moonlit night dream3
ジャンニには人の記憶を消す癖があった。もうそれは癖としか言いようのないもので、自分の意思とは全く関係なく、何かのきっかけで、なぜか、おそらく自分に都合の悪い記憶を拭い去るように消してしまう。
そして今まで気づいていなかったが、それは自分に対してもしていたのだ。
白髪に紫のグラデーションと指示が来た時は特徴的な髪色だなとしか思わなかった。実際相手がいる場所へ行っても、目立つなとは思ったが、特に何か思い出しはしなかった。
しかし話しかけられてその口調と声と姿が揃った時、掛け金がはまるように、自分が探していた記憶はこれだと気づいた。
話しながら、少しずつ、時計の針が戻り記憶も戻って来た。
あの時目の前の九垓は右半身が無くなっているように見えていた。そしてこんな姿で死なせることになったのは自分のせいだと思いながら、ジャンニ自身はあの時死んだのだ。
そうだ、この体は本当はもう死んでいるはずだった。なのに生き返ったのだから、体を動かすためには確かにあれだけの薬がいるだろう。
記憶を消しながらもどこかで覚えていた。
いや。大切な人間を自分のせいで酷い目に遭わせたことを、覚えていたかった。
生きているのか死んでいるのか確かめたかったし、生きているなら会って謝りたかった。自分がしたことを、自分に都合が悪いからといって自分も忘れて相手にも忘れさせるなど余りにも身勝手だ。
九垓は殺さない。
やがて薬は届かなくなり自分は死ぬだろう。
でも、死んではいけない理由は既になくなってしまった。
生きていることがわかり、謝ることができ、目的は果たせたと思う。
今は大人の大きさになっているユオがジャンニを包み込む様に床に寝そべり、ソルが胡座をかいた膝を温めている。
「君たちも元の場所に帰っていいんだよ。もう守らなくても大丈夫だから」
聞こえているのだろう。ユオの耳はピクリと動くが、それだけだった。
ソルを抱いて、ユオの背を枕に寝転んだ。
「優しいね、君たちは。九垓も優しかったよ。酷いのは私だけだ」
ジャンニが寝込んだのを見て、ソルがそっと腕から抜け出した。ユオが片目を開けてそれを確認する。
ユオはそのまま目を瞑り、ソルが器用に窓を開けて飛び立った。
結局あの時はキスだけで終わってしまったのだ。
九垓はあれからも同じ居酒屋に来てはいるのだが男は全く現れない。こうなると、男についてはわからないことしかなかった。
なんで名前を知っていたのか、右目と皮膚の損傷を知っていたのかわからない。連絡先がわからないどころか名前すら知らない。
何なら狼と梟連れてるのも意味わかんねえんだよ。
と思っていたら、当の雪梟がやって来た。
「お前よお。あいつの居場所教えろよ」
冗談で言ったのに、
「いいよ。そのつもりだったしね」
と、若い青年の声が返ってきた。
どこから?と振り返る目の端で、梟は白い髪に白い羽根飾りをつけた青年の姿に変わる。
「大事なパートナーが君に会いたがってる。一緒に来てよ」
連れて来られた場所は意外と居酒屋から近かった。住居というのは高層ビルやマンションだと思っていたが、中心街周辺に、昔ながらの家が立ち並ぶ一角がある。洗濯物などを見るとどうも夜の仕事の人間が住む場所らしく、これなら真剣に探せば男も見つけられたのかもしれなかった。
話が終わるとすぐに元の姿に戻った梟は、立ち並ぶ家の中の一軒の屋根にとまる。庭のない、一見すると無人にも見える小さな平家だ。郵便受けはなく、表札やカーテンもない。
促されるままにドアを開けた中の部屋は、目に見える範囲に家具全てがあった。そのダイニングテーブル横の床に、成狼を枕と布団代わりに男が横たわっている。
一瞬死んでいるようにも見えて焦って声をかけて体を揺さぶった。目を開けるとぼんやりとした視線をこちらに向けている。
だが九垓の姿を認めると驚いて後ずさった。身体中の力が抜けるように微かに言う。
「君にだけは見つかりたくなかった」
せっかく見つけ訪ねて来てくれた相手にかけるには随分失礼な言葉だろうに、九垓は怒りはせず、ただポツリと
「どういう意味だよ」
と呟いた。
一回めのこの言葉に対しても、意味なんてないと失礼な返答をした。そして今も目の前の九垓は傷ついた表情をしている。
君は過去に何があったかはきっと思い出さないだろう。
だから、良くわからない男と会った晩があったなと、それだけ覚えていてやがてそれさえも忘れてしまえばいい。
息をつき、なるべく冷たく聞こえるように言った。
「帰ってくれ。二度と会いたくない」
一瞬の間があって返答が返って来た。
「分かった。悪かったよ」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?