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ヴァサラ幕間記19


ハズキと日暮れ時

 隊員の退勤を見送ったハズキは、自分も帰ろうと机の電気を消した。振り返り、診察室全体を確認する。
 夕方、太陽の最後の残照が、夜を含み込んだ光で部屋を照らしていた。診察台と医療機器の影は濃く、部屋の隅は暗く沈み、ハズキの影だけが長く伸びている。
音一つない無機質な空間に、不意に身がすくんだ。

 本当はもう誰もいないんじゃないか。
 私はたった1人、この世界にポツンと残されているんじゃないか。

 ゾッとして、机にあるはずのライターとタバコを後ろ手に探したが、今日に限ってそこにあるはずのタバコがない。
 荷物を掴み取り逃げるようにドアから出ると、部屋を閉じ込めるように乱暴に鍵をかける。
 息をつき、廊下の壁に寄りかかった。

 どうせ私なんかいらないでしょ!と叫びたくなることがある。
どれだけ必死に、何度助けても、皆また死地に赴き結局死ぬのだ。年齢も立場も関係ない死が自分の目の前を機械的に通り過ぎ、命が規則的に落ちてゆく。
 助けたい相手が死ぬ時に、自分はいつもそこにはいない。人を救いたくてこの仕事をしているのに、人の死ばかりを見送っている。
 私はこうして、隊員全員の死を見届けるのだろうか。
だったら私が死ぬ時は、誰が一緒にいてくれるのだろうか。
 時々とてつもなく孤独になる。

 そっと病室を覗くと、いつもと変わらない姿で眠っているヴァサラがいてホッとした。近づいて脈を確かめると、椅子を引き寄せて傍に座る。
 総督はいつも忙しい人だった。けれど、ハズキが本当に必要な時にはいつの間にか側にいて、必要なだけの愛情を常に与えてくれた。
 ハズキはこの人に聞いてみたかった。
 何十年もの間、数えきれない程たくさんの死を見届け続けて来たのに、どうやってそれを乗り越えることができたんですか。生き残ることは辛くはなかったですか。もう無理だと思ったことはないですか。あなたを支えたものは、一体何ですか?
 子どもの頃からずっと思っている。
こんな時代は嫌だ。もう人が死ぬのはたくさんだ。
 でもみんなどころか仲間1人も救えなくて、そのくせ自分はのうのうと生き延びている。それは、全ての人間の命を救うには私の存在は余りにも卑小だという言い訳で、本当に許されることなのだろうか。
 子どもの頃みたいに甘えたいような気持ちで、ハズキはヴァサラに話しかけた。
「疲れちゃうね、おじいちゃま」

 ノックの音が響いた。
返事をするとイブキが覗く。
「あー、ハズキちゃん、やっぱりここにいたんだあ。部屋が暗いからわからなかったよぉ」
 持っている袋から一升瓶がぶつかり合う音をさせながら、
「ヴァサラ総督は元気?」
と頓珍漢なことを言って部屋に入って来た。
「元気なはずないでしょ。ここにいるんだから」
「そっかあ。そうだよねぇ」と、ハズキとヴァサラの側に来たイブキは、ちょっと2人を見た。
 そしてふにゃりと笑うと、言った。
「ハズキちゃん、総督がここにいて良かったねえ」

 急所を突かれたように、一瞬息が止まる。
 …ああ、さすがだなあ。
言葉にできないハズキの気持ちを、イブキはいつも掬い上げる。
そうして形になった自分の心を自分で眺めて味わうと、ちょっと安心して、その気持ちをまた自分の中に収められるのだ。
 そうだ。私は思っている。
このまま良くも悪くもならず、ずっとここにいてくれたらいいのにと。
 だってハズキは分かるのだ。この人は目覚めたらまた戦いに行く。そして二度と会えなくなる時には、今度は私の手は届かないだろう。
「何バカなこと言ってるの」
 けれどハズキは搾り出すように言う。
「早く元気になってもらわないと私の名折れだわ」
私は医療者だから。
目の前の人を治療して送り出すのが、私の仕事だから。

 勢いよく立ち上がり荷物を持つと、イブキに言った。
「ほら行くわよ。呑むんでしょ。今日こそは私より先に潰れないでよね」
 まるで起きている相手にするように、帽子をちょっととってヴァサラに挨拶すると、イブキはハズキに続いて部屋を出た。
 陽はもうすっかり落ち、空には溶けそうな朧月がぼんやりと光る。
…夕方は嫌いだけど、夜は嫌いじゃないのよね。
 ハズキは、それはこの同僚のおかげなのだと知っている。















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