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The story of the first owner

クレイ・ライマ&翠玉

〜おい、起きないか。

威圧感のある声が響いて、男は目を覚ました。

「…え、ナナちゃん、今何時?」
隣に寝ている女性に声をかけると、
「だから私の名前はナナじゃなくてナーナーだって」
文句を言いながらも時計を見てくれた。
「もうすぐ10時半。そういや11時から仕事じゃなかったの?」
リン・ナーナーは答えると、またコテンと枕に頭を置いた。
「まじか。九時半には起きるつもりだったのに」

 時間的には完全にピンチではあるのに、そう焦った風でもなくノソッと起き上がった男、クレイ・ライマは
「眠ぃ…」
布団越しに膝を抱えて呟いたが、しばらくすると覚悟を決めたように布団から出た。


 ライマの仕事は切ることだ。人も斬れば人外も斬る。そして、縁も念も切る。
依頼は、郭で常宿にしているいくつかの料亭に恋文のような形で届く。
自分なりに調査して納得できるものだけ受けるので、その時間も合わせ、ひと月に3件〜5件の依頼をこなしていた。仕事の実入はなかなか良く、おかげで家代わりに遊郭で過ごすこともできるのである。
 今日はその、何回目かの調査の日だ。
斬ることになりそうな相手が大体昼くらいには街にお使いに出るので、それに合わせて調べようと思っていたのだった。

 一階に降りると、料亭でありつつ女郎屋でもあるこの店はとっくに動き始めていて、昨晩客を相手にした仲居がお見送りをしていたり、店員が掃除をしたりしていた。美味しそうなご飯の香りもする。
 ライマは食べなくても支障のない体ではあるが、長年生きている間に酒や食べ物や飲み物のおいしさも知ったので、飲食が嫌いではなかった。
「今日の天気は良さそうなの?」
朝っぱらから露出度が高い仲居に声をかけると、客を送った時とはうって変わったダルそうな態度であくびをしながら答えた。
「晴れだって」

 そうか、晴天か。
ライマは店の外に出て風も確かめる。
 これなら大丈夫そうだな。
確認が終わると、店の陰に入った。

 その姿を追っていた人間がいれば、陰に入った途端どこかに消えたと思うだろう。 
だが、そういうわけではない。
 ライマは人間ではなかった。
場所によっては神と崇められていたこともある、非常に長寿を誇る種族の最後の1人だった。
意志と知能を持った水のようなものであるというのが近いだろうか。
固体から気体までどの形のどの硬さにもなれ、普段は人の形をとっている。
そして、今消えたと見えたのは、気体になったからだ。


 尾行や調査には、何と言っても気体が一番効率が良い。
飛べるし、とても狭い場所を通り抜けることもできる。
だが雨だったり風が強かったりするとかなり広範囲に広がったり分断されたりするので、意識が曖昧になるのが難点だ。
だから天気を確認したのだが、今日は晴天ということで問題はなさそうだった。
 雲の中で昼寝しても気持ちよさそうな日和だなあと思いながら空中を漂っていると、目指していた場所に着いた。
目当ての人物がいる。お使いの時間には無事間に合ったようだ。


 今回の依頼は、茶屋の看板娘からだった。
夜な夜な部屋の片隅に座り込み、ブツブツと話し続けている何かがいるらしい。
 ある日この町娘の声を聞き、ブツブツと話し続けている声と一緒だと思いライマに依頼をしたということだが。

…けど、何回観察しても普通の町娘なんだよなあ…

 店での働きぶりを見た日も店で買い物をして応対をしてもらった日もあるのだが、特に変わったことはなかった。
 今日は買い物についてまわっているのだが、やはりライマの嗅覚には何も引っ掛からない。
 異変があるなら夜だろうと、実は店員たちの部屋も二週間ほど観察し続けている。
だが今日までずっと、娘は熟睡しているだけで特に変わった動きもしなかった。
 こうなるとただ覗き見をしているだけのようで、申し訳なさばかり募る。


 翌日。
ライマは依頼主のいる茶屋へ行ってみた。
姿絵が飛ぶように売れるという、今評判の看板娘がいる茶屋は客で溢れていた。ほとんどが看板娘エミハ目当ての男性客や女性客だ。
こりゃ中に入れそうにないかなと外から伺っていると、エミハが抹茶セットを持ってやって来るのにちょうど行き合った。

 テラス席には赤い毛氈がかけられているベンチが並んでいる。
そこにセットが入ったお盆を置き、また店に戻ろうとするところに声をかけた。
「霧の夜に届いた恋文の話って知ってる?」
聞いたエミハは微かにあっという顔をした後に
「知らないなあ。後で聞かせてください」
と店員の顔で笑った。

 テラス席で塩漬けの桜が浮く梅昆布茶を飲みながら待っていると、ちょうどライマの後席の客が帰ったらしい。その片付けをしながら、エミハが背中越しに話しかけて来た。
「それで恋文を付けられた方は、お相手さんにどう返事をされるんですか?」
「応えるかどうか保留中ってとこだな。もう少し知ってから考えるそうだ」

 ここの店は娘とその両親で経営している。
同じ店内で働いている親に何か勘付かれるのを避けたいのだろう。
表情を変えず、声を抑えてエミハが言った。
「聞きたいことは何?」
茶を飲むふりをしながら、ライマは素早く聞いた。
「昨日も出たのか?」
「いつもと同じようにね。全く気色悪い」
吐き捨てるように言うと、食器を持って店の奥へ引っ込んだ。

〜それは妙だな。

 今朝ライマを起こした声が体内から伝導して聞こえて来る。
滅びた故郷の唯一の遺産である短剣の声だった。
ライマは数百年来、これを体内に収める形で帯同している。

 この短剣は過去の同種族が自身の体から作ったものらしく、ライマの変化に応じて気体になったり固体になったりする。なぜか意志と知性まで持っているのだが、本人は、自分の過去を全て忘れているのだ。
 当然自身の銘も忘れているので、固体になった時にエメラルドの柄を持つ美しい剣になることから、ライマは翠玉という名前をつけた。

「そうだよな。あの子には生き霊になってたり呪いをかけているような陰もなかったし、夜もぐっすり寝てたしな。これはもう、依頼主の言う影とやらも見てみなくちゃいけねえか」

〜…毎晩、女の部屋に忍ばなければならないとは、ご苦労なことだ。

 ところで、翠玉は気位が高い。
口ぶりには、「そのような下賎なことに私は関係ないが」という言葉が言外に滲んでいて、今回も協力はしてくれなさそうだった。
「人聞きが悪いこというんじゃねえよ。仕事だっての」
言った言葉も、言い訳扱いで無視をされた。

 とは言え、やることはやらなければならない。
その日の夜ライマはまた気体となり、依頼者である、看板娘エミハの部屋にいた。

 部屋の電気が消えて数時間。
うつらうつらとしていたライマは、異様な気配を感じてはたと目を覚ました。

 部屋の隅に黒いモヤが、というか、あの町娘の形の黒い人影があり、町娘の声でボソボソと何かを言っている。理解できる種類の言語だとはわかるのだが、何を言っているのかが不思議に聞き取れない。
 エミハも目が覚めてはいるようだ。
だがそちらを見ないように布団を被っていて、表情は伺えなかった。

…いや、でもこれは…

大きさに比例しない異様な圧だと思い、改めてしっかりと影を見た。
そして気づく。

やっぱり。
1人のもんじゃねえな。

幾人もの女性の影が重なっている。
同じように声も重なっているので、わかる言語なのに内容が聞き取れないのだ。

おいおい、どういうことだよ。

更に目を凝らした時、影と目が合った。
こちらに気づいた影が怒りの目つきで睨んだので、ここにいることがエミハにバレてはマズイと、ライマは窓の隙間から外に漂い出た。

 道路で人型に戻る。

気体や液体から固体に戻るといつも、布を体に巻く形の故郷の民族衣装姿になってしまう。ここ辺にない形で目立つはずだが、影が追ってくる様子はなかった。

てことは、あの部屋にある何かが依代になってるのか。

後日改めて、正式にエミハの部屋を調べさせてもらうことにした。




 茶屋が休みの日にエミハの部屋を調べていたライマは、鏡が立てかけてあり化粧台としても使われているらしき文机の引き出しに、美しい櫛を見つけた。
 髪飾り用のその櫛は金属製で彫り物がしてあり、茶屋娘が買うにはかなり高級に見える。
「これは、誰かからのプレゼントか何か?」
聞いてみると、エミハは声をあげて笑った。
「こんなものをくれるような相手、私にはいないって。茶屋で両親の手伝いをしだした頃かな。アンティークショップにあって、どうしても欲しくなって。案外安かったから初めてのバイト代で買ったの。いつか、これが似合うような女性になりたいなあと思ってて、それまでしまってるのよ」

 誰かが持っていたものが何か事情があって売られたわけだから、アンティークショップというのはただでさえ悪い気が溜まりやすい場所だ。
 そこで色々なものがある中こんな小さな櫛が目に留まり、どうしても欲しくなり、しかもそれはバイト代で買えるほど安かったと…。
 NGワードがたくさんある気がしてならない。

 ライマはエミハに聞いてみた。
「この櫛を預からせてもらって、場合によっては壊してしまう…ってのは、やっぱりマズい?」
「これを壊す?」
エミハはギョッとこちらを見た。

 …だよなあ。

「いや、わかった」
ライマは言った。
「まず、俺が今夜この部屋に泊まるわ。で、その影を見てみる。そんでOK?」
「あなたが部屋に泊まるのは両親的にOKじゃないと思う」
エミハは渋い顔をした。
事情を説明すればもちろん大丈夫だろう。だがエミハは、両親に余計な心配をかけたくないらしい。
という訳で、エミハの希望をいれ、この部屋に夜中こっそりと訪ねることになった。
正にそれが忍んで訪ねるってヤツだよと思うのだが仕方ない。
依頼者が言うことは絶対だ。


ライマ仕事着姿



 人通りの少ない夜中の街で、いつでも部屋に入れるようライマは店影で待っていた。
部屋の中にいる時間はなるべく短い方が良いとライマも気を遣っているのだ。

〜今度は正式に女の部屋に忍ぶわけか。

翠玉がほぼ予想通りの嫌味を言って来る。
だから夜中にこっそりと訪ねるなんて嫌だったのだ。

「仕事だって。俺の趣味みたいに言って来んな」
というライマの言葉は、今日も華麗にスルーされる。
「大体、何も協力する気ないクセによ」
嫌味を一言だけ言った後すっかりナリを潜めてしまった翠玉に舌打ちをしつつ、ライマはその時を待った。



 「うわっと…来たみたいだな…」

 丑三つ時。
ライマの元まで感じられる、二階からの圧が来た。
特に何の特殊能力もないエミハにも見えるというのはとてつもない力なのだが、それだけに、何も能力がなかったのは逆に良かったとも言えた。この圧では、少しでも何らか能力があったならば、命に関わるほどの支障が出ていたかもしれない。
世の中で一番強いのは霊感などの能力がない人間だなとは常々思っていることだ。

 今日は人型であるライマは、目立たない色合いで作った仕事用の服を着ている。
音を立てずに屋根に飛び乗ると、約束通り窓が少し開けられていた。
手をかけ、中に入る。
と同時に影と目が合った。
もう影というよりしっかりと町娘姿だ。

「あんたは部屋の端に避けとけ」
布団を被っていたエミハだが、やはり起きていたようだ。
それを聞いた途端、敷布団も引きずり端の方へ行き、角に寄りかかる。
縮こまると掛け布団で姿を隠した。
「こいつのことは何とかするが、その結果起こったことには文句言うなよ」
了承をとるように一応言った。これがどうにかなるんならどうでも良いと思うのだろう。エミハは掛け布団の中で何度も頷いた。
「さてと」
ライマは小さく呟くと、ジリジリと町娘に寄る。
攻撃をして来る様子ではないのだが、怒りがどんどん増幅しているのはわかり、自分が固体の体しか持っていなかったら潰されるんじゃないかというほどに圧も増してゆく。
町娘は文机に体の端を重ねるように座っていて、やはり起点はあの櫛のようだ。

「お前らも苦しいんじゃねえのか」
話しかけながら、文机に少しずつ近づく。
「お前らの本体はいねえのにさ」
おそらくそうなのだろう。
生々しい感情と言うよりは、ただ激しい怒りだけを感じる。

また少し近づいた。
もう少しで引き出しに手が届きそうだ。
「そろそろ、いい頃だろ?」

手を伸ばせば引き出しから櫛が取れる位置に来ると
「もう解放されちまおうぜ」
言ったと同時に引き出しを開け、櫛を手に取る。

町娘の目が吊り上がるように燃えた瞬間、開けておいた窓に向け、櫛を外に投げ出した。

 熱っち!てか痛え!
 人間だったら火傷なり何なり怪我が残ったことだろう。だが痛みは一瞬で消える。櫛は放物線を描きながら窓枠を越え、引っ張られるように、町娘の影も窓から出て行った。
 それを追って窓から屋根に出たライマの目の前で町娘の姿が崩れ、いくつもの女性の姿絵に分かれる。

 姿絵は1つの束になった。
扇のようにバラリと開き、1枚ずつ離れてゆく。
やがてそれらは、ドミノのコマのように一列に並んだ。

ライマは気体になり、一列が浮かぶ位置まで飛ぶ。
と突然、絵は描かれていた女性そのものになった。

「カクアヤシキミノタメニ…」
「あたらよを…」
「イタヅラに」
「いたづらに」
「なさんヤハ」

同じ言葉を輪唱のように呟く女性たち十数人が、周りをとり囲んだ。


 女性たちは、最初はただ浮かんでいるだけだった。
だから少し油断をし、死角にいた1人がすごい勢いで向かって来ていたのに気付くのが遅れた。
避けきれなかったライマは、頭から突っ込んで来た女に、気体の体をそのまま貫かれた。

 液体で出来ている体は傷がすぐ塞がるので、致命傷を受けることは絶対にない。毒や細菌も、気体や液体になり自分のものだけで再構築することにより浄化できる。何なら再構築をする前の気体の状態で、自分が受けた毒や細菌被害を、そのまま相手に浴びせ返すことさえもできる。
 だが、その瞬間の痛みや苦しみは人と同じように感じるのが厄介だ。

「くっそ。痛ってえな」
即座に人型になり着地する。
痛みがおさまる間もなく、膝をついたライマに別の女が空中から突っ込んで来た。
それを転がり避けると女は空中に戻る。

次が来る。
避ける。

また次が来る。
避ける。

避けられた女たちは最初と同じように、輪状に並んだ。

だが何回か繰り返すと動きが止まった。
見上げるライマと見下ろす女たち。
睨み合って数秒。


全員が、ライマに向けて突っ込んできた。

 櫛を触った右腕が、何か黒いものに侵食されて動かないことに気づいた。
いつもなら両腕を武器にしながら戦えるのに、これでは右に隙が出る。
一斉にかかって来る十数人を片手で一度に相手にするよりはと、左腕を鞭の形状にし、前列の数人を払い避けた。

 距離を取るための動作で攻撃というほどのつもりでもなかったが、ラッキーなことに1人消えた。残りには、女性の姿からただの影になったものと、元の女性姿のままのものとがいる。
それぞれ耐性は違うようだが攻撃は通じるようだ。
鞭程度で消せるものはさっさと消して、残りは剣やナイフで倒すのが良さそうだった。

 次に全員で襲って来た時には、左腕の鞭を長く細い形状に変えて相手をした。
大きく振りかぶると、女たちを巻き込む動きになるように鞭を振るう。

 空に戻った残りを見てみると半分程度の人数になっており、女の形を留めなくなったものがほとんどだ。
 鞭の形から戻した左腕を物を払いのけるような仕草で大きく振ると、夜空に大量の流星が輝く。
 それは無数の投げナイフだった。

 空一面を覆うほどのナイフ量に、女たちは逃げ場を失った。
ほぼ全身を貫かれたそれぞれの影は姿絵状に戻り、ボロ雑巾のようにあちこちに穴があき、破れ、消えてゆき。
最後は、髪に例の櫛を飾った、美しい遊女1人だけが浮かんでいた。

「かくあやしきみのためにあたらよをいたづらになさんやは」
女たちが口々に言っていた言葉が初めて文として成り、りんりんと響いた。
星空がひび割れそうなほど、高く澄んだ声だ。

 黒いもの……女性の髪が侵食し続けている右腕が、熱くジクジクと疼く。
液体か気体になればこんなものは造作なく消せる。
だが、なぜだろうか。
そうはしない方が良い気がした。

 戦いながらも、ライマはずっと考えている。
こいつは何を求めているのだろうか。
消して終わるだけで本当に良いのだろうか。

 浮かんでいる遊女の髪から、櫛以外の髪飾りが1つずつ落ちてゆく。
艶やかな黒髪が解け、月明かりを反射した。
美しい衣装が風を受け、フワリと広がる。
共寝をした人間しか見られない程にはだけた裾からは、美しい稜線を描く脚が見えた。
暗い空に内側から光を放つような肌は、紅で染めた素足の爪が良く映える。

 取り囲んだ女たちは、怒ったり悲しんだり逆に無表情だったりしたのに、最後に残るこの遊女は。
 あの女たちの感情の全てを飲み込んで残るこの女は、神妙にも見える深い瞳でライマを見つめていた。
 左腕を剣に変えて構えながら、ライマは思う。

ああ、やっぱり人間は面白えなあ。

嬉しくて泣いたり、悲しくて笑ったり。
全ての感情が満ちて静謐な瞳になったりもするのだ。

遊女の表情がふっと変わった。
色っぽく斜めに見下ろす瞳はあでやかで、微かに笑みを湛えている。
そして、直後。
遊女の着物が夜空に大きく広がり、ライマの目の前全てが布に覆われた。

心地よく布に包まれた体が、遊女に向かって巻き取られてゆく。
この人はきっと、母性的な優しい女性だったに違いない。
上等な真綿に抱かれているような感覚に、ライマは思う。
暖かく、柔らかい。

離れていたはずの遊女の姿は近くなり、今や唇が触れそうな距離にいた。

「なあ。お前いい女だな」
ライマは遊女に話しかけた。
「ヤバいなあ。俺、好きになっちゃいそうだよ」

 この遊女が女神でも観音でもなく、化け物であることはよくわかっていた。
その証拠に、侵食する女の髪は右腕から右半身を縛り、今も動かなくさせ続けている。そして、自分を包み込んだ着物はどんどんキツく締め上げられてゆく。
 だがこうして、縛られ、包み込み、締め上げられるからこそ、ライマは痛いほどに理解できたのだ。

あんた、寂しかったんだなあ。

家族に売られた?
好きな男が来なくなった?
産んだ子どもを捨てられた?

こんなに優しくて綺麗なのにさ。
なんでそんな目に遭っちまうんだろうなあ。

「いいぜ、俺を取り込めよ。永久に一緒にいてやるからさ」

夢見心地にそう言った瞬間。

全てが弾けた。

碧玉(デザイン:宗サクジロー様)



 〜貴様、何を勝手なことを言っている。

 右腕から右掌に、エメラルドの柄と黄金の飾りを持つ美しい短刀が滑り出た。
碧玉だ。
ライマの体を半分以上侵食していた髪もすっかり消えている。

「貴様は何故そう惚れっぽい」
体の中から出た碧玉の声は明瞭で重々しい。
「私の許可なく私以外のものに取り込まれることは許さん」

「そう言うけどな。記憶が戻ったら殺してやるっつう約束から1000年近く経ってんだよ。俺はいつになったら死ねるんだ」
本当にお前の記憶は戻るのかとも、付け足して責めたい。
だがそれは碧玉自体も不安に思っているだろうから、グッと言葉を飲み込んだ。
 碧玉も痛いところを突かれたのだろう。いつものへらず口をたたかない。
代わりに、話題を変えた。

「…あれを見ろ」

碧玉が言うのに前を見ると、胎児が臍の緒で母親と繋がっているような格好で、遊女が宙に浮かんでいる。
しかしその姿はもう遊女ではなく、シンプルな着物とただ下ろしただけの髪型だ。
遊女は遊女になる前の姿で、櫛と髪の毛で繋がっていた。

「…この櫛に、念が繋がってんだな…」

こんなに卑しい身の上だからと言って、惜しくも一生を無駄にするだろうか。

遊女と女たちはそう言っていた。
身が滅びた後も無念だけが残るほど、女たちは悔しかったのだろう。
そして、遊女はこの櫛をくれた相手を求めて、叶わなくて、女たちを取り込みライマも取り込もうとしたのだろう。

「思いを断つぞ。お前の寿命をよこせ」
碧玉の声にライマは頷き、女と櫛を繋ぐ髪を切った。
女は光を引きながら消え、櫛だけがカランと地面に落ちた。


普段のライマ



 櫛に残る遊女の念は事情がある女たちの念を集め、元々念の集合体になっていた。
町一番の看板娘ともなれば、多くの人間の恋慕や嫉妬を集める。そんなエミハの家にずっと置かれていたことにより、徐々に集合体が強力になっていったらしい。

 エミハが言っていた町娘は、全くの無関係だった。
 幽霊ではないのでそもそも容姿などなかったのに、エミハが、「あの町娘だ」と勝手に解釈することにより、だんだんとその形をとるようになっていったのだろう。
 念の集合体だから、念の影響も受けやすいわけだ。

 櫛は翌日に返した。
その時、エミハは首を捻って不思議そうな顔をして言った。
「何だろう…。変わらず綺麗なのに、なんか前より魅力がなくなった気がする」
「気のせいだろ。上等な櫛じゃねえか」

 ライマは言ってみたものの、まあそうだろうなと内心思っていた。
異様に惹かれるのは何か良からぬものが憑いているせいであることも多く、惹かれない人間にとっては全く惹かれない代物だったりするのだ。



 リン・ナーナーから、今日はそっちに行くらしいと聞いていたミン・ヒエンは、仕事は昼に終わったらしいのに帰ってこないライマを、アテをつけて探しに来ていた。
 上水を整備した川にかかるアーチ型の橋、そこから、柳が綺麗な川岸辺りを見下ろしてみる。

 やっぱりここか。

 柳の葉の間から、赤茶色のなのに玉虫色に光るという珍しい髪が見えた。
一声かけてから土手を滑り、側まで下りる。
 ライマはこちらをチラリと見たが、どうにも元気がない。

…まあ、ウチの料亭にすぐ来ずこんなところで時間を潰してるんだしね。また誰かを好きになりでもしたんでしょうよ。

ヒエンは何も言わず、毛先は赤紫なんだなどと思いながら、ライマの頭を撫でた。
「母親かよ」
言うので手を引っ込めると、おもむろに聞いてきた。
「遊女ってのは大変なんだろうな」

これは、今日は遊女に振られて来たのか?

思うが、そこは聞きたださずに答える。

「そうだねえ。ウチらが勤めてるのは料亭で、仕事は仲居だからね。一応、形としては、ご飯食べに来たら偶然にも客と店員がお互い好きになっちゃって、体の関係を持ちましたって形になるわけ。でも遊女ってのは高級娼婦で専門家だからね。容姿が美しいのは当然で床上手なことも必須だし、知性や教養もいる。本当に好きな相手にも、実は嫌いな相手にも、同じように接するプロ意識もいるだろうしね。まあ大変なんじゃない」

 ライマが惚れっぽいのは寂しがり屋だからなのだと思う。
いつもどことなく寂しそうな目をしているので、こいつほっとけないなとヒエンは思うし、それは定宿にしている料亭の、他の女性たちもそうなのだろう。

 ま、母親役としては、遊女はオススメしませんよ。

息子が傷ついているのは可哀想だが、どうこうならなくて良かった。
四六時中一緒にいたいだろう寂しがり屋には、絶対に向いていない相手だ。

 自分の目の前に垂れ下がる柳を手で弄んでいたライマが、ヒエンの手首を掴んで自分の頭に持って行った。

「はいはい、撫でてあげますよ。でも暗くなる前に帰るからね」

ため息混じりに言ったヒエンは、しばらくその頭を撫でていた。


碧玉のお話はこちら→ The Sword Story




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