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ヴァサラ幕間記17


8 学者と青年ヴァサラ

 あの日の夜、そろそろ寝ようかと思っていた時に、学者は馬のいななきを聞いた。馬はここでは貴重な足だ。特に高価な物もない家だが、馬だけは困る。肉食獣にでも狙われていてはいけないと、ドアから外を窺ってみた。
 家の中の明るさに慣れた目では、外は真っ暗で何も見えなかった。だが野生動物なら人が出ていくだけでも違うだろうと、歩き慣れた勘で玄関から馬まで向かった。
 特に何もないな。
確認してまた玄関まで戻ろうとした時、唐突に、背後から強い衝撃を受けた。学者は体勢を崩し地面に膝をついたが、特に何の痛みもない。
 何だったんだと立ち上がった時、自分の手にある血がついた凶器を。それから目の前に自分の死体を見つけた。

 自分を殺した男の中に自分の意識が入ったらしい。
そう整理するまでにかなり時間がかかった。そしてなぜこんなことになったのか分からないまま、奇妙に他人に見える自分の死体をしばらく見つめた。だが状況に慣れて来るにつれ、これはまずいんじゃないかと思えて来た。
 この死体を最初に見つけるのは娘だろう。娘はきっと、知り合いに助けを求めに行くに違いない。その後公的機関から調査が来るだろうが、誰が派遣されたとしても、私たちがどこの国の国民でもないことはバレるはずだ。
 無国籍の人間が問題を起こしたり事件に巻き込まれたりした際にどれだけ面倒かを、学者はよく知っていた。しかも殺人事件で、犯人はこの体の主なのだ。
 1番丸く収まる方法を考えた学者は、まず、巨人の化石を発掘しに行くと娘あてに手紙を残した。それから自分の死体を家から遠く、野生生物の餌になりそうな場所に投げ捨てた。そしてその足で草原を出て、国を変えながら生活することにした。この男が何の躊躇もなく自分を殺したことを考えた時、他にも何か罪を犯しているだろうことは容易に想像がついたからだ。
 だが逃亡生活はこの街で終わった。この男は、なんてこともない流行病であっさり死んでしまったのだ。
 この男が何者で、なぜ自分を殺したのか、結局何一つわからなかった。そして学者も、また消えることができなかった。

 どうして自分は残り続けているのだろうか。
何かに未練があるのだろうか。何かしなければならないことがあるのだろうか。
 自分でもわからなかったそれは、白髪の青年の形で、突然目の前に現れた。

 学者がヴァサラ将軍について知っていたことは、名前と戦果、出自と容姿。それから、国境を越えて逃げて来た兵士の中にヴァサラ軍の者はいなかったこと。
それだけだ。
 だが、本人を目の前にして、初めてはっきりとわかったことがあった。

〝この男は、良いことであれ、悪いことであれ、何か大きいことをするだろう〟

 稀代の反逆者か伝説の英雄になるかの道しかないのならば、私が私としてできることは、1つしかない。

 学者は今日も、大通りの小道の奥の小道の隙間とも言えるような場所へ行く。体を横にしなければ入れないような建物と建物の間に入りしばらく行き、壁に唐突にあるドアを開ける。
 部屋は半地下になっていて意外と広く、それなりに快適に過ごせる作りだ。細い窓は部屋に降りる階段横の他にいくつかあり、室内も暗くはない。それに、外の壁には、実はワイン用のブドウが茎を伸ばしているのだ。
 部屋には、今、住人がいる。
住人は本棚前のソファで毛布にくるまっているが、本に埋もれるようにして眠っているようだ。
 学者はふっと微笑んでから、大きく息を吸い込んだ。
「こら、ヴァサラ!今日の授業を始めるぞ‼︎」
怒鳴り声にビクッと起き上がる白い髪と共に、本が2〜3冊転がり落ちる。

 いつもの光景からいつもの毎日が、今日も始まる。














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