ヴァサラ戦記随想 〜カムイという人物
ヴァサラ戦記過去編から現代編に帰って来て、ヒジリさん本当にお疲れ様でしたと思うと共に、ヴァサラ対カムイの大戦が3回もあったことに非常に切ないものを感じ、つらつらと書いてみたくなりました。
というのが、カムイは勝とうが引き分けだろうが、やはりヴァサラに戦いを挑むんですよね。それぞれの軍の事情もあったとは思うんですが、彼はそんなにしてまで、何をヴァサラに訴えたかったんだろうと、すごく思ったんです。
カムイという人物は、非常に気の毒なことに、
父親に対しては「父親の役に立つ」という条件
母親に対しては「病気の負担にならない」という条件
を満たして初めて存在を認められる、と感じているところがあったんじゃないかなと思うのです。
遠慮なく自分の全部をぶつける相手がおらず、子ども時代にちゃんと子どもとして生きることができていない部分があるのではないかと。
あなたがどんな人間であろうとも、とにかく生まれて来てくれて今まで生きてることだけで感謝するよ、と、丸ごと抱えてくれるような人が身近におらず、一番気にかけて叱ってくれるヒジリという存在も、カムイがカムイだからではなく、カムイがマリアの子どもだから気にかけてくれているところが大きい。
そう考えると、自分のことを一番として愛情を与えてくれる相手が側にいないのに、その中でよくぞ優しく純粋な少年に育ったなと、彼自身の頑張りを手放しで讃えてもいいくらいだと思います。
それなのに、やっと見つけた、唯一自分のことを1番に考えてくれる人間であったヴァサラも何も告げず何処かに行ってしまう。
このことはカムイにとってとても重大事態で、結局、彼に最初から最後まで寄り添ってくれる人間はいなかったわけです。
そして、条件付きでしか存在を認められない(と思っている)カムイは、常に条件を自分に課す、クリアするとさらに上の条件を課す、それで父親には認められることもあり、一瞬は嬉しいけど、結局満たされない。
何故なら、カムイが本当に欲しいものは、「何かを成したから認められている自分」ではなく、「何も成さなくても認められている自分」なのであって、そんなことは父親からは絶対に期待できないからです。
何故満足できないのだろうかと考えた時に、自分に原因があるとは思い付かず、薄々そうだと思ったとしても今までの自分の否定になりかねないので認められず、ああヴァサラがいるからだと、それを原因にする。
ならば自分が満足するためにはヴァサラという存在をゼロにするしかない。消すか、自分のものにするしかない。そうなるのは自然の流れかなと思うのです。
そしてそこで、「父親が殺された」という大義名分を得られたので、「お前のせいで俺はこんなに辛いんだ」と、ヴァサラに気持ちをぶつける。子どもの頃には決してできなかったことです。
ここで冒頭の疑問なんですが、
“そんなにしてまで、カムイはヴァサラに何を訴えたかったのか。“
答えは「こんな人間でも受け入れられるのか」と訴えている、なのではないかと。許されなくても当然のことをして、それでも見捨てられないのかどうかを確認する試し行為をしているのだろうと。
その相手かヴァサラだというのは、ヴァサラこそがカムイにとって最も大切な相手である、ということなのでしょう。
カムイは今、子どもの頃できなかった「自分の全部をぶつけて受け止めてもらう」ということを再現している。つまり、ヴァサラ相手に、子ども時代からもう一度生き直している最中なのではないでしょうか。
なので、カムイの魂は、
「最低の自分がどれだけぶつかっても受け止めてくれる相手がいて、その相手は何をやっても壊れず、しっかりと存在している」
という、子どもの時には経験できなかった絶対の安心感を経験できた時に、やっと人生を全うすることができ、本当に救われるのだと思います。
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