The Swor Thed Story1
Edition P- Helena=Rayna・Lucraft
流域面積が世界を何周もするという巨大な川に沿うようにある、世界の酸素の五分の一を生産し消費する森。
日焼けは火傷なんだとわかる強い陽光とそれを少し収縮させる木陰。辺りが日暮れのように暗くなる時は雨が降っていることを知らせる水の香りが立つ。頭上を厚く覆う葉が少しずつ薄くなり光が漏れ出して来ると、ついにと喜び勇んで木々をかき分けるが、出た所は炭になった草花や一面の切り株の土地で、ああ、ここも違ったとまた元の道を辿る。
だが、ヘレナ=レイナ・ルークラフトは、ついにこのセリフを呟けた。
「…ここだ。見つけた」
それは草木が全くない、森がポッカリと抜けた場所だった。
風に舞い上がる乾いた土に黄色く霞む景色。遠く空と地面を区切る緑は熱帯雨林の続きだろう。その色が背景にあるから、光の帯の余韻程度にしか見えないものも川であるとわかるのだ。
ヘレナの父親は大学教授で、母親は由緒ある貴族の四女だった。
兄弟姉妹が多い中、末の妹であった母の結婚相手に家柄は求められず、母は自分の家庭教師をしていた父親と結婚した。それを母は、自分は人の中身を評価できる人間であると、自らの価値を上げる材料にしていたようにも思う。貴族であるせいか人間性の問題なのか、母は人の価値を持ち物ではかった。
父親が事故で亡くなるに伴い、母は実家に戻ることになった。生活は今までより贅沢になったぐらいだったし、父親がいない悲しみ以外に、その頃の生活を曇らせるものは何もなかった。
父親の持っていた書籍の全ては実家に持って帰った。そのほとんどはヘレナに与えられた広い部屋にあったので、父親を思い出して淋しくなった時はその本を読み、中に引いてある線や父の字を眺めた。
高校卒業後の進路は、上流階級の女性が花嫁修行のために進む女子短大と決まっていた。この中高短大は貴族社会の中では当然のルートで、ヘレナは何も考えず短大に進んだ。気づくと婚約者も決められていたが、育った社会の中ではそれが普通だったので、特に何の疑問もなかった。
だが婚約者と会う内に、疑問が少しずつ湧き上がってきた。
彼が専門としている学問の話をする時、もう少し詳しく聞きたいと思い質問をするのだが、ヘレナが知っている以上のことは全く出てこないのだ。だが婚約者として選ばれている以上、家柄だけでなく将来も有望であるはずの相手なので、それは決して彼の不真面目さを示す訳ではなかった。
上流階級女性は何も知らないくらいの方が上品だという文化だ。だからヘレナも無知なフリをし続けた。それに実際、女性である自分の知識など男性である彼には叶わないはずだから、おそらく彼が正しいのだと思っていた。
だがある日、彼が自信たっぷりに話したことで、絶対に自分の知識の方が正しいと思えることがあった。さすがに聞き流して忘れることもできず家で父の本を調べると、やはり自分の方が正しい。
その時、今まで押さえ続けていた疑問がヘレナの中でむくむくと大きくなった。
私はもしかして、意外と色々なことを知っているのではないか。
だって、学者であった父の残した本の全部を、ほぼ間違いなくそらんじれるほど、子どもの頃から読み込んで来たのだから。
折良くその時、今まで男性しか受け入れて来なかった大学が女性にも門戸を開いた。 なのでヘレナは、自分はどれだけのものか試してみようと決心した。
父親のいた大学だから何となく編入試験を受けてみたら、運よくトップの成績で合格した。1番だったものを辞退するのも勿体無いので、試しに行ってみようと思う。
女性に学問があるのは傷だと思うような祖父母と母親、そして貴族社会だ。なので、万一にも入学を許してもらえるなら、言い訳はそれしかなかった。
なのでヘレナは、楽器の習い事も社交ダンスのレッスンも、趣味にしなければならない決まりである、大嫌いな刺繍やレース編みも今まで通りにした。家が主催するパーティに参加し、相変わらず無知を装い、興味がない貴族子女同士の付き合いも完璧にこなした。母親に付き合って音楽鑑賞や美術鑑賞も行き、屋敷が寝静まる時間にきちんとベッドに入った。
そして夜中に起き、光が漏れないように布団を被って勉強をした。
ゼミの教授が女性の受け入れは文明の生態系を破壊すると言ったらしい。
女子を入れることにより大学のレベルが低下するのを嘆く婚約者や、勉強に力を入れる女性をみっともないと思っている母親や祖母の言葉を笑顔で聞き流しながら、ヘレナは思っていた。
なぜ女性というだけで、知識を得て勉強して働くことが恥ずかしいのだろうか。
性別と能力は本当に関係があるのだろうか。
お前の方が間違っていると言われる根拠が女性であるからというのはおかしいんじゃないだろうか。
けれどもう1人の自分は言う。
女性なのだから、男性より頭が悪いのは当たり前だ。そう教えられて来たし、現に政治家だって医者だって教師だって、知識が必要な仕事は男性ばかりじゃないか。
編入試験の日は友人と一日中買い物に出るということにした。そして途中で髪型を変え、用意しておいた安い服に着替え、男のフリをして試験を受けた。終わってからまた着替え、自分の服やアクセサリー、母親へのお土産などを急いで買って帰宅した。
編入試験を受けた女性はヘレナだけだった。そして希望通り、数十人の受験者の中で1位の成績で合格した。
勉強している姿など見たことがなかったのだから、母も祖母もヘレナの言い訳を信じた。そして、意外なことに祖父が味方をしてくれ、あと2年だけと言う条件で入学を許してもらえた。
頑張って編入した大学は教授も学生も女性に冷たく、登校するたびに皆から白い目で見られた。そんな中で唯一の味方は、女子も受け入れるということになったため新たに配属された、若い女性教員だけだった。
薄茶色の猫っ毛と少し青みを帯びた焦茶の瞳を持つその人は、ヘレナが不当な扱いを受けたと分かれば男性教授にも食ってかかってくれた。自分より小柄で少女のように華奢な人が足を震わせながら前に立ってくれているのを見るのは、私がこの人を守れるようにならなければと思わせるに十分だった。
男性たちを完全に敗北させるには、誰にも文句をつけられない研究成果を上げるしかない。それならば、誰もできなかったことをしなければならない。
そのためには、自分が使えるものは全て使おう。
体力と精神力、努力と継続力、時間と実家の財力。
ほとんどの人は払えないであろう高額な研究費が必要な熱帯雨林を、ヘレナは研究対象に選んだ。