Diary 2
クガイと一緒にただ飲むお話
家の冷凍庫を開け、ジャンニは思い出した。
そうか、昨日ひと瓶空けたんだった。
度数が高いため凍りはしないので、いつもここに一本入れてあるのだが、昨晩本を読みながらそのまま飲み切ってしまったのだ。
我ながら何で飲んでいるのかわからないくらい酔わないので、1人飲みの時は余程気をつけないと飲むものがなくなるまで飲んでしまうのが良くない。諦めて寝るかなと思ったが、気づいた。
そうか、クガイがいるんだ。
つい先日再会した友人を思い出した。
これからは1人で飲まなくても良いのだ。そう思うと自然と笑みが浮かんでしまう。
あいつが好きそうな店が変わってなければいいが。
いそうな店を以前と同じ順番で覗いて行こうかと思っていたが、1軒目で見つかった。
この店にいたというのは、向こうも再会を喜んでくれていると思って良いのだろうか。何となく人待ち顔のような気もするが気のせいだろうか?
久しぶりすぎて何か妙に緊張するのだが、前どうやってたかなと思い出しながら、カウンター席に近づいて声をかけた。
「隣いいかい?」
ああ来たというような顔をして、「いいよ」と、酒とつまみを少し自分側に寄せた。
今日はあまり酔ってない気がする。
「今日はずっとここに?」
「そうだな」
やっぱりと思い、言った。
「もしかして、待っててくれたかい?」
自分の目の前のアルコールメニューを眺めながらクガイは答えた。
「3時間だよ」
そのメニューを渡しながら、続けた。
「ここにいた」
今日だけじゃないのだろう。いつ来るかわからないが多分どこかで来るだろうと思って、以前良く会っていた店を中心に飲んでいたに違いない。
こういう、妙に義理堅いところがあったなと思う。
「悪かったね。ずっと飲みに出てなかったもんだから、その癖で家で飲んでたんだ」
クガイが好むような店にはラム酒なんかは置いていない。なのでいつも頼んでいたものがあって、これだろうなと思うのだが自信がない。
「この焼酎というのを頼んでたんだっけ」
横からチラリとメニューを見ると
「麦焼酎を頼んでた気がするな」
と言うので、麦焼酎とある中の一番上の物を頼んだ。
突き出しがなくなったなと思っていたら、クガイの方から中身がだいぶ残ったつまみの皿がこっち側に寄せられて来た。
肉ではないものを甘辛く煮た深皿の中身と、多分イカであろう非常に塩辛いものをつまみながら思う。
やっぱり優しいんだよな。
そんな相手と、あんな別れ方をしたまま終わっていたなんて酷いことをした。飲み屋で探すことなんかものの30分くらいでできる。なのに、いないことに直面したくなくてしなかったのだ。相手を傷つけることがあるのを十分に知っていたのに、また逃げてしまったなと思う。
ここでいう言葉は「ごめん」ではない気がした。
しばらく続いた沈黙を割ってポツリと話し出したのを聞きながら、
そういえばこういう話し方するやつだったな。
と、クガイは思い出す。
自分の中では筋道があるのだろうが、聞いている方としては脈絡のない話題を唐突に話しだしたように聞こえる。多分元々、話すのが得意ではないのだろう。
何となく眠くなりそうな、トーンが低くゆっくりとした間がある話し方をしばらく聞いていると、ああそういうことかとどこかで辻褄が合うのだった。
「あの後本当に死にかけてね」
と、最後に会った後の話をしている。手元の焼酎はストレートなのに、ダブルの量がすぐに空いて二杯目を瓶から注いでいた。
笑い事じゃないと思うのだが、本人は世間話のように至って普通に談笑しているので、まあそういう聞き方で良いのだろう。
「地獄の門というのを初めて見たよ」
そう言うのを聞き、こいつが行くのは地獄なのかと意外に思う。牧師が行くのが地獄なら、自分が行くところなんか一体どこなんだ。
「長い距離をずっとこう、引きずって引っ張り込まれるような感じでね。結構ね、考える時間があるんだよ」
新しい徳利とお猪口が来たので元の物をカウンターに返す。隣のペースが早いとこっちのペースも早くなる。今日はそんなに酔わなくても済むかと思っていたが、この調子ならいつもとあまり変わらないだろう。
暗いトンネルのような感じかな、と、それは何か自分にも経験があるように、具体的に想像できる。
「その間、このままあの門に入ろうとか入るのはやめようとか色々考えは変わったんだけど、引き込まれる直前にね。向こうに何があるかわからない暗闇を見たら、やっぱり行くのはやめようと思ってね」
と、何か考えるように言葉を止めた。
「行けば、実は向こうは良い世界なのかもしれないけど違うかもしれない。でもそれはこっちでも一緒だから。どうせ同じなら知ってる世界での方がいいだろ?また生きてゆくのは辛いなあとは思ったんだけど」
グラスの中の焼酎を見ながら言った。
「ここで生きることを選んだんだから、もう二度と死へ向いては行けないと思ったよ」
それは、生きること〝には〟している、という自分と、似ているスタンスである気がした。
結局あの店に何時間いたんだ。
クガイだけで3時間いたんだから、6時間ほどはいたんじゃないだろうか。結局焼酎も一本空いて家にいる時と変わらないし、クガイも見事に酔っ払っていた。
1人分には少し多い勘定をカウンターに置いたクガイが椅子から降りようとしている。危なっかしいので手を貸すと歩くのは歩けるようで、 ジャンニが2人分を払っている内に1人で店から出て行ってしまった。
待て待て、危ないぞ。
お釣りを受け取らずに慌てて追いかけると、向かい側の店の前で看板に寄りかかり座っている。
「そこはマズいよ」
移動させようとしたが自分とほぼ同じ体格の相手はさすがに重く、座っている姿勢のままちょっとだけ肩に担ぎ、店側面の路地に移動させた。
するとそこから路地を挟んだ向かいに自ら移動する。
何でかなと思ったが、その視線の先を見て気づいた。
「ああ、そこからの方が月が見えるのか」
クガイがそのまま眠り込んでしまいそうだったので、自分も座り月を見上げる。
残念ながらあの時のような綺麗な月ではなく、雲の隙間から時々見えるといった感じだ。
同じことを考えているのだろうか、隣のクガイがつぶやいた。
「…あの場所どうなったかな…」
言いながら寝てしまった横で、ジャンニは1人月を見上げる。
そうか、君もあの場所には行ってないのか。
この友人は、あれからもずっと、こうして1人で月を相手に飲んでいたのかなと思いを馳せながら。
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