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Diary6

師匠と弟子の話  ( 素敵なスイヒ先生はこちらにも → ロロたんめん様

 自分の倍ほどもある大きな体が重力などないかのように一瞬で屋根の上に上がった時、あまりの速さにどんな経路を辿ったのか全然わからなかった。
そのまま屋根の補修を始めたジャンニを見ながらイネスは思った。
 ジャンニでもできるということは、ヴァサラ軍の人たちは皆これができるんだ。
 自分が目指しているヴァサラ軍への入隊の厳しさを、その時初めて見た気がした。

 当時は、まさかジャンニが兵士だとは思っていなかった。
 なので、イネスは思ったのだ。
 衛生兵なら勉強さえできれば良いと考えていた。けれどヴァサラ軍はあくまで軍隊なのだから当然戦闘力もいるのだろう。
 そしてイネスは次の日から少し生活を変えた。
 朝早めに起きてジョギングをし、下校後にアクロバットを習い、寝る時間を少し遅くして勉強をする。生活は忙しくなったが、13になる頃には体力もつきアクロバットも形になっていた。

 なのに、なんでなんだろう。
 無事にヴァサラ軍六番隊に隊員見習いで入ったイネスだったが、入れたら入れたで、さらに厳しい現実が待っていた。
 こっちは遊ぶ時間を勉強と訓練に費やしていたのに、そんなに忙しい生活を送ってなさそうな見習隊員たちに勝てない。
 今日もまた総当たり戦の一回戦で負けてしまい、おかげで純粋に衛生兵として入った見習隊員たちと同じくらい医療行為に参加できてしまった。
 毎回一回戦で負けるので、安定の医療行為従事率に、まさかイネスが戦闘衛生兵だとも思っていない同僚が言う。
「戦闘衛生兵の人たちが抜けてるから、うちらだいぶ忙しいよね。まあでもイネスいるから助かるわ。ユオ君速いし重いもの運べるからだいぶ効率良い」
そうね、とイネスは曖昧に笑った。
 見習でも、強い隊員は会場での総当たり戦ではなく野外の戦闘訓練に参加している。山の中や崖の上などで怪我をしていたりするので、救助や治療に行くのに時間がかかるのだ。
「これ山の中のここね、これは…うん、湖のところだから私が行く。あと、崖のここで遭難してる人がいるって」
いくつかの指示を受け、必要な物資をユオとイネスで分ける。ユオと一緒に地図を確認すると騎乗して出発した。 

 予定の場所でユオと別れると、1人木々を渡って言われた辺りに向かう。
「六番隊のイネスです。どちらですか?」
言いながら、泣きそうになって来た。
 助けて欲しいのは、自分だ。

 訓練が終わると、何となく八番隊に足が向いた。そこには師匠のスイヒがいる。
 兵舎に入るとすぐに、綺麗なピンクの髪と花の髪飾りが見つかった。手に数冊の薄い本を持ち、心なしか早足で歩いている。
「先生」
声をかけると、ちょっとギクリと振り向いた。
「あ、それ新刊ですか?私もあとで貸してください」
と笑顔を向けたつもりだったのに、急にボロボロと涙が出て来た。
「また負けちゃったぁ〜先生ごめんなさいぃ」
 自分が負けてばかりだと先生の教え方が悪いと思われてしまう。申し訳なくて仕方ない。
 何で私はこんなに弱いんだろう。使える時間は全部使って訓練してるつもりなのに、何でその時間遊んでる人に負けるんだろう。
 もう何をどうすればいいのかわからない。



 ひとしきり膝の上で泣いたイネスが顔を上げた時、スイヒ先生が言った。


 「百戦全敗?」
イネスは驚いて、つい繰り返した。
「そうよ。あなたは今何回負けた?」
言われて、負けた回数を数えてみる。
「…10回…くらいかな」
 スイヒ先生はニッコリと笑うと言った。
「うーん。じゃあまだ足りないかな。強くなるにはあと90回くらい負けないと」
90回ということは、この全体訓練だけでも10年くらいかかる。
「あと10年したら先生くらい強くなれるかな」
イネスの顔を、頬を包み込むように持つと、瞳を見つめて答えた。
「もっと強くなるわ。だって、この強い私が教えるんだから」

 その笑顔につられて、イネスもえへへと笑った。
そっか、私まだまだ少ないんだ。
10年先なら、私もきっと、強くて素敵な女性になれてる気がする。
 イネスは、頬にある先生の手に自分の手を重ねて言った。
「わかったわ先生!私、あと90回は負けるように頑張る!」


 頑張ってはいないのだが、イネスはその後も相変わらず負け続けている。
 自分のペースで良いとは思いつつ、負けるとやっぱり悔しくて、スイヒ先生の膝で毎回大泣きをしてしまう。
「後85回ね、イネス」
 いつも言ってくれるスイヒ先生の明るい笑顔を見ていると思うのだ。

 でも、一回くらいは勝って、先生に喜んでもらいたいなあ。

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