「こんな不自然なこと普通にやれててすごい」
名前順で友達ができる話、「おウワサはかねがね」でご一緒したちゃんさんが同意してくださってとても嬉しかったです。だよね!野花紅葉です。
学校での人間関係で他に思い出されるのは「握手したら仲直り」の風習でしょうか。近頃そのグロさの指摘を見るようになってきましたが、わたしが小学生の頃はまだ当たり前に行われていました。「許すタイミングやそもそも許すかどうかは当人が決めること」「外部が強制することじゃない」などの意見がある中で、もっと単純に、「外側(ポーズ)を作らせて、だから内側(心・頭)もそうなるよね、なんておかしい」という意見。
少し話が変わりますが、俳優さんが「ある感情を抱えている時の身体の状態を覚えておいて、演技をする際はまず身体をその状態に持っていく」という話をされていて。例えば芝居と全然関係ない私生活でめちゃめちゃ怒ってる時、その時の自分の筋肉とか鼓動の速さとか声の大きさの自認に努め、芝居で怒らなきゃいけない時にまずそういう身体を再現する、そして心も頭も怒らせる、というような。普通にすげ〜そんなことできんだ〜と聞いていたんですが、いや、そうなんですよね。全然それって「不自然」だし「普通」にできないし、だからこそ俳優ってすげ〜なんですけど。
「こんな不自然なこと普通にやれててすごい」
これは次回ご出演の松浦みるさんと恋バナをしている時に出た言葉で、文脈としては「付き合いましょうという外側(ポーズ)を先に作ってから内側(心・頭)を追いつかせるなんて、〜」というものだったのですが、確かに、仲直りの強制とか俳優の演技の仕方には「不自然」「普通じゃない」と感じても、こうして誰かと交際していくということは割と「自然」で「普通」な、一般的なことであると、少なくとも広く認識されているなあ、と思いました。それですごく印象に残ってて。
外側を固めてから内側を追いつかせる、それって特に極めて個人的なことに対してだと「不自然だなあ」とちゃんと感じるのに、恋愛という個人的なものの代表(と思っています)にはあまり適応されないの、なんでなんでしょうね。一周回って最近は、その不自然さまでをも楽しむものなんじゃないかと思ってきました。
ここ数日、稽古場で餃子の話をしまくっていたのですが、ついに本日食べたそうです。うらやましい。みるさん、台本になりました。