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花調酔之奏(はなしらべよいのかなで)〜花酔譚

3  アサヒとカナデ③

 夜中から早朝までかけて身支度を整えさせられてから向かったのは、歴史絵で見る紅葉狩がそのまま再現されたような豪華な会場だった。山一つが全て紅葉というそこの、山裾やますそから会場までの山道には幕が張られており、招待された来場者は蒔絵まきえ駕籠かごで会場まで連れて行かれる。中にクッションがたくさん置かれた駕籠の中は金箔を使った風景画が側面から天井にまで描いてあり、窓がついていた。
 この窓を開けると、会場までの幔幕まんまくに描いてある続き絵を見ることができる。続き絵には、この山の冬〜夏の景色が描かれていた。駕籠から降りたところは紅葉の名所なので、絵の最後には生の秋景色が見られるという趣向だ。紅葉狩り会場は遥か遠くまで幕で囲われ、一面に紺の毛氈もうせんが敷かれている。フカフカの座布団が至る所に重ねられ、ところどころに野点傘のだてがさや縁台、座卓などもあった。

 豪奢ごうしゃな駕籠に揺られて着いた場所にはルミジナが支援中の芸術家や役者が待機していて、芸術家はそれぞれの作品を好んで買ってくれる客の元へ、それ以外は全体を見ながら適宜てきぎ接待につくらしい。着せられた衣装がやけに華美だったので皆このくらいのものを着て来ているのだろうと思っていたが、他の接待役は、せいぜい自分が持っている物の中で一番良いものを着て来ましたと言う程度だ。おいおい、こりゃ目立つったらねぇぞと周りを見回すと、もう1人華美なのがいた。ハナヨイに輪をかけて派手な、姫姿の若衆だ。その衣装と自分の衣装を見た時、気づいた。
 はぁ、なるほどな。『白波三人』の衣装か。
 舞台作品にちなんだ衣装を着せられているようだ。とすると、自分の衣装は「白波お坊」で、姫姿は「白波お嬢」だろう。なら、「白波和尚」がどこかにいるはずだ。
 一人一人接待につくよりは3人セットで接待した方が喜ばれるだろうと思ったハナヨイは、相談がてらまずは「お嬢」若衆の元へ向かった。

 人をかき分けて
「おい、あんた、『お嬢』じゃぁねぇかい?」
と手を引くと、一際ひときわ派手な衣装のこともあり居心地が悪かったのだろう。ホッとしたようにやって来た。容姿や背丈から見てハナヨイより年下のようだ。
「俺ゃ多分『白波三人』の『お坊』で、あんたは『お嬢』だろ?なら、どっかに『和尚』がいるんじゃねぇかと思ってよ。探しに行こうぜ」
 お嬢は鳰鳥ニホドリという芸名だった。駆け出しとはいえ劇場付きの役者らしいので、旅芸人より格上だ。なるほど、ニホドリは、役者や芸人が集まっているここでも段違いの美しさだった。
 ルミジナが、ただずっと側にいるだけでも良いと言っていた理由はこれかとハナヨイは納得する。若衆というだけで珍しいのだ。しかも、その1人がこれだけの容姿となれば、派手な舞台衣装を着せて連れて歩くだけでもちょっとした見せ物になる。
 …とすりゃあ和尚はあいつだろうな。
 3人連れて歩く予定も考えていたなら、残りの1人はルミジナの補佐ができる人間のはずだ。元役者でルミジナの側近とアテをつけられれば、見つけるのは早い。
 周囲を見回しているハナヨイに、ニホドリがオドオドと聞いてくる。
「…この格好、やっぱりちょっと派手ですよね。それに舞台でもないのに女装っていうのも微妙っていうか…」
ニホドリが歩けば人の視線がついてくる。それに慣れないらしい。
ハッと息をつき、ハナヨイは答えた。
「全く、とんだ野暮天やぼてんだねぇ。お前さんが綺麗だから見てんじゃぁねぇか」
それは本当のことだったのだが、
「そんな訳ないですよ」
心の底から冗談だと思っているように、ニホドリはアハハと笑った。
 こいつぁちょいと、童女おぼこいねぇ…
ハナヨイの中で、一座の子どもたちとニホドリが重なった。完全に保護対象だ。

 そうこうしている内に客が続々とやって来た。招待客たちはそれぞれ使用人や社員を従わせており、彼らが酒や料理、菓子などをどんどん運び込んでいる。大きな金屏風がデンと据えられ、その前に樽酒が積み上げられ、用意された机に食べ物が所狭しと並べられると、さながら超豪華なバイキングだ。

紅葉狩り会場配置図(一次会)

 運ばれてく来る物とそれを持って来た人間を覚えているハナヨイを、屏風の影にいたルミジナがちょいちょいと手招きする。
「今から皆で招待客への挨拶回りをするよ。それで顔と名前を一致させることができそうかな?」
「そりゃありがてぇ」とハナヨイは応じた。
今、客と持参物を覚えたところだ。そこに名前が揃えば忘れようがない。
 ルミジナの側には「白波和尚」がいた。予想通り、ハナヨイの衣装合わせをしてくれた男だ。現役時代は二枚目を中心に立役たちやくをやっていて、今はルミジナの秘書をしている衣織イオリだった。
イオリはハナヨイを上から下までじっくりと見ると、満足げに言った。
「うん、こりゃなかなか様子の良いお坊だな」
「ありがとよ。お前さんの見立てのおかげだ」
ハナヨイは、和尚の衣装が板に付いているイオリをしみじみと見た。
「やっぱり立役も二枚目となりゃ、イオリくれぇのガタイがなきゃ様になんねぇな。俺が鍛えてもその体格にゃなれそうにねぇよ」
イオリは声をあげて笑う。
「なぁに。舞台にピッと立ちゃ、一回りも二回りも大きく見えるってなもんだ。ドンとした立役二枚目もシュッとした立者二枚目もいる。役者に一番大事なのは『花』だ。だろ?」
そしてハナヨイの影に隠れるように立っていたニホドリを覗き込むと、微笑んだ。
「お前さんも、せっかく今しかねえ『花』を咲かせてんだ。堂々と立ちな。声変わり前の少年ってのは、えも言われぬ、匂い立つような魅力があるもんだぜ」

 挨拶回りが終わると、接待役は用意された提重さげじゅうを持ち、それぞれの接待に向かうことになる。ハナヨイはそれに加え、保護対象の行き先を個人任務として見届けてから、自分の仕事に向かった。

提重とは


 とは言えハナヨイも一介の旅芸人でしかない。
 こんな大掛かりな接待は初めてで知り合いの客がいるわけでもなかった。なら、なるべく手土産が大きな客の接待についた方がルミジナの役に立つだろうよと周囲を見回し、お、イオリはあそこか、と発見したところで向こうも気づいたらしい。目が合い、お互い笑みを返す。隣にいるのは、金屏風という大物を持って来た美術商の初老女性だ。周りもその一団のようで、最初の接待相手としては申し分がない。手招きをされたので、ありがたく向かうことにした。

 イオリから座布団を受け取ったハナヨイは、座りながら何気なく言った。
「前の屏風、『紅葉尽もみじづくし』って絵柄なんだよな。俺ゃでくの坊で絵なんててんでわからねぇけど、むちゃくちゃ立派だろ?こりゃ覚えとかねぇとってんで、さすがにさっき聞いたよ」
「あれを持ってきてくれたのが、この水戸画廊さんだぜ」
イオリの言葉に、ハナヨイは決まりが悪そうに頭をいた。
「こいつぁ面目めんぼくねぇ。どうも俺ゃボンクラだな。水戸画廊さんといやぁ、新人作家が何人も世話になってて頭が上がんねぇってルミジナもよく言ってんのによ」
もちろん、この一団が金屏風を持ってきた水戸画廊だということは知っていた。新人作家の絵をよく買ってくれ、おかげで世に出た画家も多いということは、いつだか小耳にはさんで覚えていた。頭が上がらないとルミジナが言っているかは知らないが、あれだけの金屏風を持って来れる大店おおだなで世話になっていて、イオリが最初の接待についているのだ。そのくらいのことを言っていてもおかしくはない。

 水戸画廊従業員たちと話し始めてしばらく経った頃だった。
 ハナヨイの目の端に、酒を勧められているニホドリが映る。イオリも同じ方向を見ていたので、あいつ酒は大丈夫なのかという意味を込めて目配せした。目線を受けたイオリは小さく首を振る。止めた方が良いと思っているようだ。
 意をみ少し頷いたハナヨイは、
「悪ぃがちょいと待っててくれ。極上のお嬢白波を連れて来るからよ。白波三人、ここに揃えてみようぜ」
水戸画廊の面々に冗談めかして言って、ニホドリの元へ向かった。

 今まさに、思い切って口をつけようとしていたニホドリのさかずきを横から奪うと、中身を一口で空ける。
「ちょいとお嬢を借りてくぜ?」
言うと、酒を勧めていた相手へ盃を返しながら耳元でささやいた。
「後で俺が来るからよ、ここは収めてくれねぇかな」
盃を受け取る男の手を、人から見えないようにそっと握ると目線を合わせた。
「…な?言ってる意味分かんだろ?」
演技として、ちょっと見上げ気味に熱を帯びた視線を作ったものの、”言っている意味”など曖昧あいまいなので、後で何とでも言い逃れはできる。
一瞬の出来事にあっけに取られているニホドリをうながし立ち上がらせると、2人はその場からさっさと退散した。
「ありがとうございました。若衆である以上はお酒の相手もしなければならないと知ってはいるのですが、今まで酒を飲んだことがなくて」
言ったニホドリは、あの、と自身のふところを探った。
出てきたのは、バラをかたどったクッキーと虹色の飴玉が、ビニール袋で個包装された物だ。
「人から貰ったものをお礼に渡すのも失礼かもしれませんが」
と、その菓子を渡して来た。
 ニホドリに酒を勧めていたのは、大きな菓子屋の主人だった。今日も手の込んだ練り切りをたくさん持って来ている老舗しにせの和菓子屋で、洋菓子は作っていない。
 大慶堂が焼き菓子たぁ珍しいな…
新商品の試食か何かかなと思いながら、ハナヨイは菓子を受け取る。
「ありがとな。洋菓子は珍しいから、ウチのガキどもが喜ぶだろうよ」
礼を言うついでに付け足しておいた。
「若衆は男だからってんで酒の相手を求められることもあるだろうけどよ。無理して飲むこたぁねえぜ。今度ああいうことがあったら、『接待に差し障りがありますので』とか何とか言って断れよ。実際、潰れて接待どころじゃなくなったら意味ねぇしな」
「なるほど、勉強になります」
と、熱心に頷くニホドリに若干じゃっかんやましさを覚えなくもない。逆に、酒に強いことを利用して酔ったフリをすることも多いハナヨイだ。商売がら、酒に強かったのは本当にラッキーだと思う。
 貰った菓子を懐に入れ2人でイオリの元に戻ると、早速さっそく、水戸画廊の皆にニホドリを紹介した

 可憐かれんさと初心うぶな反応は母性本能をくすぐるものがあるのだろうか。ニホドリは画廊の女性たちに大人気だ。女性中心の団体のこともあってか、勧められるものも抹茶にお茶菓子と健康的だった。様子を見ていたイオリが席を立つ素振りを見せたので、それに便乗しハナヨイも移動することにする。
「ニホドリも、あそこに置いときゃ変な手はつかねぇだろうよ」
ハナヨイが言うと、イオリも答える。
「お嬢は随分若えみてえだしな。まあ水戸の女主人さんは安心だよ。気丈夫でしっかりした方だし、さっき一言添えといたしな」
聞きながら目線を泳がせていると、今日の幔幕まんまくを用意した一団が目についた。呉服屋の「きの又」だ。文句のつけようがない太客だが。
「お前さん、あそこなんかどうだい?きの又は女性従業員が多いだろ」
確かそのはずだ。ならハナヨイよりイオリの方が受けが良いだろう。
ハナヨイの言葉で呉服屋の団体に目をやったイオリは、なるほどと頷く。
「確かにこの扮装ふんそうじゃ男受けはしねえだろうしな。お前さんはどうする」
ハナヨイは会場を見回した。
「ま、お坊白波なら潰しがきくだろ。接待がいなさそうなどこかを探すよ」
と、2人は反対方向に分かれた。
 ハナヨイは懐に入れたクッキーキャンディセットを取り出して眺め、また懐に入れる。
「…ま、とりあえずはルミジナに許可とって、あの見事な練り切りたちを、無くなっちまう前に回収するか」
呟くと、金屏風へと向かった。

 取った練り切りをお重に詰めるため、ハナヨイは幔幕の裏に入る。
関係者以外立ち入り禁止の控え所は、一旦人前から離れなければならない事情のある者、例えば授乳中の女性などが引っ込む場所だ。そして、基本は飲食を控えるべき接待中に、それが辛い人間がちょっと食べ物を口に入れる場所だったりもする。
 そこに次々と菓子が乗った皿を運び込み、鼻歌まじりにお重に入れてゆくハナヨイは、
 そういうテもあるのか!
と言わんばかりに皆の注目を集めた。
詰め終わったお重を風呂敷に包んでいると声をかけられる。
「おいおい、そりゃ反則だろ」
先ほど別れたイオリだ。
「ちゃんとルミジナには言ったぜ?俺にゃ、首を長ーくして待ってるガキどもがいるからってよ」
紅葉狩りがどう落ち着くのか予想がつかないので、今日は小屋に帰れないかもしれないと伝えてある。このくらいの手土産でもなければ、公演の穴埋めをしてくれる一座の者たちに申し訳が立たないというものだ。本当は料理も詰めて帰りたいところだが、これは日持ちの問題で泣く泣く我慢している。
「イオリは何か食いに来たのかい?」
「さすがに食べるのは我慢するけどよ。ちょいと喉くらいうるおさねぇと舌なんざ回らねえよ」
「十分回ってんぜ」
ハナヨイは笑い、イオリを見た。
「幕から出て右に回ったとこに飲み物があるって話だからよ。行ってみりゃぁいい」

そう言って背後を指さしながら、ハナヨイは思っていた。
 そうか、お前さんが来るときたか。
念の為にとやったことが、功を奏したと。

lemécénat〜ルミジナ

花調酔之奏はなしらべよいのかなで 4アサヒとカナデ④

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