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2022年6月の脳内

吐きそうになるくらい大量にステーキを食べました。牛の肉すきじゃないのに。野花紅葉です。

6月はまだあと4日ほど残っているわけですが、このタイトルで記事を書いてしまいます。理由は眠れないからです『バロック【再演】』が終演してからすっかり眠り方を忘れてしまい、この一週間で「自分がいかにあの現場で愛されていたか」と「自分がいかに自分自身を愛せないのか」を思い知ったのでした(注:わたしは非常に眠りにつくのが下手で、その理由を「愛された!」という実感を持たないと眠るスイッチが入らないからであると自己解釈してます。キモいですね。もっとキモがりたい人はこちら)。

今回は(劇)(激)と分けることはせずに一つの記事として更新します。明確にどちらだとわかることもたくさんあるでしょうが、それぞれ連関性のあることだったり、そもそもあまり分けたくない/分けられたくないことだったり、わかられたくないことだったりするので、そのようにします。が、ゆえに長いです。そして、前半は割と対外的な気持ちで書きましたが、後半はなんなら普段のnoteより読ませる気のない文章になってしまった感じがします(つまり分けない意味はあまりなくなってしまいました)。

では以下。

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・演劇をやることは、仕事だ、と思った。いやそりゃそうなんですけど。知ってたつもりだったけど、今回ほど理解したことはなかったかもしれない。非常に恥ずかしいけれども、非常に、理解した。やっぱ恥ずかしいからここだけ本当はLimited❤︎にしたい。

・上で言う「仕事」の定義はもちろん「職」という意味もあるけれど、「作業」という意味の方が大きくわたしには残った。いやそりゃそうなんですけど!とにかく、これほど明快にそう理解したのは初めてだったの!

・スズナリの女子楽屋で毎ステージ開演前、「さ〜て今日も仕事をしよ〜」という声が聞かれた。多分わたしも言った。誰かが自身に言い聞かせていたこともあったし、それが全体に波及したこともあった。演劇をやることは、仕事だ。そうだとして、あらゆる意味で、めちゃくちゃな仕事だな、と思った。

・全ステージが終わった後の女子楽屋、「これでやっと私たち『ただの友達』になったの。すごくない?」という声が聞かれた。あらゆる意味で、すごすぎて、ちょっと泣きそうになった。

・というわけでギャル友ができた😜✌️🌈

・なんか日記みたいになっちゃった。まあいっか。

・とにかく、すげ〜愛をもらった期間だった。個人として座組みの皆さんから、というのはもちろん、作品の一部としてお客様からも。すげ〜と思いっぱなしだった。

・「愛情の感じ方のバリエーションが乏しい」という記事を稽古直前に更新していたのだけど、少し増えたかもしれないと思えた月だった。いわゆる恋愛(それも非常に限定的で一面的な)にしかわたしのセンサーは利かないのかもしれないという恐怖を感じていたのに、自分の一部とか、自分が一部となったものが愛されることが、なんていうかそれって超「愛」じゃんと認識できたこと、とても嬉しかった。嬉しすぎてこんなツイートしちゃったしこんな下書きも残ってた。

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・さ〜て、まあ、しかし、ですわ。

・しかしだな、やはりわたしは、「愛する」のも「愛される」のも下手だわ

・まず自分を愛するのが下手だ。自分がやる役というのはやっている時には何割かは自分なので、めちゃくちゃ苦戦する。

・眠れないのもそう。自分が眠ることを許してやれない=愛してやれないのだと思う。

・そして、許すことが愛だと思っている節があるので(上の等式参照)、許されなければ愛されていないと思う感覚もおそらく人より強くて、それってなんだかものすごく不健全だなって知ってるんだけど、こちらはまだ、非常に理解してはいない。

・どう不健全かと言えば、どこまで許されるのか息を吐くように「試そうとしてしまう」ことだと思う。悪癖も悪癖だろう。死のうかな。ここまで言語化できているのに、こういう感覚が死なずそういう行為が殺せないことに自分の理性の弱さとか大したことなさを思うし、つまり自分を愛せないし、そして誰かを愛するということが上手にできないことを知るし、結果ますます自分を愛する口実がなくなってゆく。

・「この人が恋人だったらいいなあ」という感情が今あるとして、それって自分の下手な行いにわざわざ付き合わせるってことじゃんね。え、どうしたらいいのそういう時?「下手だけど許してね❤︎」だと↑の負のループに陥るし、上手にするにはわたしの理性ってゴミなんだけど。どうやって上手になればいいの?そもそも上手になるの?みんなどうしてんの?

・でもやっぱ自分の理性って本当に本当に大したことがないから、ここまで書いたことが脳内を駆け巡りながらも、我慢できず「付き合い」たくなってしまい、我慢せず「付き合わせようと」してしまいました。そんなここ一週間。ここ一週間っていうか昨日

・というわけで(?)牛肉を食べたのが今日です。

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ここまで辿り着いた人、果たしているんだろうか。いらしたとしたら、もう本当にすみません。冒頭に慌てて書き加えたように、後半はもう自分の脳内をそのまますぎるくらい文字にすることを目的にしてしまい、読んでいただくことを前提とした文章ではなくなってしまいました。

ただ、ちょっとまた毎日更新してみようかな、と今思っているところです。それはもちろん「いつか台本にする」ためにです。それくらいの元気が、この記事を最後まで読んでくれるあなたのような方のおかげで少しずつ出てきたのが、6月でした。その時はこの記事よりも読みやすい文章にするつもりですので、懲りずにお付き合いいただければ幸いです。

それでは、こんな感じの脳内と大量の牛肉を内包した胃を抱えながら、睡眠を試みてみようと思います。また、おそらく、近々。

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