いじめられて何かを悟った日
いつも言ってる通り、私は実家がとーってもしんどかったんです。
だから学校が好きだった。いじめられても。
これは、小学生時代内気だった私が、内気じゃなくなる瞬間までの話。
***
いじめがあったのは、小学校2,3,6年の時。
2,3年のやつは、いわゆる女子3人グループの2対1構造。
で、6年のは、内気グループに順番に回ってくるいじめられ役、みたいなやつ。
だいたいが無視とかそんなんだったと思うけど、よく覚えているのは、「帰り道に、引っ付き虫(という名の草)を寄ってたかってくっつけられる(2年生)」ってのと、「ニヤニヤしながら近寄ってきて、ベタベタして、どっか行ったと思ったら身体中にセロハンテープがつけられていた(6年生)」っていうやつ。
なんだろう、私そんなに「何かをつけたくなるキャラ」だったのかな。
それとも、いじめる人って「何かをつけたい人たち」なのかな。
ちなみに、当該の引っ付き虫は、これ。
調べてみたら、アレチヌスビトハギとかいう、ごっつい名前らしい。
思ってた20倍、聞き慣れない変な名前…。
オナモミ、とかじゃないんだ…。
神話に出てきそう。国生みとかしてそう。
そして、2度と思い出せなさそう。
そんな、ごっつい名前のちっさいお豆さんを身体中につけられて、一人泣く泣く、それを毟り取りながら家に帰る日々だった。
そんな、2年生のある時。
辛くて、家に帰って、勝手口に置いてあった段ボール箱の中で、捨て猫よろしくシクシク泣いていた。
そしたら当たり前に親が気づいて、事情を聞かれ、父親が、「そんなやつ、パパがぶっ飛ばしにいったるわ!」と言うので、それはそれで私は困惑した。
その後、さすがにいじめっ子をぶっ飛ばしには行かなかったようだけれど、いじめる側だった2人のうちの1人が近所に住むA子という子で、家族ぐるみで仲良くしていたお家だったから、親が話をしたようだった。
そこから、2年生時のいじめは一応の終結をみた、ような気がする。
3年時も、帰り道に気の強い女の子2人に翻弄され、無視されていた気がするけど、あまり覚えていない。何なら、担任も全く思い出せない。
不思議なもので、いじめの無かった学年の先生は、エピソードまでとても良く覚えているのに、いじめのあった学年の担任は、顔も名前も、本当に記憶にない。
3年は特にない。
続く4,5年時の担任の先生は、本当に良かった。それぞれ、私の絵と文を褒めてくれた先生たちで、いまだにその思い出は大事に胸の中にしまってある。
だから私にとって4,5年生時はいじめのない良い期間だったのだけど、その4年だか5年だかの時に、別のクラスだった例のA子ちゃんがいじめられたようで、わざわざ私のところまで来て、「一緒に帰ろう」と言ってきたので、一緒に帰った時期もあった。
そして6年。
持ち物を真似した、などのいちゃもんをつけては、次はあいつをいじめようぜ、みたいな雰囲気だった。
そして私は、いじめられる方のグループにいた。
ちなみに、例のAちゃんは同じクラスで、いじめる側のグループにいた。
いじめのターゲットとなった時は、前述のとおりセロハンテープ事件などもあり、よく風呂場で泣いていた。
この頃の私はさすがに学習しており、勝手口のダンボールでは親に見つかるため、もっぱら泣くのはお風呂の中だった。健気な成長が感じられる。
そんなある日、風呂場で泣きながら、私は覚醒する。
「悲しい…辛い…死にたい…何でこんな辛い思いをしなくちゃいけないんだ…何で…」
「…ん?本当に何で、こんな辛い思いをしなくちゃいけないんだ?」
「…待てよ。私は何が悲しいんだ?嫌われてること?」
「そうだよ、嫌われていることは、悲しい。…悲しい?」
「いやいや待って。悲しくない。…悲しくないわ!」
「だって、私も!お前らのこと!嫌い!だから!」
目からウロコ、ボロン。
それは、防衛本能みたいなものだったと思う。
死にたい…?何であいつらのために?!
と、色んなことがひっくり返った。
そして思った。
「むかつく。どう考えてもA子が一番むかつく。嫌い。あいつ何やねん」
ということで、翌日の昼休み、A子を図書室に呼び出した。
1対1。
私も緊張はしていたけれど、コバンザメタイプのA子の方は、目に見えてキョドっていた。
「あのさ、あんたが私のこと嫌いなんは分かったけど、私もあんたのこと嫌いやから」
「○○(私の下の名前)ちゃんって呼ぶん、やめてくれる?意味わからんし」
バッキバキの冷えっ冷えの空気感の中、それだけ言って、去った。
何かが吹っ切れた時だった。
めちゃくちゃスッキリした。
その日からA子は、目に見えて私に対してヘラヘラしだした。
私は、それまで怖いと思っていたものが、「なんだそんなもんか」と思うくらい怖くなくなって、拍子抜けした。
その後、クラスでいじめが続いていたかは定かではない。
なんせ私はいじめの界隈から離脱した。
そういうのがどうでも良くなった。
だからそれ以降は、集団に属さずボーッとしていた。
するとなぜか一緒に居てくれる子がいたりするもんで、そういう子と親密にしていたし、覚醒後の私は気が強くなっていたから、いじめの標的にされることもなくなった。
あれはある種の、私の「自我の芽生え」だったのだと思う。
***
…と、なぜ唐突にこんな話をしたかというと、女前有名人、マリナ油森さんの
こちらを読んだから。
いじめっ子側だった方が登場するのですが、それがまた強烈なお方で。
”いじめる側は何も思ってないよ。これ本当に。”
とか、自信満々に仰るんです。謎。謎の自信。
いやー、無理だ。私だったら無理だ。心のシャッターが閉店ガラガラしちゃう。
マリナさんの懐、深すぎる。
でもまあ、いじめる側は何も思っていない、覚えていない、というのは多分本当で。
大学生くらいの時に、小学校3年時のいじめっ子が友だちを介して「会いたいな〜」とか言ってきて、アホかこいつはと引いたのを覚えている。
***
長々と自分語りをしてしまったけれど、私が言いたいのは2つ。
1つ目は、「嫌われてる」と思うと、そのことばっかりに気が行っちゃいがちだけど、自分にだって「嫌う」権利があって、それは誰にも侵されないものであり、コントロールしているのは自分である、ということ。
2つ目は、
さて、この植物の名前は何でしょう。
【追記】
お友だちになれるかどうかはさておき、「いじめる側は何も思ってない」の方の言うことは一理、いや三理くらいある。
前述の3年時のいじめっ子(B子)の家に、一度だけ行ったことがあるのだけど、とても大きくて、ひと気がなくて、そして暗いのに驚いた記憶がある。
昼間なのに、暗いのだ。親御さんが不在で、どの窓もカーテンを引いているから。
そんな中で彼女は、いかにも楽しそうに遊んでいた。
もしかすると彼女は、元気でいなくてはならなかったのかも知れない。その元気の表現が、過激な言動だった、ということなのかも知れない。
一つ、思い出したシーンがある。
3人で下校中、ふいにB子がもう一人の子(C子)と距離を取ったかと思えば、大きな声で、
「C子なんて、だいっきらい!!!」
と言いだした。笑いをこらえながら。
C子はそれに合わせるように、
「B子なんて、だいっきらい!!」
と言い返していた。こちらも、余裕の顔をしていた。
私は、その2人の間に立って、オロオロしていた。
2人の立ち回りが演技じみていて、試されているような気がした。
あれ、何だったんだろう。
いまだによく分からないけど、もしかしたら、彼女たちなりの「過激な表現」を楽しんでいたのかも知れないな、と思った。