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花調酔之奏(はなしらべよいのかなで)〜花酔譚

1  アサヒとカナデ①

「またアンタかよ、しつけぇなぁ」
あからさまに憎々しげな表情を見せチッと舌打ちをした少年は、アサヒを乱暴に突き放した。
 城下町の周縁地区にあたるここは歓楽街になっていて、昼は閑散としているが夜になると動き出す。飲み屋や夜の店が多いことで治安も良くはなく、体を売ることを生業にしている人間もたくさんいた。
 黄色や水色や赤紫の髪束が混じる卵色の髪に、赤地で花柄の、明らかに女物の着物を着流しているこの少年を、アサヒは先日まで成人女性だと思っていた。そして、酒だの薬だのに酔い、一様に蕩けた顔と曇った目をして歩く人間たち。その内の一人だと。

 少年には毎日会えるわけではない。その上、声をかけてもチラリと見るだけで無視される。今日もやっと見つけて声をかけたが振り返りさえしないので、呼び止めようと肩に手をかけた。それをはたき落とされ、思い切り突き飛ばされたのが今だ。
「触んなよおっさん。これ以上近づくってんなら金払いな」
少年はそう言うと、吸っていたキセルの煙をアサヒの顔に吐き出した。
直後、何かに気づいたようで、口から離したキセルをちょっと見る。
「…こいつの中身でもいいぜ」
アサヒを見上げ、ニヤリと笑った。
「モノが良けりゃ半日付き合ってもいい」
明らかに違法薬物である煙が直にかかる。それを払ったアサヒは後ろポケットを探った。札を2〜3枚抜くと少年に渡す。
「これでいいのかよ」
札を受け取った少年は金額を数えると
「ハッ、しけてんな。まぁいいよ。1時間だけ買われてやる。あっちの人目につかねぇ陰でちゃちゃっと済ましてもいいけどな。そん時ゃ30分だ」
と羽織の袖にしまった。
はあっとため息をついたアサヒは少年のキセルを奪う。
地面に投げると、踏んで折り砕いた。
「…っテッメぇ!何すんだよ!」
殴り掛かろうとした手を避けながら掴むと、袖を捲り上げて両腕を確認する。
注射痕がないことにホッと息をつくと言った。
「良かったよ。お前こっちはしてねえんだな」
自分の拳が避けられた上に腕を捕まえられたことが余程意外だったのだろうか。
驚いて見上げる少年に、アサヒは言った。
「勧められても絶対手ぇ出すなよ。やっちまうと戻れなくなる」

 この少年が「少年」だと初めて知ったのは、数日前に喧嘩を見たからだった。
娼婦にしては派手すぎる容姿なので、街に見回りに来るたびに目についてはいたのだ。その日も赤い着物が建物と建物の間に消え、仕事かなと横目で見ながら通り過ぎた。
 街を一回り見て、特に問題はなさそうだなと軍に帰ろうとした時だ。
 ドンガラガッチャーンと見事な衝突音がした。
 こりゃどこかで喧嘩おっ始めてんなと音の方へ行くと、壁の陰に消えたさっきの娼婦だ。もはや「着物を着ている」とは言えないほど着崩れた状態で、合わせはすっかりはだけてしまっている。そして、胸から腹にかけて色々と跡がつけられた身体からだは女性のものではなく、脂肪の薄い少年のものだった。
 だが驚いたことに、道に転がされているのは青年数人の方だ。
「散々輪姦まわしやがったくせにふざけんな!!約束通り券買ってけよ!!」
仁王立ちの少年と座り込む青年たちの間を隔てる大通りには、芝居の券が大量に散らばっていた。転がっている青年の一人がバカにした口調で少年に言う。
「男なんか抱いてやったんだ。ありがたく思って欲しいぐらいだよなぁ」
周りの青年の笑い声が重なる。
「まあ悪かなかったぜ」
所詮しょせんてめーはガキなんだよ。恨むなら頭が足りねえ自分を恨むんだな」
ぎりっと拳を握りしめた少年が低い声で言った。
「…あぁあぁ。よぉくわかったぜ。テメェらを2度と抱けねぇ体にしてやりゃいいんだな」
言った瞬間飛び出した少年があまりに速かったので、アサヒは止めに入る機会を逸した。慌てて少年と青年たちの元へ行こうとして、ふと立ち止まった。
 少年の攻撃は特徴的だった。器用にスルスルと攻撃を避けると、どうやったのか、それだけで青年数人が近くにまとまる。いち早く方向を立て直し向かって来た青年に軽いひと蹴りを加えると、青年は他の青年にぶつかった。すると全員がうまくドミノ倒しになり、ほぼ同時に遠く同方向へ跳ね飛んだのだ。戦闘訓練を受けたことがあるのだろうか。動きにも無駄がない。
 体格差を物ともしない少年にあっけに取られていたアサヒだったが、「このままでは青年たちが危ない」と思い、急ぎ少年を羽交い締めにした。
「お前!こいつら殺しちまうぞ!」
「そのつもりなんだよ!!」
少年がアサヒの両腕の中でもがいている間に青年たちは逃げ去った。もう大丈夫かと腕を緩めるとスルリと腕の中から抜ける。2、3歩走り出した少年だったが、青年たちが街角に消えると立ち止まった。
「…何でてめーら大人はそうなんだよ…」
背中を向けたまま、ぼそっと呟く。
「クスリはダメだ、ケンカはダメだ、殺しちゃダメだ、死んじゃあダメだってよ。お前らの論理押し付けて来んじゃねぇよ」
突然振り返りアサヒの胸ぐらを掴むと、ガンと壁に叩き付けた。
「将来なんて知らねぇよ!俺が困ってんのは今なんだ!今!ここで!今すぐに!!俺のいるもの全部出してみせろよ!!」
そして、胸ぐらを離しながら言った。
「…それができねぇんなら偉そうに口出して来んな。好きに生きて死なせろ」

 アサヒは何か言おうとしたが、口をつぐむ。
 大人だからわかることもある。
 クスリやケンカや殺しがダメなのは、何より、自分自身を傷つけないためだ。
生きていることは可能性だ。何かを変えることができる。けれど傷ついた体や傷ついた心では、変えたいと思った時に思い通りに動けない。だがそれに気づくのは、大抵、もう取り返しがつかなくなってからだ。
 少年は、羽織を拾い着物を整えながら去ってゆく。その背中を見送りながら、アサヒは頭を掻いた。
 どう言やいいんだろうなあ。
そして、とりあえずタバコを咥えて火をつけると、散らばったままになっていた券を全て拾った。

 それから数日後の今日、アサヒは少年をやっと見つけた。
今、目の前で茶を飲んでいる少年は
「どういうつもりだよ」
憮然と言って、胡散臭げにアサヒを見上げる。
「俺は稚児趣味はねえんだ。けどお前の1時間を買ったわけなんだろ?俺のしたいようにさせろ。とにかくお前は細すぎだからな。食わせてえと思ったんだよ」
「悪ぃけどあんま食わねぇぞ。仕事に差し障んだよ」
「おお、それだ」
アサヒはポケットから、先日拾ったチケットの束を出した。
「おい、返せよ!」
少年はもぎ取るように束を奪う。
「はぁん。なるほどな。金渡す時にゃそんな取り方しなかったくせに、この券は金より大事か」
少年は答えない。
「おいおい。商売相手にその態度か?」
ニヤッと笑うと、不承不承と言った感じで答えた。
「…大事だよ」
「お前がいる一座だろ?」
「そうだよ。何か言いてぇことでもあんのかよ」
注文をとりに来た店子に適当に注文してから、アサヒは尋ねた。
「券にいくつか名前があったが、お前はどれだ?」
「…ハナヨイだよ…」
アサヒは思わずガン見してしまった。
「は?ハナヨイ?お前が座長なのか?一体幾つなんだよ」
「18」
と言うが、どう見ても目の前の少年は絶対に青年ではない。
「嘘だろ」
アサヒが言うと、チッと舌打ちをして答えた。
「14だよ。悪ぃか」
 …まだガキじゃねえか。どんだけサバ読むんだよ。
そう言われれば、運ばれて来た団子やあんみつを食べる表情は、どことなくあどけなさが残る気もするのだった。


 アサヒと名乗る男には14と答えたが、正式には、もうすぐ14になる13だった。
 しけてるとは言ったが、もらった金ははしたとは言い切れない額だ。さして金がなさそうなアサヒからこの金額が出て来た時は、余程変わった遊びをしたいのかと思い警戒しながらついて行った。だがアサヒはどんどん大きな通りに向かい、気づいた時には茶屋に座らされていた。
 丁寧に十字に紐をかけられた券の束と、目の前に大量にある甘味と、アサヒの顔を順番に見ながらハナヨイは考えていた。
 …そう悪いヤツじゃねぇかもしれねぇな。
 そして我に帰る。
 いやいや、すぐそう思っちまうとこがガキなんだ。たかがメシ奢られただけでほだされるなんざチョロすぎだろ。立派なナリをした暴力男も、優しい顔をした変態もいたじゃあねぇか。
 ああ、いいぜ。食わせてぇなら食ってやる。けど自分のことは必要以上に話さねぇ。何が弱みになって脅されるかわかったもんじゃねぇからな。
「せめてもうちょっと美味そうに食えよ」
アサヒは苦笑いをして言った。
「そう睨まねえでも、食った分だけ払えとも奢ったから何かしろとも言わねえよ。けどなぁ。このままじゃお前が今欲しいものが何かも分かんねえだろ。俺はまずは、それが知りてえだけなんだよ」
 ほら来た。
ハナヨイは心中つぶやいた。
 そうやって甘い顔して、俺の欲しいものを知った途端、それをネタに良いように利用する気だろ。
だがその後も街で会う度に、アサヒは同じように金をくれ食べ物を奢ってくれるだけだった。

 旅芸人の一座に所属するハナヨイが欲しいものはシンプルだ。
 金が欲しい、昼に芝居ができる場所が欲しい、観客が欲しい。本当は一座の座員も欲しいが、それは我慢する。給金が払えない。
 ハナヨイは別に、したくて座長をしているわけではなかった。ただ、一座の人数が。特にベテランの座員が減ってしまった。主役ができる役者が自分しかいないという状況になった結果、座長をするしかなかっただけだ。
 今一座に残っているのは、そんなハナヨイでも協力してくれる兄さんや姉さん、そして子どもたちだ。青二才とはいえ、座長という名を背負っているのは自分だ。なら、できることは全部して、皆が食べてゆくだけの金を稼ぐ責任がある。

 ハナヨイだって最初は普通の仕事を探したのだ。
 だが、世間の風は子どもに冷たかった。どんな仕事でも年齢を理由に給料が差っ引かれ、少しは自信のある腕っぷしも、子どもでは信用されず用心棒の口などなかった。結局一番高く売れたのは、今この歳なら売ることができる自分自身だった。
 舞台の世界には伝統的に、少年が買われる習俗があった。それは文化の1つであって、売るのは成人前の、具体的には11歳くらいから16歳くらいまでの少年と決まっている。なので舞台に立つ可能性がある男児には、実際に舞台に立つか立たないか、売るか売らないかは別として、先輩役者から教示をされる習いがあった。なのでハナヨイにとって、春をひさぐのは、そう高いハードルではなかったのだ。歴史に基づいた相場があるので、うまくいけば並の大人どころではない大金が稼げる。それを枕営業として、客を芝居小屋に引っ張ることができるのも都合が良かった。

 飲み物だけを頼んだアサヒが、ハナヨイが食べるのを満足そうに眺めている。
 この状況に慣れるに従ってアサヒへの警戒心は薄くなり、やがて一緒にいる時間も嫌じゃなくなって来た。相手に合わせて媚を売らなくて済むのが楽だし、商売が関わらない雑談をするのが新鮮だ。色々と話をしたがアサヒは芝居には興味がなさそうで、舞台の観客にできないのだけが難点だった。

  そんなアサヒだが、何があったのだろうか。
「お前、芝居に出るんだろ?」
ある日ふと聞いてきた。
「出るぜ。毎日な」
今日もこの後に、深夜から小屋を開ける予定だ。
 一座には高い賃貸料を払う余裕がない。芝居小屋を借りるのも一苦労だった。
 何とか交渉し、小屋主のお情けで、誰も使わない夜遅くから早朝の時間をただ同然で借りている。興行は夜中に行っていた。飲み屋が閉まった後行き場に困った人間や売買春前後の人間が来てくれることが多く、ぼちぼち常連もいた。
 いつ来るかわからないし来ないかもしれないなと思ったが、ハナヨイは何となく、アサヒに券を渡すことにした。



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