Diary 9
黄色ともたまご色とも言えない色合いの空間の中、少し影がかかる天井の白を見た。
やはり、ここが私の現実か。
楽しい夢をたくさん見ていた気がするし、そこでは別の人生を歩んでいた気もする。自分は死んでいた気もするし、死なんて遠い世界だったような気もする。
もうちょっと起きたくなかったかな。
ぼんやりと思った時、
そういえば、今何月何日だ?
現実的な思考が差し込んで来て、焦りで一気に頭がはっきりした。
体感では3ヶ月くらい寝ていた気がするのだが、処理しておいた事務手続きでちゃんと賄えたのだろうか。
カーテンが開けられ、ユオが跳び込んできた。それを抱き止めると、シナとソルが飛んで入って来て、ヒカリとアオバ、ラソもベッドに乗って来る。
「動物が集まって来てたから窓を開けたんだよ。そうしたらこの梟の子と狼の子が一目散にここに来るから、きっと起きたんだと思って。急にカーテン開けてごめんね」
柔らかく落ちてくるヤマイさんの声で、ジャンニに差し込んでいた焦りが解けた。
「ありがとうございます。ちょうど起きたところでした。うちの子たちがお騒がせしてすいません」
ちょうど奥さんが来ていたらしく、ベッド横に看護服姿で座っている。いつもニコニコとおっとりした人だ。
「君のところには色々な動物がちょくちょく来てたよ。皆、人の話がわかってる気もしてね。いつも窓を開けていたらちょっと仲良くなれて、病室にいながら癒されたよ」
ああでも
と、ヤマイさんはクスっと笑った。
「病院は動物禁止だから、この子たちが来てる時には楽しいことがたくさんあって」
言って目を合わせた奥さんが面白そうに笑って続ける。
「そうそう。人が通りがかったら私が廊下に出て話しかけたり、こう、廊下の半ば辺に立って進行方向変えるようにしてみたり」
その身ぶりをみていると、かなり不自然な感じで進行方向を歪めてくれていたようではある。
「この人が急にドア付近で立ち話をし出したりして」
奥さんの言葉を受けてヤマイさんが答えた。
「さすがにあれはちょっと唐突すぎたね。若いお医者さん驚かせちゃって」
と笑い合ってくれているが、最近2人の奇行が目立つと言われてないだろうかと心配になる。
「…って、噂をしてたら影ですね」
解放してあるドアに一番近い所に座る奥さんが外をチラリと見た。
「あれは師長さんだな。ちょっとマズいね」
ヤマイさんが言い、奥さんが部屋の外に出る。
「ちょっとこの子達隠しますね」
とユオソルに続き、肩にいるとシナと共に猫たちを抱えてベッド下に入る。
だが、気づいた。
「私は一緒に隠れない方が良かったのか」
案の定、ジャンニがいる体で話していた奥さんが、途中でちょっと無理がある感じで言い方を変えている。
「これは申し訳なかったな」
うつ伏せになっている顔の横に狭そうにいるソルに話しかけると、そうですねと言うような顔をしている。腕と胸の間からヒカリたち3人が這い出してくるのに従って仰向けになると、左右にユオとソル、胸にシナ、お腹にヒカリ、アオバ、ラソという、モフモフ皆に囲まれるような形になった。
その重みと体温は、現実の重みと手触りでもある。
結局、ここで何とかやってゆくしかないからな。
自分で選んだのではないかもしれないが、生まれてきた責任というものはあると思うのだ。仮にも世界の一角を占め、命が尽きずに存在しているのだから。
得たものを守り、与えられたものを分け、今と格闘し、生まれた責任を果たした末に。自分の生きていた意味が立ち現れれば良いと、そう信じるしかない。
寝ていた期間は自分の予測と大体同じで一週間ちょっとだったらしい。これが二週間や三週間だとワグリに平謝りしないといけないところだったが、ひとまず安心だ。
起きるまでが少しずつ長くなっているのはなっているので、これがどれくらいの長さになるまで仕事ができるのだろうとちょっと考える。
ワグリが持って来てくれたメスティン作のお菓子や、ジョンたち3人が毎日お見舞いに来ては置いて行ってくれたらしい本や文房具などを仕分けながら、ジャンニはふと、一枚の絵を手に取った。
イネスが描いた家族の絵だ。
ユオとソルとラソ、ソラとジャンニとイネス。人間と生物が鮮やかな色調で大きく描いてあり、屋根と庭は実際より明るい色に塗られている。家と小屋の窓は大きかった。
イネスは絵があまり得意ではない。なので上手とは言えないのだが、見ているこちらが力をもらえるようなとても良い絵だ。
これを持って来てくれたのが誰か、なぜこの絵を持って来たか、ジャンニには容易に想像がついた。
「ヤマイさん」
隣で書き物をしているヤマイに話しかけた。
「奥さんと結婚をしたきっかけは何ですか?」
急に何だと思ったに違いないのに誠実に答えてくれる。
「これっていう、言えるようなきっかけはないんだけど。…強いて言えば、結婚しないという選択肢がなかったからかな」
よく書いている娘への手紙の手を止め、ペンのキャップを閉める。
「もちろん、しない理由はたくさんあったよ。まあその時は今より元気ではあったけどこの体質だし、おそらく長寿でもないしね」
ちょっと考えてから続けた。
「でも、頭で考えることの全部が、とってつけたような、安くて嘘っぽいもののような気がしたんだよ」
「奥さんのことがとても好きだったんですね」
ジャンニの返答にちょっと笑った。
「そう思うかい?もちろん好きだったけど、多分、思ってるほど激しい気持ちじゃない。どちらかというと穏やかだったよ。この人と一緒にいる方が自分にとっては自然っていう気がしてね…うん。だから結婚したのかもね。この人が好きだと穏やかにずっと思える人と、特別で、小さくて暖かい空間を作りたかったのかもしれない」
人間は社会的動物である、という何かの一節が浮かんだ。
ならばそう望むのは、人間の本能なのかもしれない。
「気になってる人がいるんだね?」
ヤマイさんは言った。
「それは、すごく良いことだよ」