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深夜、ファミリーサイズのアイスを一人で

 一人暮らし。
 それは私が喉から手が出るほど欲しいものだった。

 大学に入学して、半年。
 京都から神戸は、電車通学出来てしまう距離だった。
 実際に、滋賀から神戸へ通っている友達もいた。

 けれど、実家との折り合いが悪かった私は、どうしても家を出たかった。
 家を出るためには、父を説得せねばならない。
 そして、父に出資してもらいたい。
 そのためには、今掛けてもらっているお金で一人暮らしをします、という計画を父にプレゼンしなくてはならない。

 金勘定も、父へのプレゼンも、苦手意識が強くて、死ぬほどやりたくなかったけれど、それでも私は、死ぬほど家を出たかった。
 背に腹は代えられなかった。

 そこでまず、通学定期の額を改めて計算した。
 実家の最寄り駅から、学校の最寄り駅まで、阪急電車で月額6000円。
 正直、この時ばかりは、阪急の安さを恨んだ。
 だって、JRなら、14000円。倍以上する。つまり最寄り駅がJRだったら、父に14000円請求出来たのだ。
 でも、阪急だから、6000円。
 悲しかった。
 安くておしゃれな、阪急。みんなに愛される、阪急。安さが裏目に出るなんて。阪急のバカ…!

 とまあ、もうすでにこの時点で絶望感が漂っていたが、私は諦めない。
 一人暮らしへの、怨念とも言える情熱。

 次に計算したのは、食費だった。
 まだ、つい半年前まで高校生だった私。1食の値段は300円くらい、と可愛く見積もったものの、父へのプレゼンでは、500円と少し大きく出ることに決めた。これはもちろん、値切られることを見越して、大きめをふっかけるという、関西人の先祖代々の教えによるものである。
 そしてこれは、妥当な金額として、後にすんなり認可された。300円って言わなくて良かった。セーフ。

 

 あとは、最寄り駅までのバス代や、しまいには実家の光熱費を家族の人数で割った金額(5000円)まで、父に請求することにした。
 今なら分かるけど、私一人が住まなくなったからといって、実家の光熱費が綺麗に5000円分減るとは思えない。しかし、出してもらえるもんは出して欲しい。根拠となるなら何でもいい。一人暮らしへの怨念が、私を突き動かした。

 そんな執念深い私のプレゼンを聞いて、父が渡してきたのは、ワードA4一枚、裏表。
 1.基本的考え方
 2.銀行口座の開設
 3.費用の具体的処理法
 4.要請事項
 5.一人暮らしするとした場合の条件
 6.その他
 という章からなる文書だった。怖い。

 内容としては、【4.要請事項】には、「金銭出納帳をつけること」「いつでも提示出来るようにすること」などと書かれており、小学生の頃に大学ノートに一週間分の予定を書けと言われ、毎週チェックされていた、懐かしいトラウマが思い起こされた。

 また、【5.一人暮らしするとした場合の条件】には、「月に一度は帰宅すること」や「親が下宿先を訪問するのを拒否しないこと」などと書かれている他に、「出来るだけ自炊すること」や「掃除洗濯はきちんと行うこと」ということまで書かれていた。

 それを読んで私は、「あっ、そっか、一人暮らししたら、掃除や洗濯はちゃんとしないといけないんだ!今初めて気づいた!」なんて思うはずもなく、「こういうのを先に言わんといてほしいんやけど、結局この歳になっても分かってもらえんかったな…」と改めて思った。

 まあもちろん、それは、父なりの心配と親心であったのは言うまでもない。
 だからこそだろう、色々と条件は提示されたが、肝心の食費や交通費については、おおかた私の申請が通り、しかも定額の小遣いを支給してくれるとのことで、それらを足し合わせると、晴れて一人暮らし出来そうな額に到達した。

 よく見ると、大学の最寄り駅から大学までのバス利用については、「使用済みカードと引き換えに現金を渡す(4000円で23回乗車)」など、なかなかに細かい指定がされていたりもして、辛い気持ちになる部分もあったのだが、しかし、これでようやく、一人暮らしへの道筋が出来たのだ。

 私は心のなかで、涙を流してガッツポーズをした。私の中の「一人暮らししたい怨念」も、しゅわしゅわと浄化されていった。


 

 そして、すったもんだ、親からのサポートや干渉もあり、しんどいながらも部屋を決め、引っ越しを済ませた。
 引っ越しの最中「実家に自分の居場所はなかった」と思わず本音をこぼしたら、めちゃくちゃキレられたのをよく覚えている。うちの親は傷つくと反射的にキレるタイプなのだ。

 一人暮らし初日は、駅前のスーパーの前で、親と別れた。母は涙ぐんでいたような気がする。
 私はスーパーで買い物をすませ、一人で、新しく出来た自分の城に戻った。
 それは、言い表せられないほどの開放感だった。
 思春期に入って、親が寝静まったあとの夜の時間を発見した時のような、開放感。
 夜風が心地よく、帰宅した部屋は殺伐としているのに、なぜかもう居心地が良かった。

 私の空間、私の時間。
 やっとの思いでたどり着いた、私の部屋。
 好きな服を着、好きな音楽を聴き、好きな物を食べる。
 全てが新鮮で、自由だった。

 風呂に湯をはる。自分のお風呂。好きな時間に入る。誰も見ていない。
 テレビをつける。自分のテレビ。いつ、何を見ても、誰にも文句は言われない。だって、誰も見ていない。
 私は、買ってあったファミリーサイズのアイスを取り出した。それをそのまま、スプーンですくって食べる。気の済むまで、食べる。誰も見ていないもの。
 明日の朝は、どんな音楽を流して、どんな朝ご飯を食べようか。
 排水溝ネットを買わなくちゃ。好きな香りの入浴剤も買おう。

 自分で選び、自分で決める。
 自分で生活を豊かにする。
 ただ生活するだけなのに、楽しくてしょうがなかった。

 今振り返ってみても、あれは、私が本当の私に近づく第一歩だった。


 私はこのあと、痴漢騒ぎや原付き事故、色んな意味で男を知る経験、閉じ込め騒ぎ、宗教の訪問、などをこの部屋でたくさん体験するのだけども、それはまた、別の機会に。

いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!