雑記:邂逅と訪問の記録
12月の出演に向け、前髪を作りました。野花紅葉です。
26歳にもなりました!お祝いしてくださったみなさま、ありがとうございました(ケンタッキーのチケットも残り26ピース分残っています)。
さて、文章を書きたくなるときはどういう時なんだろう、なんてことを、考えたこともないくらい言語化・文章化するのが普通だった今までと比べると、本当に2023年というのは異常です。まるっきり生活が文章化に直結しなくなった。これまで自分がどれほど、言葉や文章や作品にするために(あるいは、それをエクスキューズにして)生活をしてきた(つもりだった)のか、ということに、嫌でも向き合わざるを得なくなりました。
それでもこのnoteが更新されたということは、それだけ大きいことがあったということです。書きたいというよりは、書いておきたい、書いてみたいと思ったので筆を取ります。
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せめてネタになってくれなきゃやってられない、と思いながら生活することを、恥ずかしながら超カッコいいことと思って生きてきてしまった。
自分の境遇や能力、物理的精神的な傷、感情の波やその波及による結果。その全てをネタとして、コンテンツにして、フィクションにすることを「生活」と呼ぶこと。
創作するために生活をする/生活がある、という強すぎる自意識が、確かにわたしを死なせなかった瞬間もあったが、その自意識自体に酔っていた瞬間があったのも、また確かだ。どちらの割合が多かったかはわからない。混ざり合っていた気さえする。
2023年は異常だ。生活を、ネタとして扱う時間が、異常に減った。
わたしが、自分を生かすために/自分を納得させるために/誰かに観せるために/誰かを喜ばせるために/……と、ゆえに超カッコいいと思っていた、生活全部をネタに創作をしてやろうという態度は、自分の人生でなく、他人を、そのために消費してやろうとする極めて傲慢な態度だったのかもしれない、と思うようになった。
いや。そうだったな、と思い当たること山の如しであった。
♪人は一人では生きていけないから〜なんて歌わされた幼稚園だか小学校だかの記憶が蘇る。わたしがネタと見做していたものの中には、確実に絶対に当然に言うまでもなく、他人の人生の瞬間があったはずなのに。え、スーパー当たり前のことすぎて引きますね自分でも。生活から創作することの是非について語っているわけではなく、わたしは、自分の態度が思い上がっていてクソという話をしています。
生活を、生活として見るようにしてみた。そうなった。
生活を創作のために送らなければ(送っている、ということにしなければ)死んでしまうゼ!!!!と思っていたのに、なんなら、毎日のようにしていた「今わたしだけに隕石が飛んできて死なねえかなあ」みたいな妄想を、気づいたらずいぶん長いことしなくなっていたことに、遅れて気づく始末だった。
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東京に生まれ育ち、大学を出、演劇なんてものをやっていると、その土地やその出来事への触れ方のロールモデルみたいなものは良く見た。
どうしようもなく自分ごとにはならない、しかし同情や憐憫なんてものは論外で、それでも上から目線で関わる形にどうしてもなりやすい。無視を決め込むことが善きことであるはずないとわかりつつも、考え出した「自分にできること」を実行する勇気や覚悟の大きさを思いつつも。わたしがそれを、復興 “させてあげる” 対象であったり、作品に “してあげる” 対象であったりにしてしまうことが、恐ろしかったし、恐れるまでもなく、想像すらしようとなかった。
考えなかったどころか、積極的に接触を避けていたのだろうと、今ならわかる。わたしがそれと接触するということが、すなわち問答無用で「ネタ」として見ることになってしまうだろうと、直感的に無意識的に感じていたのだろうと思う。
触れたくなかったし、出会いたくなかった。訪れるなんてもっての外だと思っていた。
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そうですね。3ヶ月以上ぶりにnoteを書いたのは、福島に行ったからです。生まれて初めて。
人の親に挨拶をしに行きました。
素晴らしかったです。生活を生活として見ると、こんな風にあらゆることと出会える/出会い直せるのか、と感動しました。
他人にも人生があるということ、他人が愛されているということ、何年も何回も書き続けてるくせに抜け落ちてしまいがちだったものたちが、あんなに実感できる体験はないかもしれない、と思います。
いろんな偶然の結果ではあるけれど、わたしが生活を生活として見るようになって、出会った人がいて、訪れた土地があって、出会い直したたくさんのものたちがあって、それは全部、自分ではない他人のおかげでした。その人によって2023年は異常な年になりましたが、今までで最も死にたくならない年になりそうです。
……残り2ヶ月ありますが。
とにかく、大変に健康です。そして12月の出演を頑張ります。あと、「だからもう創作できない」的な話ではありません。確かに正直、お恥ずかしながら「じゃあネタって何だっけ」「じゃあどう書けばいいんだっけ」的な状態にはあるものの、いろんなアプローチを試行しながら劇作に励んでいきたい気持ちです(マリカノハナは既にその挑戦でもありました)。新作、時間かかっちゃうかもしれないけど、ずっと考えながら生きてるからね。
最後に、南相馬市の原町というところにある「珈琲亭いこい」のナポリタンが、異様に美味しかったのでおすすめです。キャベツが入ってるしサラサラしてるけど妙にうまい。もし機会があれば、ぜひ。
次は劇場で会いましょう。 “愛” を込めて!
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