第十六話
寒そうに出て来た、毛糸の帽子と半纏というサンドラに裏口を開けてもらい千聖の部屋に行ってみると、畳の床に甘め酎ハイの缶がたくさん転がりちゃぶ台には日本酒まである。その酒種には絶対合わないであろう、チョコレートやらクッキーやらのツマミも雑多に封が開けられて置いてあった。
「あー満月ー。弥幸ひどいんだよ。話聞いたげてよー」と、言う千聖も酔っているが、その横で酎ハイを飲み続けている星陽に至ってはベロベロだ。
「ほら、満月も飲んで」
へらっと笑う千聖がビール用グラスにドバドバ日本酒を入れてくれるのだが、余裕で溢れている。
「おう、サンキュ。自分で入れるわ」
と一升瓶を受け取るとすかさず自分の方に置き星陽の話を聞き始めた。行ったり来たり本筋から逸れる話を元の筋に戻して聞き直したりして、30分。ある程度の事情はわかった。
千聖のアドバイスでホテルに行きなんだかんだありつつも撮影を見ることができたのだが、それが浮気相手といるところだった…みたいな話のようだ。
聞いてすぐに思ったのは、そんなコスパ悪いことあいつがするかな?ということだ。
あいつの気持ち自体はわからないが、行動パターンはわかる。星陽に対して物惜しみしないのが奇跡なだけで、そもそも弥幸は相当ケチだ。本来金はできるだけ使いたくないだろうし、働けば金になる時間を浮気などで無駄に過ごしたりはしないような気がする。
とは思うのだが。
「ヤダヤダ、弥幸大好きだよお。別れたくないようー」と、それだけははっきりとわかる言葉を何度も聞いてるといじらしくて、弥幸に腹も立ってくる。
お前さ、何も知らない星陽に高校生の時から手ぇつけといて何やってんだよ。
ほとんど半泣きで寝入ってしまった星陽の頭を千聖と2人で撫でていると、千聖が言った。
「星陽が可哀想すぎるでしょ。ムカつくからちょっと呪ってやろうかな」
お前がやるとちょっとどころではなくなりそうだからやめてくれと思う。満月自身が感じている違和感のこともあるし、ここは弥幸の話も聞いてみなくてはならないだろう。自分の恋愛もままならないというのに、なんで俺がこんなことをしなければならないのだろうか。
ここに帰りたくないってどういうことだよ。
満月との電話が終わってから何度考えても、何の心当たりもない。いつどこで何が起こったのか全くわからなかった。
あいつとはこんなに他人だったんだな…
日常が順調に回っている時には気づかなかったそんな事実を突きつけられる。
他人である星陽が何を思って来たのか、今何を考えてるのか全然分からない。
自分の1番大事なものなのに、自分の力だけではどうにもならない。そしてそれを失おうとしているのに、できるのが待つことだけなんて地獄だ。
今のこれが夢だったらいいのにと思う。昨日までの幸せがこの数時間で覆ったのが信じられないし、信じたくない。
ああそうか。前世の俺はこれをして来たんだ。
不意に思った。
誰かの大事な人間を、それがどんなに罪のない人間でも、金さえ貰えば殺してきた。これはその報いなのかもしれない。
時間がいつもの百倍くらい遅い。心労が嵩んで吐きそうだった。寝るのも起きるのも息をするのもめんどくさい。
「生きてるか?」
唐突に満月が部屋に入って来た。
「鍵開いてたぞ。あ、入る前に何回もピンポンしたし声もかけたからな」
部屋の弥幸を見た瞬間こりゃ浮気はねーなとは思ったが、カーテンを開けつつサラッと聞いてみた。
「お前、浮気してんの?」
「は?意味わかんないんだけど」
弥幸の反応は予想通りだ。
「千聖にそそのかされて、お前の撮影現場を見に行ったらお前が浮気相手とキスしてたって。だからバイト見に来るなって言ってたんだよって星陽が」
「何の話だよ。全然読めない」
言ってから、弥幸は何かに気づいたようだった。
「撮影用にキスの練習はした。カメラマンとエアで。それ?星陽が見てたのか?」
「じゃあそれなんじゃね?あれは絶対恋人だって星陽自信ありげだったけど」
弥幸は背にしていたベッドに頭を預けるように寄りかかると呻いた。
「あー、くそ。それか。空知にも誰のこと考えてたんだって言われたんだよ。そんなにか?俺そんなに顔に出てんのか?」
そのままベッド上に投げていた上着を取ると弥幸は言った。
「星陽迎えに行く。お前大学行くんなら、悪いけど代返しといて」