鼻長く、口おとがひの下にあり、あぎと鉄兜てつとうのごとく頬の下に青斑あをまだらあり。死後、まなこに血をいだす。背に刺鬣はりのごときたてがみあり。鱗なし。蒼黒あをくろにして、はら白く、雲母きららの如し。尾にまたありかたくしてかみおほいしもせうなり。大なるゝもの一二じやう、小なる者七八尺、肉こへて厚く、此魚頭に力あり。かしらくがむかひ、うみむかふ時は、かけてこれを採り易し。是尾に力らなき故なり。あたたかに乗じてうかび、日を見てめくるめききたりける時は、ぐんをなせり。漁人ぎよじんこれをとり脂油あぶらを採り、或はほじしに作る。

鮪の字をシビにあてること、其義本草ほんざう字書じしよ釈義しやくぎかなはず。されども和名抄わめうしやう閩書みんしよによりて魚の大小に名をも異にすること其故なきにしもあらざるべし。又、日本記武烈記ぶれつき真鳥まとり大臣のしびと云に、自注慈寐とも訓せり。元より中華に海物をく事はなはだるに、●に云がごとし。故にしばらしびしたがふなりともいはん。シビの訓義くんぎ未詳つまびらかならず

黒まぐろ(本まぐろ)のお刺身
Photo by mominaina


筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
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